あさがお観察職人の朝は早い
『小学生の頃からです、植物を育てる事に向いてないと気付いたのは』
恐らく誰もが通る小学校時代の観察日記。子ども時代の職人は友人の朝顔の鉢を見ながら、なんとなく育ちの悪い自分のあさがおに疑問を抱いていたという。個体差という言葉も知らぬうちから、自分の朝顔があまり成長しないことに若干の不安も抱きつつ諦めの気持ちの種が芽生え始めていた。
『朝顔の種を取るのも楽しい作業のはずなのに、やはり数も少なくて』
周りの友人の種より少ないのでは…?しかし、0ではない。ここまで辿り着いたのだから良しとしよう。そうだ、うちの庭に種を植えてもう一度やってみよう。
職人の挑戦は続く。別居の祖母がせっせと花や野菜を植えに来る庭の片隅に朝顔の種を埋めた。小さな庭ではあるが、朝顔の種目線からのフィールドは広い。祖母のおかげで土も柔らかく整えられている。きっと今度は。リベンジの気持ちだった。
『芽すら、出なかったんです』
職人は苦笑いで肩をすくめた。後になってみれば、生育環境を整えるとか植える前の作業をきちんとするとか、ただ植えればいいというものではないということに気持ちが回ればまた違った結果が出たかもしれない。しかし、子どもだった。子どもらしいいい加減さは、自分が緑の手を持たない、茶色の手の人間だという確信を心に植えつけてしまった。
『もう、育てるのは我が子と豆苗だけです』
かろうじて台所の片隅で水遣りだけで再収穫出来る豆苗は時々買うらしい。それでも自分に植えつけられた茶色の手が、やめておけと制止することがしばしばある。はじめの躓きが、もう育てることも新しく前に進むことも阻んでいた。どうせ、虫も苦手だし。インドアだし。汚れたくないし。諦める材料ばかりが、揃っていた。
『我が子は自分より大切だから』
息子が小学一年生なんです。朝顔、育てるんですよね。一学期の間は微笑ましく見ていたんですが、夏休み前に自宅に持ち帰らなくてはならなくて…。
職人がほんの少し困った顔をしたのは一瞬だった。学校の敷地からママチャリの後部座席に背の高い朝顔を乗せて帰り、ベランダに設置した翌日、ひとつ、大きく咲いた朝顔と生き生きとした葉の緑が、職人の心に向き合ってきたのだ。
ああ、この子になるべく頑張ってもらわないと…って。親が叶わなかった夢を子に押し付けてはいけないけれど、子に同じ悲しい思いをさせないことには配慮していきたいんです。
職人の目の奥に力強い意志を感じた。自分が茶色の手を持っていることはここで話せなかった他の枯らしエピソードからも逃れることは出来そうに無いし、もしかしたら息子にもこの手が遺伝しているかもしれないが、成長する可能性を今摘み取ってはいけない。
『だから、観察するだけ』
学校でどんなふうにしていたの?お水はいつあげていたの?朝?なら学校に行く前にお水をあげていかないといけないね。君がお世話をするんだよ。
手を出さない。口だけ出す。細やかにあさがおの様子を観察し、細やかにしかしさりげなく息子に言葉をかける。私が手を出したら、枯らしてしまうから。手は出さないの。でもね、息子が水遣り忘れて行っちゃったら、落ち着かなくてね。
朝顔が咲くのは暗さを感知してから8~10時間くらいなんですって。と職人は日の昇りきらない空を見上げた。
あさがお観察職人の朝は早い。
もうすぐ夏休み。自分の子どもの頃には無かったネット検索で知識を得ながら、職人の観察は続く。