かりかりいぼいぼグリーン
数年前まで、私にとってゴーヤは苦手を超えて『食べられない・食べなくても良い』エリアに存在していました。
私とゴーヤの物語は、夏になると緑のカーテンを作る義母が「試しに1本食べてみて」とくれた小ぶりなゴーヤを、まずは食べ物と認識するところから始まったのです。
まだ夫と2人中野のアパートに暮らしていた頃。玄関ドアを開ければいきなりキッチンとお見合いの狭い部屋。
シンクの前でどうすれば良いのかと見つめ合う私といぼいぼグリーン。戦隊ものにいぼいぼグリーンが居たら、私、きっといきなり白旗をあげるわ。絶対に。
あなたは、わたをしっかりとるとか、水に晒すとか、そんなレベルの事では苦味を克服することなんて出来ないこの世の終わりのような苦さの塊ではないでしょうか。私と相入れることはないのでしょう、そうでしょう?
端を包丁で切り落としてそっと舌を押し当てます。梅干しの酸っぱさの時の顔は一気に全てが中心に集まってくる感じだけれど、ゴーヤの苦さは一瞬集まりかけて一気に崩れ去る破壊力なのです。何故こんなものを皆炒めるだけとかチャンプルーなどにして食べられるのでしょう。
しかしながら申し上げます。
食べ物として我が家にやって来た以上、食べて差し上げなくては。昭和の心意気か食い意地の遺伝子か、私の中の何かが警鐘を鳴らしています。
ここは、揚げましょう。食感で誤魔化せるかもしれません。
ウルトラスーパー極薄スライス機能装備の右手を発動し、ぺらぺらいぼいぼグリーンにします。塩胡椒の味付け、片栗粉をまぶし熱い油に落とします。
かりかりぺらぺらいぼいぼグリーンになりましたね。
見た目と食感は美味しそうです。いざ、実食致しましょう。
!!
無理でした。
私の顔面が崩れ去りました。夫も同じ意見でした。でも泣きながら食べました。捨てることはできなかったのです。
我が家にゴーヤは要らない。
そんな結論を得ました。挑戦して出した確固たる意志です。それ以降義母からのゴーヤコールもきっぱり断り、スーパーで見かけても完全スルーし、平和な1年を過ごしました。
翌年、また義母は恒例の緑のカーテンを作りました。昨年お断りした事など知らないわという顔で数本のゴーヤをお邪魔した際にお土産箱に入れて寄越したのです。天然でしょうか。天然です。無農薬です。しかも数本、まあまあ立派なサイズだったのです。
途方に暮れる私。
どないせえっちゅうんじゃ、という言葉が東北出身の私の口から漏れます。しかしながら、前年に我が家の辞書から無き物にしたゴーヤの新しい情報は皆無です。検索したところで食べれる気もしません。結果、芸なく同じように揚げてみました。
食べられないものが食べられるようになる境というのはどこにあるのでしょうか。
子どもの頃に食べられなかったセロリやピーマンなどの苦手な食材も、少しずつ慣れて過程を経て食べられるようになり、大人になった時にその味わいの深さにも気付くという形で完結してきた私に、ゴーヤは変化球を投げてきました。
美味しい。
ばくばく食べてしまいます。おかしい。ゴーヤよ、あなたは苦味を変化させたのか?いや、苦いは苦い、しかし、あの顔をしかめる苦さではなく、大好きな山菜の天ぷらを食べた時のような、大人の美味しさです。
ゴーヤでないなら、変化したのは私なのでしょう。
確かに同じものでも自分の状態によって味の受け取り方が変わることがあります。たまたま今日が受け入れ態勢万全だったのかもしれませんね。
そう思いながら数日で残りの分も食べ切り、もしかして食べられる側になったのでは、という淡い期待を抱きながらも追加はせずにその年の夏も終えました。
それ以降、毎年義母のゴーヤ放出は続いておりますが、多過ぎて飽きるまでの間は非常に美味しく食べられるようになりました。もうぺらぺらにする必要もありません。ゴーヤチャンプルの良さも知りました。色々なメニューに少しずつ挑戦もしています。
何故克服出来たのかわからないままですが、今年も最初のゴーヤを貰ってきたのでまるでそうしなければならないかのように開会の儀式の如く揚げ、ゴーヤチップスにして美味しくいただきました。
既に2本をペロリ。
冷蔵庫にあと5本、楽しみがあります。
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