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わたしと世界のつながりについて

6/11
眠れなくて、まだ読んでいなかった吉本ばななさんのイヤシノウタを手に取った。

短編集なので、目次で気になる言葉から読むか、開いたところを読むか、パラパラめくっていて
ふと読み始めたページが、ばななさんとばななさんのお父さまの話だった。  

そこで、はっとしたので書いています。
世界とわたしのつながりについて。


唐突に結構すごいことを言うと、
最近、わたしは31年前に亡くなった父と話をしたところだった。hanaさんに繋いでもらって。


ちょうどわたしが父が亡くなった年齢(36歳)になった去年頃から、私の中で色んなことが解体され再構築されていっていた。母との関係や自分の今の家族、そして自分について。

そうしてちょっとこの一連の棚卸しが進んできた頃、なんと父と話せることになった。
hanaさんは私がQUANTAのリトリートに行ったときに知り合ったkenさんの奥さまで、Kenさんが沖縄に来た経緯を聞いている時から、きっとご縁がある方だとなんとなく思っていた。hanaさんはミディアムシップというセッションをされていて、ご先祖様や亡くなった方からのメッセージを受け取れる方だったのだ。気がついたらセッションをお願いしていた。5月のことだった。


そういえばセッションを受ける少し前に夢を見た。わたしは父と夢の中で会っていた。夢だから姿は別の人だったけど、あれは確かに父で、わたしは会えて嬉しくて父に触りたかったけど、言葉をかけることも、触ることも何故かわたしはしなくて(さわれないわけではなさそうだった)ただそこに父がいて、会えたことの嬉しさが残る夢だった。こんな夢をみるのは、はじめてだった。



hanaさんとのセッションでは、もう何というか、ばっちり父がきてくれた。父は律儀に前日にもhanaさんに挨拶に行ったらしい。父は超真面目な人なのだ。
こんな場を設けてもらわなくても大丈夫なのにと父は言った。わたしも実はそう思っていた。だったら何故わたしは父を呼び出したんだっけ?実は何を話すか決めていなかった。というより、決められなかった。だからその場で決めようと思っていた。ぽつぽつ話し始める父に答えているうちにわたしが聞きたかったのは母のことのようだとわかった。母はとても愛情深い人に見えて、一方で誰も寄せ付けないところがある。その違和感が何なのかわからないから、いつも母とは噛み合わない、お互いに何も理解し合えない感じがあった。それが父がいなくなってしまったことと関係していることは確かで、どうしたらいいか聞きたかった。
ここからは父と母のプライバシーに関わりそうだし割愛するのだが、父がいつも母のそばにいること、愛おしくいつも眺めていること、そして二人がやるべきことはもう達成されていることなどを聞いた。あとはわたしが子どもにふたこと多いことや、夫とちゃんと話すようにとお小言を残して、父は帰っていった。わたしが想像していたより、ほんとにちゃんとした人で、なんだか気が引き締まったくらいだった。雰囲気を例えるならビジュアルだけでいえば、イメージはキムタクが演じている信長か、教場のキムタク。

とても遠くまできてもらった気持ち。ありがたかった。父には私は6歳の子どものままなのか、大きくなったねと言われた。そりゃそうよ、大きくなりましたわ。わたしも不思議な気持ち。私の中で父は36歳だけど、父として慕う姿はわたしより大きい。

今思えばわたしはセッションのとき父に会えてわあわあ喜びはしなかった。父からも、親になったのだからという言葉を言われたが、その通りわたしも大人になっていた。一瞬それはわたしが遠慮してしまったのかなと思いがよぎったけど、そうではなさそうだった。ただただ、いい時間だった。あんなに満たされた気持ちになったのは、父がわたしを信頼していて、認めてくれていることがわかったからだと振り返っている。よかった、やっぱりそうだよね。あーよかった。そんな気持ち。
わかっていたはずだけど、それを受け止める自信がなかったわたしに後押しをくれたのがこのセッションだったと今わかった。
よかったなと思うセッションはいつも答え合わせのようなところがある。そしてそれ以上の驚きや愛をもらえたりするのでほんとうに他者と関わることのすばらしさに触れ感動する。

父はもうここにはいない。それはかわることはない。そして父が母にはこのことは言わないでと言った意味もなんとなくわかっている。でも父と母が魂で繋がっていることがわかったから、そしてわたしと父も魂の信頼で繋がっていたとわかったから、わたしも安心してまた続きを生きようと思っている。


ばななさんの文章と、わたしが父と話して得た気持ちと、いろいろが混ざり合って、ありきたりなのかもしれないけど、自分や自分に関わる人たちが、今ここにいる奇跡みたいなことをあらためて感じることができている。

さわれるってすごいことなのだな。今肉体があり、そこでつながり合うというのは、ほんとうに奇跡なんだな。すごぉ。という気持ち。

それと同時にさわれないけど、違う繋がりかたを感じるということで、安定する感覚も知った。
それはあの夢でわたしが感じた嬉しさに通じるものなのかな。見えないものをみる、感じること、それがどういうことなのかをいい形で知った気がする。

わたしは色々なことをまだ知らなすぎるので
まだまだ知っていきたいと思っている。そして世界を読んでいくセンス、それを磨いていきたい。まるっとそのまま自分で行くんだという心意気を得ている、と記します。
全然まとまらなかったけど、これは今書いておかないとと思って書いてます。


こんなにいい形で再会することができて
ほんとうに嬉しかったです。hanaさんありがとうございました。hanaさんまた会いたいです。

そしてkenさん、あの日kenさんが、よかったねって言ってくれて、すごくすごく安心したのを思い出しました。わたしの中の何かが再構築されました。安心とか愛とか。帰り道、神社の参道をkenさんと歩きながらたぶん安心安全の中にいたんだと思います。(kenさんの場の最強ホールド力!)kenさんまた遊んでください。

6/12
お願いしていた6月のセッションのカードとメッセージをこの日にくれたのびちゃんにもお礼を言いたいです。ちょうどこのnoteを書いている最中にメッセージを送ってくれたおかげで、解像度が高まって、書き終えることができました。ありがとう!

6/16
先にkenさんhanaさんにこのnoteを見てもらい、
天気が良かったので、今日noteを更新しました。

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