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崩れる一歩手前だった話。

 期待されているのかもなあ、と感じた経験はあるだろうか。
 少なからずどこかで誰かに期待されることがあると思うのだが、それを真正面から受け止めすぎると自分自身を崩壊させかねない、という話をするためにキーボードを叩いている。

 人に向かって「期待している」と言葉にするにせよしないにせよ、それは相手にはなんとなく伝わるものなんだと気づいた。言葉の節々からそれを感じるから。
 わたしは驚くほどまっすぐにその言葉のすべてを受け止めていた。もっと頑張っていいものを書きたい、期待に応えたい、もっと頑張りたい。最初は素直にそう思っていた。
 でも、気づいたらそれが自分の感情から生まれるものではなく義務感として迫ってくるものになっていた。ちゃんと書かなきゃいけない、期待されてるんだから応えなきゃいけない、わたしはもっと頑張らなきゃいけない。そんな考えに、自分で、気づかないうちにすり替えていたんだと思う。
 そんな状態で何かを書く気力も起きずに、というか何もする気になれずに、じっと時間が経つのを待っているような日を過ごした。

 空いた時間があると、いやでも考え事をしてしまう。
 頑張らなきゃいけないのは誰のためなんだろう。なんのために頑張りたいんだろう。どうして義務のように感じているんだろう。結局わたしはどうしたいんだろう。
 SNSは時間泥棒、とか、YouTube見てると時間が溶けていく、とかいうけど、考え事をしたくなくて必死にSNSに逃げた。YouTubeで何本も動画を漁った。今もそこに逃げているのかもしれない。
 そして、そんな些細な悩みを相談できる相手がわたしにはわからなかった。今までいろんな話を聞いてもらっていた高校の先輩は就活で忙しそうだし、高校の同級生もいろいろ大変そう。大学の友達にはそんな話できっこない。かと言って状況をわかってくれそうなまわりの大人に頼るなんてのもむずかしい。どの人にしてもそうだったけど、忙しい(かもしれない)のに自分のことで大切な時間を奪ってしまいそうだったから、誰にも言い出せなかった。

 空いた時間を埋めたかった。2月の最終週、予定を詰め込みまくった。バイト、遊びに行く、撮影、シンポジウム、インタビュー、などなど。1週間、空いた時間がないくらいに動き回った。そんな予定を組んだ。
 人と会ったり、なにかをしているときには考え事をする暇がない。だから、少しだけ楽になった。その代償と言ったらなんだけど、少しだけ体調を崩しかけた。夜、なかなか寝付けなくなった。
 やってることは失恋した後に無駄にバイトのシフトを埋めるやつとあんまり変わらない。

 つまるところ、わたしは逃げたかった。
 義務感から、期待から、考えすぎる自分から、悩みから、自分自身から、逃げたかった。
 思いつくすべての手段を使って、逃げて、逃げて、2月最後の1週間を終えた。充実感のある1週間だったけど、大変だったな、とも思ってしまった。結局どこに行っても考えることは変わってなくて、それに気づいてしまって、自分で自分を笑った。
 そこではじめてわかった気がした。
 自分自身のやりたいようにやればいいってことになんで気づけなかったの?と。
 小説を書くことだって、自分のためにやりたいことだったはずだ。
 誰かの評価は二の次で良かったんだ。
 それに気づいて少しだけ楽になった。

 あぶないあぶない、危うく自分自身を壊してしまうところだった。

 1回だけ、自分の中でのバランスを保てなくなって、何もかも嫌になったときがある。そのときは、夜中、泣きながら、話を聞いてくれる高校の先輩に電話をかけた。
 自分だけで考えてどうしようもなくなるまで我慢してしまうのは今も変わっていないと思うけど、自分で「やばい」と気づけるくらいには成長したのかな、とか思っちゃった。これを成長と呼ぶかは怪しい。

 なんだか楽になった。小説書こう。

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