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心が解ける感覚の話。

 わたしは自分の気持ちを言葉にするのが苦手だ。

 自分の大切な人にはちゃんと思ってることや気持ちを伝えなきゃだとも思っている。というか、わかっている。
 言葉にしなくても伝わってくれるのならそれでいいと思う。でも、人の気持ちって言葉にしないと、きちんと伝わらないどころか意図せぬかたちで誤解された状態で伝わることもある。
 それは避けたい、とも思っている。

 じゃあ、なぜ。
 どうして言葉にするのが苦手なんだろう。
 きっとそれは自分の心を守るためなんだと思う。正直に自分の気持ちを伝えて、もしもそれをきちんと受け取ってもらえなかったり、拒絶されたりしたとき。そんなときに傷つくことを避けようと思って、言葉にすること自体を避けてしまったんだと思う。
 その結果、今のわたしができあがった。

 そんなわたしにも、最近、ちゃんと自分の思ってることを言葉にしなければならないことがあった。
 自分がどう思ってるか、どうしたいか、悩んで悩んで、言葉の通り胃がおかしくなるくらい考えて出した結論でも、やはり言葉にして伝えるのは怖かった。ちゃんと受け入れてもらえるだろうか。ないとは思うけど、拒絶されたら、受け止めてもらえなかったら、どうしようか。
 言葉にしなくても伝わる方法があればいいのに。本気でそう考えた。
 しかしそんな方法はない。覚悟を決めるしかなかった。
 言葉を選びながらきちんと自分の思ってることは伝えられたと思う。どこまで伝わったかは相手に聞かなければわからないが。

 今考えると「何を心配してたんだろう?」としか思わない。

 話は少しだけ変わるが、今までのわたしなら、きっと言えなかったようなことを言える相手がいる。
 それは彼がわたしの心を少しずつ解いてくれたからなのかな、と思っている。
 いつものわたしは、自分が傷つかないように、それと同時に誰かを傷つけてしまわないように、心のどこかにある紐みたいななにかを固く結んでそのままにしている。それは、解けないように気をつけているもの。自分からは解こうとしないもの。自分のなにげない言葉で自分自身を刺したり誰かを傷つけたりするなんて嫌だから。
 そう思えば思うほどに自分の気持ちを言葉にするのは怖くて仕方ないのに、なぜか、その彼のためならちゃんと言葉にしなきゃいけないなって思うことができる。不思議なものだ。
 わたしが苦手だと思ってることを頑張ってみた先にある相手の笑顔だったり、言葉だったりを想像すると自然と自分まで笑ってしまう。「らしくない」言葉でもちゃんと受け止めてくれる。
 それが、わたしの固く結んだままの心を解いてくれる。これこそが、心が解ける感覚、というものだ。
 
 心が解ける感覚を知ってから、その相手の前だけではあるが、なにか言葉を発することに対する不安がなくなった。それだけでもわたしにとっては大きな進歩だった。

 心理的安全性の高い環境であれば、少しは素直になれるらしい。その環境はきっと彼がわたしの心を"解く"人だから得られるものなんだろう。

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