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猫を見る 自分の間違いを知る

長きにわたる無職生活に終わりを告げ、今月から有期の仕事に行きだした。秋の訪れを感じつつ。

猫の病気の話を先日書いたが、なんだかこのひと月は、荒れに荒れた天候もあいまって、私もおかしな体調だった。謎の発疹が全身に出て、でこぼこのぶつぶつが大きな塊になり、分厚く腫れあがり、体全体が赤い世界地図のようになった。体温が上がると赤い大陸の部分が猛烈にかゆいが、ぶつぶつ自体はかゆくない。最初はチャドクガにやられたか、と思ったが、皮膚科に行くと「薬疹?ウィルス性発疹?」ということで、血液検査をして薬疹は除外された。最近になってやっと発疹がひいたので、やっぱりウィルス性発疹だったね、ということで。コロナのワクチン打とうかどうか悩み、仕事始めるなら打っとくかと決めた矢先だったので、予約をキャンセルし、腕の腫れが完全に引いてから予約しなおした。

そのさなかに猫が病気になり、大慌てだった。もしかして、私が体調を崩すと猫も病気になるのではないか。3人の子どもが独立し、持て余すほどの愛情と干渉の矛先を一身に受けることになってしまったこの猫に、私はどうも依存しすぎているな、と。自分の状態が正しくないことはうすうす気付いていたので、ここは真剣に追究してみよう、このよろしくない状態を放置していたら、自分も猫も、もしかしたらもろともだめになるかもしれない、と本気で考えた。まずは猫の病気について調べはじめた。病気の知識はうっすらまんべんなく持っていたが、深く知るのは怖くて避けていた。いつか私よりも先に死んでしまうのは明らか。死んだ時に悲しくないよう、予防線を張りすぎていた。そして、猫なりに野良なら野良で、気高く生きるのが幸せだろうに、私の勝手な都合で家猫にされてしまった猫に対し、負い目もあった。人間目線で猫生を翻弄するのはどうなんだろう、と。あまりに頭でっかちになるのもいやだな、お猫様様でデレデレになるのもなんか恥ずかしいしな。と。クールな飼い主、不自然なことをなるべくしない理解ある飼い主を気取っていた。でも、死に直結するような情報は目に入れないようにしていた。猫が死ぬなんて。思うだけでも悲鳴を上げそうにつらい、怖い。だからそれは直視しないようにしてきた。

そうか。逃げてたな、わし。ピキーンと気づいた。父の時と同じだ。

父が余命宣告されても、私は父の詳しい病状や治療方法について調べることをしなかった。怖かったから。知りたくなかったから。世間ではこんな感じ、という聞きかじりの知識だけで、その先の見通しや、もしかしたらもう少し生きられたかもしれない医療の情報など、あの時にもっと貪欲に勉強しとけばよかったのに。そして、父ともっと対話をしに帰省すべきだった。でもしなかった。どんな顔して会えばいいかわからなかった。怖かったから。さらに、もう父が自力でトイレに行けなくなった時もまだ、私はのほほんとしていた。一気に呼吸ができなくなりせん妄がでだした父は、まだ「生きたい。治療したい。いい病院に移りたいから探してくれ。」と私に言った。私はもう死はそこまで来ている、もう逃れられない、という事実に怖気づき、父に対して「治る見込みはない。病院でできることはもうない。」と、とどめを刺すようなことを言ってしまった。父に向き合わず、「緩和ケアに転院する承諾をとってほしい」という病院の期待にこたえてしまった。今も、あれが間違いだったとは思わないし、そうするしかなかったとも思う。でも、私は、子として、もっともっと父の病気にちゃんと真っ向から向かい合わなければならなかった。父と話して、病気を治して90歳まで生きたい、というちょっと無理めな希望を、一部でもかなえられることはできないか、調べて、医師に相談して、あらゆるつてを頼って方法がないか聞いて回って、医療について勉強しておけばよかったのに。逃げてしまった。がん末期なんだからしかたない、あきらめよう、と早々とリングを降りてしまったのだ。ひどいことをしてしまった。親子なのに。父をひとりにしてしまった。父自身希望はかなわないとわかっても、それでも心の底でもっと生きたい、一日でも長く、と願っていた。そんな父の気持ちを受け止めて、私ができる行動をとるべきだった。ああ、私は、死にゆく父から逃げ、話のわかる患者家族を演じてしまった。そう気づいた。今になって。

死なせることが怖い。だからあえて死につながるような情報には近づかないようにここでも予防線を張りすぎていた。自分を守るために。そして、みんないつかは死ぬんだから、死ぬことは全然怖くないよ、とわかったふうに嘯いていた。そして、できれば私もがんで死にたい、69歳でさっさと死にたい、なんてことも言っていた。69歳に理由はないけど、なんか子どもの頃から自分は69で終わるんだという変な思い込みがあった。それに、高齢化社会云々、健康保険や年金制度の破綻云々、少子化で社会基盤が崩れる云々の謳い文句につられて、老人が長生きするのは日本にとって損失だ!私は長生きしない!むだな医療はいらない!とか思っていた。だから、84歳で余命1年宣告された父に対して、「もう十分やん。」と思ったのだ。ひどすぎる。

結局、自分なんて生きていてもむだ、つらい思いして生きるのも疲れたし、子どもも育てきったし、母を見送れば私も用なしだ、と思って生きていたんです。自分自身をあまりにもおろそかにしすぎていた。やっと気が付いた。自分なんてどうでもいいから、父の死に直面しても、どこかで「寿命やからしゃーないやん」と、父の必死の「生きたい」もおろそかにしていたのだ。

猫が死ぬかもしれない。ひとりでその不安で気が狂いそうになって、どうにか回復して、今は普段どおりに過ごしている猫を見ながら、自分がいかに間違っていたかを知った。自分は長生きしなくてもよい、適当なところで終止符を打ちたい、と無意識に自分をあきらめていた。そんなナメくさったことを口に出すことに羞じもてらいもなかった。かりに猫が喋れたとして、「あんたの家に来たのは間違いだった。野でひとりひっそり死にたかった。」と言われたらどんなに悲しいだろう。自分の子どもに「なんで産んだんだ。こんな厳しい世の中になんか生まれたくなかった。」と言われたらどんだけ苦しいだろう。それと同じやないか。自分ががむしゃらに生きないことの言い訳をいちいちしながら、自分を甘やかしてきたことを、このたびは亡父と猫に教えてもらった。

「よっしゃ、私は元気に、いつまでも長生きしてやるぞ。」そう思い直した。父が目指していた90歳まで、病気せず、やりたいことを全部やりつくす。この猫にも、30歳まで生きてもらう。猫に対し、こんな不自然な生き方させてたら病気にするかもしれない、それはもう治らないかもしれない、看病介護で何年も病院通いするかもしれない、平均寿命よりもずっと早死にさせるかもしれない、そんな不安をどこかでずっと抱えていた。私が私を大事にしないと、猫も本当に生きられるはずの齢よりもずっと早く死なせてしまう。

寝っ転がって天井のシミを見ながら、この半年間に起きた様々なこと、これまでの自分のしょーもない生き方についての総見直しをしたのでした。

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