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無職なので放送大学の募集要項を取り寄せる

バイト辞めて5か月。父の死にうろたえ悲しみ抜け殻になりやっと気持ちが安定してきたこの頃。実家との長距離往復もいったん落ち着いてきたので、そろそろさすがに労働して対価を得ねばと、久々にハローワークインターネットサービス求人情報検索をひたすら検索してスクロールしまくる。暇なので全ページ余裕でくまなく見る。

用事がひとつもないカレンダー。こんなん人生初やないか。あの暗黒自堕落学生時代でさえ、出かけなあかん用事ひとつふたつあったぞ。来月、県民一斉大清掃と地区の盆行事があるくらいじゃないの、用事らしい用事といえば。あ、うちは父の初盆があったか。毎朝NHK-BS1で大谷の全打席、全投球を見守っちゃう。完全にリタイアしたおじいちゃんの生活パターン。

誰にも会わず喋らずの生活、メンタルに暗雲が垂れこみがちな性質なので、YouTubeで精神状態上げます系動画などを見る。すぐに影響受け、自分で作った自分の枠をはずすのなんて簡単さ!と気分よくなる。でも実行には移さないのでまたメンタルが膿みだす。

やりたいことを100ぐらい書き出してみるとよい、ということでエクセルに思いつくかぎり打ってみる。50だ。もう思い浮かばない。でも、以前はせいぜい20浮かべばよい方だった。よい傾向ではないか。父の死を経て、私の生も新しい期に入ったのだ。

やりたいことのうちのひとつ、宗教についてちゃんと勉強したい。心理学をもう一回ちゃんと勉強したい。

親の看取りが近いことを意識したころから、死生学的な勉強をしたいと思っていた。宗教が人の死に対してどんな役割を果たすのか、ずっと子どもの頃から疑問だった。うちは母が新興宗教(わりと穏健派)に入信し、いわば私らきょうだいは宗教エリートジュニア世代。幼年部時代はわけわからず母に従っていたが、思春期にもなると何かおかしいなと気づき、弟とタッグを組み母に対する宗教レジスタンス運動を繰り広げた。母親と毎晩激しい喧嘩したものの母の信仰を全否定することはできなかった。

「ご先祖さんが悲しんでる」「死んだおばあちゃんが泣いてる」「あんたが今こんなんなのはお詫びが足らんせい」「守ってもらえる人間になるためにお経をあげなさい」と畳みかけられると、言い返せない。じいちゃんばあちゃんの悲しむ顔が浮かんでくる。死んでいった人たちはどうなるのか。悪いことをすれば地獄へ行くのか。未練や恨みを残せば成仏できないのか。魂はこの世に残り続けて私らのそばにおったりするんやろうか。。。

そもそもお経を読むとはどういうこと?宗教の集まりでは、皆の前でお懴悔、自分の行いの悪かったことや入信のきっかけを涙ながらに話をさせられる。それをまわりのおばちゃんらがうんうんと激しく頷きながら激しくもらい泣きする。偉い人がそれを受けてありがたみのありそうななさそうな総括をする。最後にカタルシスの中大音声の読経。ハマれば気持ちいいんだろうか。子どもながらに奇妙なものを見ている感じだったが、それを言ったらおしまいなので黙っていた。お経は誰のためにあげるのか。誰か喜んでいるのか。意味不明の言葉、音のつらなりにしか思えない、この経文。お経って何なんだ。線香、なんで焚かないとだめなの。煙の臭いで鼻水とくしゃみがとまらないんやけど。ひとつひとつわけがわからない。なんちゃって亜流宗教団体と既存のお寺と何が違うの。

今思えば、在家信仰の実践というやつで、仏教を寺から家庭へと引き下ろしてふだんの生活の中で誰もができる仏教への帰依をやっていきましょう、というのが当初の目的だったんだろう。明治維新、敗戦という日本社会の大転換期に、庶民の心のよすがや倫理的価値観のよりどころとして、数多くの新興宗教が生まれた。こうした団体が太く肥えていく経緯に、現世利益という甘い撒き餌もあった。結局は宗教をかさに人の弱みにつけこんだ金と権力の吸い上げ利権団体と言われても文句いえまい。

うちの母は何を思い発心したのか、真意はわからないが、早くに亡くした生母を慕って「先祖供養」のために信仰を思い立ったのだとは思う。死んだ肉親の魂の安寧を祈り、生きている家族、子孫の幸せを願う。その思いを全否定してはいけない、でもいやだ。あそこに行くのはいややし、家でやるのもいやなんだ。強要されるにはごめんだ。あなたの信仰は止めないが私らに押しつけるのはやめてほしい。このジレンマ、何がこんなにいやなのか、だいたい、宗教って何なの?

この辺から私の「宗教って何だ」突き詰め癖が始まっている。母の「お経あげないと高校落ちる!」攻撃に降参し、毎晩お経あげて受験勉強怠って結局高校落ちたので、私立のキリスト教系女子高に通ったのだが、そこでも「キリスト教って何なの!?」と考え込んで、教会に出入りもしたりした。いっそ洗礼を受けよう、と熱心に入れ込んだこともあった。

話がずれにずれたが、放送大学の件だ。

私、ついこの前まで星槎大学の通信をやっていたけど、退学したとこです。対人援助の業務上、心理・教育系の資格がほしくて星槎にしたのだけど。星槎はスクーリングめちゃくちゃ楽しかった。特別支援教育関係の現役社会人や当事者、親などたくさんの人が学びに来ており、おおいに刺激を受けた。お友達もできた。

コロナと親の看取り、学費の負担も大きく、何せ、ど田舎からスクーリングに行くのが毎度しんどかった。結局在籍4年で退学。スクーリングなしのオンラインでいける武蔵野大学にして、認定心理士の申請をしようか、と思ったのだけど、ここにきて放送大学が気になりだした。高野山大学も好きなんだけど、学費が高する。先々は仏教とターミナルケアなんかも勉強したい。

宗教と生きている人間と死んだ人間のことを知りたい。これが幼少の頃からのテーマ。