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「あんぎお日記」(1991年12月8日)

十二月八日(日)
 真珠湾五十周年。昨夜半、目が覚めて寝付けなくなっていた。幽霊の夢を見たのはおそらく十数年ぶりだろう。一度目が覚めてしまったら、夢のことではなく全く別のことを考えていた。
 寝る前に隣のベッドの漁師の渡部の爺さんが、生きていくうえで必要なお金のことを延々と話していた。どのように計画的に運用すべきか、また子育てにかかるお金などについて。もうガンの末期でそれほど先は長くないはずの人が、これからもずっと生きていくかのように、お金の貯め方、使い方について話し続ける。そのような違和感はさておき、ろくろく学校も行っていない自分の名前も書けない彼が、私と違ってちゃんとこの社会の一員なのだということを思い知らされる。大学を卒業しても安定した月々の収入が得られる定職に就かない私にとっては、そのような「結婚」や「子供」という一般の人々が手に入れるものを実現することはほぼ不可能なのだ。自分で選んだ生活だったはずなのに、実際にはちゃんと収入を得ていないことからくる無力感や不安感はかなり強い。このような生活はやはり修正すべきなのか、あるいはそもそも音楽家という「職業」が可能なのか(食っていけるのか)という疑問も湧いてくる。
 今夜と同じように大学生の頃も、昼間は決してそんなことはないのだが、夜半目覚めると将来に対する不安で両脚から血の気が引くような恐怖に見舞われていた。しかし東京でのあのような波乱万丈な日々では、そのような不安が顕在化してくることはほとんどなかった。単に不安を感じるだけの暇がなかったのか? あるいは都市の空気が自由にしてくれていたせいなのか? しかし今こうやってこの街に戻っていると、そのような将来への恐怖がまた静かにしかし確実なものとして蠢きはじめる。
 二度寝していつもの時間に目覚めると夜半の恐怖感は霧消している。何の見直しや反省もなく、また後戻り不能なものとしてこれまでと同じ人生を歩んでゆくしかないのか。
 同室の老人たち、末期の患者たちの言葉や示唆は、今の私にはあまり響いてこない。彼らが芸術家であれば、少しは自分に関係するものとして耳を傾けることができるのかもしれないが、あまりに違う環境・価値観で生きてきた彼らとの共通点はないのだ。
放浪の思い。漂泊の想い止まず。
父母が「古典かな」の本とキーボードを持ってきてくれる。
Ebのブルース。

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