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「あんぎお日記」(1991年12月7日)

十二月七日(土)
 またしても窓の向こうの圧倒的な空の色に打ちのめされる朝六時三十分。最近、朝焼けや夕焼けがきれいなのは、フィリピンのピナトゥボ火山のせいだと週刊誌で読んだ。
 文筆で生計を立てるのは自らの天命であるような気がする。音楽で生計を立てるのは憧れであり、努力であり、挑戦である。今まではどうやったら音楽家になれるのかということをずっと考えてきたけれど、実は自分にとって音楽をやることは、それほど自然でないようにも思えてきている。だから文筆で身を立てるという考えに移行しただけで、何か格段に楽になった気分になる。文章はこうやって次から次へと書き続けることができるのに、曲を作るときはそういう訳にはまったくいかない。生得的に備わっていないことをやろうとすることの無理。しかしだからといって音楽をやらないということにはならないのだ。私は自分の才能を信じるし、贅沢な人生を求めているのだから。別段ルネサンス的な天才像を念頭に置いている訳では全くないが、自然に物を書きながら、努力して音楽をやっていくという二本立てが私の人生なのでしょう。
 あの少年とひとしきりロビーで遊ぶ。
 桃色に鼠色は良く似合う、とふと気づく。
「そこで、宗教だけが残ったのである。アンフォルメルなものの力は、いまや文化のあらゆる領域でモダンの伝統を解体しつつある。それは、さまざまなジャンルをひとつに結んで、文化全体を一元化しようとしている。読むことと書くことは、聞くことや見ることと結合されて、マンガと小説の境界は失われはじめ、学問とジャーナリズムの見分けはつかなくなり、ビートたけしが、この国いちばんの知性という事態になってしまった。経済によって一元化されたアンフォルメルは、文化の体型の秩序を破壊し、教育を情報化し、道徳の根拠を徹底的に突き崩そうとしている。
 こういう事態になってしまうと、近代型のインテリは、ほとんどお手上げ状態になってしまう。近代的な理性は、無意識の欲望やアンフォルメルな力を『啓蒙』しようとしつづけてきた。ところが完成に近づきつつある世界資本主義は、人間の無意識を一つのネットワークに結んで、そのような啓蒙を受けつけようとしない、巨大なアンフォルメルな力を表面にひきだしてしまった。おかげでソ連は崩壊してしまった。社会主義は人間の理性によって、経済や人間の欲望をコントロールできるという、モダンな啓蒙主義が生みだした、一つの思想的な作品であった。だが、それはアンフォルメルな力が自己組織によってつくりだした資本主義という作品の前に、敗北してしまったのだ。そしてそれといっしょに、モダンな知性は、未来に対するビジョンまでも失ってしまった」(中沢新一)


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