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なぜ現代に必要?「ネガティブ・ケイパビリティ」で得られるものとは

前回は「ネガティブ・ケイパビリティ」とはなんなのか、について逆の概念の「ポジティブ・ケイパビリティ」との比較もふくめてまとめてみました。

本日は、ネガティブ・ケイパビリティを身につけるために必要なこと、そして、なぜ現代にそれが必要とされているのかについて、まとめてみました。

前回の記事は、下記のリンクから読めます。

ネガティブ・ケイパビリティを身につけるには?

「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、どうにもならない状況でも答えを焦らず、自分なりの答えが出てくるのを待つ忍耐力のことでした。答えのない問いに対して、わからないからと目を背けてしまったり、一側面だけをみて安易に判断してしまったりするのではなく、わからないもどかしさに耐えながら自分なりの答えに行き着くまで考え続ける力のことです。

では、ネガティブ・ケイパビリティを得るには、どのようなことを意識すればよいのでしょうか。

ネガティブ・ケイパビリティには、「記憶」「欲望」「理解」の3つを捨てることが必要なのだといいます。ひとつずつ見ていきたいと思います。

「記憶」というのは、おそらく既知の知識や概念のことだと思われます。「記憶」を捨て、これまでの知見や経験だけにしばられることなく、「わからない」ものをありのまま見つめることが大事だということではないでしょうか。

「欲望」とは、前回ご説明した「わからない」ことを嫌う人間の本能につながるものでしょう。「わかる」体験は楽しいですし、達成感も得られます。一方で、「わからない」ものを放置しておくのは本能レベルで苦痛を感じる体験です。しかし、その欲望にしたがってしまっては、いつまでもポジティブ・ケイパビリティしか鍛えることができません。ネガティブ・ケイパビリティを得るためには、そのストレスに耐え忍ぶことが欠かせないということでしょう。

では、最後の「理解」とはどういうことでしょうか? 理解を捨てる、というと考えること自体を放棄する、思考停止状態を意味しているようにも受け取れます。しかし、そうではありません。

理解には、大きく分けて「浅い理解」「深い理解」の2種類があるのだそうです。ポジティブ・ケイパビリティに親しんでいる私たちは、普段、浅い理解を積み重ねることで全体を把握しようとします。反対にいえば、浅い理解を繰り返せば大きな問題にも太刀打ちできる、という思考に陥りやすいのです。

一方、深い理解とは「発見的理解」のこと。答えを出すことを焦らずに、自分なりに課題を設定し、仮説を立て、何度も検証を繰り返し、そのたびに観察と思考を重ねることで得られる理解です。研究、探求とも言い換えられそうですね。哲学といった感じもします。

この深い理解に辿り着くためには、これまでの知識や経験、思考の癖や思い込みを排除して、徹底的に問題と向き合って考え抜く必要があります。だからこそ、目先の浅い理解で満足するのではなく、それを捨ててでも問いに向き合い続けなければならない、ということなのです。


どうしてネガティブ・ケイパビリティが必要なの?

デジタルデバイスの発達にともない、タイムパフォーマンス・コストパフォーマンスがより求められる時代となりました。教育現場でも、ビジネスシーンでも、ポジティブ・ケイパビリティの有無が評価基準となる場合はかなり多いように思われます。

では、なぜ時代と逆行するようなネガティブ・ケイパビリティが必要とされているのでしょうか。それは、ポジティブ・ケイパビリティのみに頼りすぎると、思考が偏りがちになってしまうためです。

たとえば、ビジネスシーンではスピードを求めるあまり安易に誤った答えに飛びついてしまったり、思考をパターン化してしまうことで創造性が失われてしまったり、といった弊害が考えられます。効率化のつもりがかえってミスにつながってしまったり、創造性が失われることで将来的に事業の幅をせばめてしまったりするかもしれません。

さらに、メンタルヘルスの観点でも「これが原因だ」「あれが悪いんだ」と安易に答えを導き出すことに慣れると、小さなことで必要以上に思い詰めてしまったり、あるいは過剰に攻撃的になってしまったり、といったリスクが考えられます。また、偏見や差別を助長し、相手への配慮が不足してしまうことにもつながります。

ビジネスやコミュニケーションをはじめ、社会のありとあらゆる物事には、クイズのような「たった1つの正解」はありません。効率・時短を求められる時代だからこそ、自分の判断を一歩立ち止まって考えるクセをつけることが必要なのかもしれません。

「本当にこの判断が正しかったのか」「もっと他の可能性はないのか」自問自答し続けることで、ずっと後になって「新しい答え」に行き着くことができるかもしれません。その発見的理解の一つひとつが、私たちの人生を、社会を、よりよくしていくのではないでしょうか。


まとめ

「わからない」に耐える力、ネガティブ・ケイパビリティを身につけるには、「記憶」「欲望」「理解」の3つを捨てることが大切でした。これまでの知識や経験にしばられず、「わからない」モヤモヤに耐え忍び、浅い理解を捨て去って、自分なりの答えを探究しつづける……研究者のような地道な思考が必要になります。

このように書くと難しそうに感じられますが、要は、なにかを判断したとき「一度立ち止まって考える」ということなのではないかと思います。

皆さんにも、だれかにメッセージを送るとき何度か書き直した経験があるのではないでしょうか。伝えたい内容が、伝えたいニュアンスで正しく伝わるかどうか試行錯誤しながら文面を考える時間は、小さいことですが、確かにネガティブ・ケイパビリティが養われている瞬間のように感じます。

ビジネスメールにおいて、ある程度のテンプレート化は必要なことです。しかし、すべてをテンプレートに落とし込んでしまうのもまた危険です。私たちは、テンプレート化において排除されている「何か」を決して忘れてはいけないと思うのです。ネガティブ・ケイパビリティは、効率化によって捨象「何か」の存在を常に見つめ続けることなのではないでしょうか。

個人的には、この「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉に心を救われた心持ちがします。私はおそらく、ポジティブ・ケイパビリティを評価基準とした社会の雰囲気があまり好きではなく、「最適解」に「最短」で辿り着くということにやや抵抗感を感じています。最短経路で省いてしまった場所にも別の価値があったんじゃないか、と考えてしまうのです。

そうした思考で生きていると、劣等感を感じる場面が多々あります。この考え方がなければ、もっといろんなことに葛藤せず、素直に生きられたのではないかと感じることもあります。

このような記事を書いている私ですが、実は学生のころ、作文がとても苦手でした。本を読んだり、文章を書いたりするのは好きだったのですが、作文となると「先生がなにを求めているのか」よくわからないと感じ、なにを書けば良いのかわからなかったのです。私はいわゆる「いい子ちゃんタイプ」だったので、無意識に先生が求めていることを汲み取ろうと努力していました。

作文だけでなく音楽や美術など、学校にも「答えのない問い」を探求する時間はあると思うのですが、ポジティブ・ケイパビリティにあまりにも慣らされていて(それは子どもだけでなく大人も)、「考える」というのがどういうことなのかを知るのにも、非常に長い時間がかかってしまいました。

効率化はとても大切です。創造の余地、心の余裕を生むことができます。しかし、せっかく生み出した余白をまた効率化された「処理」に消費し、さらに生み出された余白は次なる「処理」に当てられる……こうなると、『モモ』の「時間どろぼう」の世界です。

多様化、複雑化した現代だからこそ、私たちはポジティブ・ケイパビリティもネガティブ・ケイパビリティも、同等に育んでいかなければなりません。どうせ世の中には「わからない」ことばかりなのだから、「わからない」ことを受け入れられたら、心おだやかに生きられそうですよね。

教育現場にも、ビジネスシーンにも、一人ひとりの生き方にも、ネガティブ・ケイパビリティという言葉がもっと広がってゆきますように。たまには「答え」に辿り着かない時間を楽しんでみませんか。


【参考】
VOGUE JAPAN「“ネガティブ・ケイパビリティ”とは?今、不安に駆られている人に伝えたい【ヴォーグなお悩み外来】」2023年9月7日発行

KBI EDUCATION「不確実な時代に必要なネガティブ・ケイパビリティとは」2023年6月21日発行

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