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善意の押し付けの後悔 〜1ヶ月書くチャレンジ Day20〜

いしかわゆきさんの「書く習慣」を読んで「1ヶ月書くチャレンジ」をしています。30個の決められたテーマについて1ヶ月のあいだ毎日書くというものです。

今日のテーマ「Day 20:これまでで1番の後悔」

今でもずっと心に引っかかっている後悔について書きますが、自分でもむかつき過ぎてゲボ吐きそうなので、メンタルの調子を崩している方は見ない方がいいかもしれません🙇‍♀️



私がまだ会社勤めをしていた頃、精神疾患を抱えた友人がいました。

明るく面白い子で、一緒に遊ぶときはいつも元気そうに見えました。

自分が病気になるまではあまり知識も無かったため、その子の見えている部分だけで判断していました。

そのせいで、あまりに想像力に欠ける言動を取ってしまったことをずっと後悔しています。


私はその頃、自分に合わない仕事を無理して頑張っていた時期でした。

ダメな自分を変えようと自己啓発本や動画を見漁りますが、行動に繋がらず焦るばかりで変われません。

毎日ギリギリのメンタルで仕事をしていた私は、今思うと本当にひどいですが、病名がついて休めるのならむしろ羨ましいとさえ思ってしまっていました。


TEDか何かの自己啓発系の動画を見ていた時、人生の中で使える時間を細分化してみると、思ったよりも限られているという内容のものがありました。

その動画の内容は素晴らしいものでしたが、私の活用の仕方が最悪でした。

「あの子は元気そうに見えるのに、全く社会に復帰する気配がない。このままだと何もできないまま人生が終わってしまうのでは?」と当時の自分は考え、なんとかしてあげたいという気持ちに駆られたんです。

次に会って一緒にご飯を食べた時、動画の内容についてその子に語りました。

その内容をその子に、まだ辛い時期のタイミングで話したこと、ぜんぶが間違いでした。



私は自分の問題から目を逸らしたかったんだと思います。

それに、当時はそれがその子のためだと善意のつもりでいましたが、今の私から見れば羨ましさからくる悪意が滲み出ているように感じます。

自分のネガティブな感情に蓋をしていると、思わぬ形で現れてしまうので、これは今でも気を付けるようにしています。

自分が病気になって、あの子がどんな気持ちで私の話を聞いていたのか、全部はわかりませんが少しは想像できるようになりました。

病気にならなくたって、もうちょっと相手の立場になって考えられる人はいるだろうと思います。あまりに想像力が無かった過去の自分が本当に恥ずかしいです。


どんなにメンタル安定に気を付けた生活をしていても、昔と全く同じように活動できるとは限りません。回復には時間がかかるし個人差もあります。

人と会うまでに調子を整えることの大変さや、会った人を不快にさせない元気な振る舞い、会った後の落ちたメンタルを戻す労力。

そして過ぎていく時間の貴重さも、誰よりも自分が1番分かっているんです。

焦りながらも自分のペースを守りながら、あの子なりに一生懸命やっていたんだと今ならわかります。

あの時のことを謝りたいけど、もう二度と私の顔なんて見たくないだろうし、どこかで楽しく生きていてくれたらいいなと思っています。

自分を大切にすることは周りを大切にすることだと身をもって痛感したので、共有させていただきました。

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