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ドラゴンボール超スーパーヒーロー見てきたけど、肌に合わなかったという感想。

映画公開してすぐに見に行ったあとの感想。結構共感の反応もいただけたのでありがたかったです。

これより先、この映画を楽しめた人は絶対に読まないでください。


私はドラゴンボール超を見ていません。原作終了後、東映まんがまつり以外の映画およびアニメオリジナル展開と、コミカライズのDB超も見ていません。ひとえにそれはリバイバル後のアニメにおいて悟飯の活躍が微妙であったことと、元来、私の好きなDBキャラクターは悟飯と、未来トランクスと、未来ブルマであったこと、そして原作の未来編の結び「未来の平和はこれからも守られていくだろう、トランクスがいるかぎり」というナレーションが大好きだったからです(察してください)
DB超には鳥山氏の意向が絡んでおり、今回の映画も脚本を担当されたということでまあこれが公式ですよという話なので、私は公式を受け止められなかった女という話になってしまいジレンマに陥っているのですが極力視界に入れないことと、原作および、無印とZのアニメと東映まんがまつりの映画のみを愛することで細々とDBを愛してきたのですが…
今回、DB超の映画新作の主役が悟飯とピッコロ、そんでこの魔師弟であるということなので…そしてこの二人が好きなら見たほうがいいよというネットの意見もありネタバレ漁りもそこそこに本日映画を見てきました。

結果的には箱に詰めて庭に埋めます。
という状態です…
なぜなのか、悟飯が強くなって闘ってボスを倒しているのになぜこんなにも…辛いのか。
そもそも私が求めているものが何なのかもはやわかっていないのでどうなれば満足だったのかはもはやわからないのでこれはもう気に入らないところをぐちぐちというだけの話なので映画に大満足だった人は引き返してください。申し訳ない。

今回の話はレッドリボン軍がレッド総帥の子供とDr.ゲロの孫によって復活して人造人間が復活してラスボスはセルで、という原作の人造人間~セル編に絡んだお話でした。今回の新キャラのヒーローを模した人造人間の子たちはかわいくて憎めないキャラクターで良かったとと思います。彼らと悟飯の戦闘シーンは迫力があって、久しぶりに悟飯のガチの戦闘シーンが見れたのも本当に良かったし、悟飯の超化した顔が大好きなので良かった…顔が良い…
そんで、悟飯のピッコロさん服の帯が赤くてよいですね。Zアニメだとなぜが青なので。
強力な気功波を弾く悟飯めっちゃ格好いいし、修行してなくてもあれだけ戦えるのすごいじゃん!あとパンちゃんが可愛かった。

で、なんですけども…
なんでピッコロさんは悟飯が修行していないことを嘆いているのか????
魔人ブウ編の時だって修行してなかったこと何も言ってなかったのに。悟飯に本気を出させるためにパンを誘拐させるのどうなの????
いくら論文?が進んでなくても何か培養しているわけでもなさそうだしパンの迎えができないとは思えないし(飛んで行けば一瞬でしょ…)
ブウの時は子供だからで、今は親になったから、という理屈なんですかね…
まあそうなんでしょうけど、DBという世界では強さがすべてなので学者している悟飯はやはり居場所がない…でもさ、悟飯が修行していないことを他者から責められる展開がきついんだよ。よりによってピッコロに????
悟飯が戦うことが好きではない。それはDBっていう闘うのが好きすぎる人たちがいっぱいでできてすぐ地球も侵略されそうになる世界において厄介な設定なのかもしれないけど、悟飯の悟飯たる設定というか。もうなんでいつもいつも責められないといけないのーだったら悟飯がもっと闘うことに自分から前向きになる展開にしてくれたっていいじゃない。

あとですね、今回人造人間編とセル編を引っ張ってくるのであれば、原作のあの話は、サイヤ人の親子の話ではなかったのか。
悟空と悟飯の、父子の話ではなかったのか。
ベジータとトランクスの、父子の話ではなかったのか…と。
原作のセル編はサイヤ人二人が自分の息子を理解し、継承していく話だった。
悟飯が怒りで覚醒するところ、16号を踏みつぶされたところと同じような描き方をしているのでオマージュなのは間違いない。だからセル編を意識しているのにそこに悟空がいないのはどうしてなの。
そしてピッコロは悟飯の怒りによって覚醒する力に期待した悟空を責めて、勝てなくてもいいから俺は加勢すると言ったのに、今回パンを誘拐させて悟飯を誘い出し、怒りからの力の覚醒を促すのって当時責めた悟空と一緒じゃないかと。
そこがもう耐えられなくて。

悟飯は、悟空をしてすべての力をだせばこの世のどんな奴にも負けないと言わしめた唯一の人間です。でも、戦ったら誰より強いとわかっていて悟空は原作の最後で、悟飯に武道大会に出場しろとは言っていない。DB超は見ていないのでどう反応しているのかはわかりませんが、悟空は学者になった悟飯のことを戦闘の頭数にいれていないし、武道会に出ろと言わなかったのが良かった。そこがセル編を経た悟空と悟飯の関係としての原作の終わりなんだととてもうれしかったのだ。
なのに、今回の映画でピッコロは闘えという。いや、このピッコロの役割が悟空にされていたらそれはそれで激おこ案件なんだけど。
話が纏まらないな…

あとね、魔師弟は尊いものだけど、悟空よりもピッコロのほうが、という空気が死ぬほど苦手です、私は。
セル編はサイヤ人親子の話だといいましたが、確かにこの親子は相互理解(理解というか対話)が足りていなくて悟空は間違いを犯しましたが、悟飯はその悟空のことを責めているわけでもないしもっと自分を理解してくれとも言っていないんですよね。(ピッコロは、こんなに苦しんでいるのにお父さんはなぜ自分をたすけてくれないんだと悟飯が思っている、という理由で悟空を責めていましたが、悟飯は自分の力が敵を上回っておりその力で敵を殺してしまうことを怖がっていたのでピッコロの代弁も悟飯の思いとはずれているのです。)
ピッコロの弟子であることを誇りに思っているのは事実ですが、その大前提として悟飯は自分が孫悟空の息子であることが矜持なんですよ、というのは原作のあちこちで言っているんです。
未来悟飯は悟空の影を追って山吹色の道着に身を包んだ。これはあまり前向きな精神ではなかったのかもしれないけど、自分が孫悟空の息子であるというのが彼の礎であることがわかります。
リクームに立ち向かったときにボクは孫悟空の息子だ。お前なんかに負けてたまるかと泣きながら言いました。
クリリンにピッコロのことを尊敬しているんだなと言われたときに「はい、お父さんと同じくらい」と、尊敬の指標が悟空なんですよ。
そして最後、潜在能力開放してもらった後にお父さんの道着で戦いたいと、山吹色の道着で闘うじゃないですか。
悟飯は悟空の息子であることをこれでもかと意識して生きてる。
師弟の絆を描くなら、親子の絆も描いてくれたっていいじゃない。じゃないとピッコロのほうが悟空よりも悟飯の父親~的な空気が世間に漂ってしまう。それが嫌だ。。

そして、セル編のオマージュなら、なぜ、なぜ親子かめはめ波じゃなくて魔貫光殺砲なの!!!!
そこちがうでしょ!!!!!!!!
セルゲームの時にこれは悟空のせいですが二人はかみ合っていなくて結局悟空が死を以て決着させるしかなかった。でも最後に二人ではじめてかめはめ波を撃つことで、この二人は本当の親子になったのだと思っていました。
ここで継承をしたのだと。だから、セル編をオマージュするのであれば、象徴である親子かめはめ波が…良かったんです…今回のシナリオは悟空蚊帳の外ですからそうならないのはわかりますけど、ならばセル編オマージュするのになぜ悟空出さないんだという気持ちがでかい。
いや悟空出したら今なら悟空が倒してしまいますもんね!わかりますよ!師弟愛やりたいならセル編でなくても良かったんじゃないか?となるのです。
なら…なら…悟飯を無理やりパワーアップさせなくてもいいじゃん…
ピッコロの潜在能力開放って神龍でやっちゃうのもどうかと思うしよ…

セル編やるなら、孫親子のことは外せないし、親子かめはめ波も外せないし、ピッコロがかつての悟空みたいなことやってるのも納得いかないし。
もう…もう…ちぐはぐで…

違うんだよ、私が見たかったものじゃあないんだよ、これは…

じゃあ何が見たかったのか、そういわれると難しいし、ただ映画に納得のいっていない古いおたくがぼやいているだけですよ。そりゃね…
DB超が、原作およびZのアニメと地続きですぐにはじまっていたら受け入れられたと思うんだ。こんな時が経ってしまうとあの時と同じ雰囲気の作品が出てくることは稀だからね…わかっているよ。

おとなしく私は銀河ギリギリを見るしかもう残された道はないんですよ。そんなことはわかっている!!!

とにかく寂しい気持ちになった。はい…

ごめんよ、私はやはりドラゴンボール超は肌にあわないんだ。
改めてわかった。

(追記)
原作ではパンに修行つけてるの悟空なんだけど、その設定忘れたのかな。