リチュアルホールケーキ



陽炎を見つめる。
キッチンから漏れる灯りと蝋燭の火が顔を照らし黒いテレビ画面に浮かび上がらせている。

昔の人はこの蝋燭の火で生活していたのかと思うと、『蛍雪の功』って本当か?満月の日以外暗すぎて見えないんじゃないか?と疑問を抱く。

蝋燭の火にしたってこれじゃ暗すぎる。
仏壇に添えるくらいのサイズは欲しい。

明るさだけを求めるなら、神社のお焚き上げとかキャンプファイヤーとか、おっきな炎が良い。
燃え盛る炎の熱さと、向こう側に立つ人の顔がゆらゆらと揺れて見える大きな陽炎が神秘的で好きなんだけど、いま私が見ている陽炎はそれよりもずっとずっと小さなものだ。
これはこれで好き。

蝋がどろりと溶ける。したたってゆくのを凝視しながら、いつもこのあたりで
「蝋がついちゃうから早く消しなさい」
などと毎年誰かに水を差される。
まだ見ていたいのに。
むしろ消したくないくらいだ。

今年は煩わしい音楽もない、合唱もない。
静かな部屋の簡素なテーブルの上に、赤が散りばめられた乳白色の祭壇があるのみ。

いつも思う。これは儀式だ。
ケーキを祭壇に見立て、蝋燭を数本さし、苺はさながら禁断の果実だ。

この火を吹き消し、乳白色のクリームが付着した果実を口に入れたときに初めて私は一つ歳をとるのだ。

……食べなければ歳をとらないんじゃないか?
逆説的老化防止法。
いや、歳はとらなくても時間は進むわ。
時間の概念はそんな子供騙しじゃ変わらない。

そもそも老化が怖いんじゃなくて、時間の経過によって待ち受ける死と自意識の喪失と半永久的な……

…………やめやめ。

ふぅっ、と勢いよく火を吹き消す。


……なんにせよ、食べといたほうがお得だな。
あと何回食べられるかわかんないし。

そして今年もまた思うのだ。
「これくらいなら、一人で食べきれそうだな」と。


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