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車椅子からパラダイス!

コピー用紙一枚の重さは、量れないほど軽い。
一枚ずつ積み重ねることによって10枚、20枚、30枚と重なるのだ。
毎日積み重ねると100枚・・・500枚、1000枚と重なっていく。
そうすると重さが見えてくるのである。
日々の鍛錬は、コピー用紙を積み重ねるようなものだ。
その日その日の効果は目に見える訳ではないが、続けていくうちに見えてくるのである。
だから、効果が見えないからといって鍛錬を止めてしまっては、元も子もない。
目に見えない効果が積み上がり、それまで出来なかったことが出来るようになる。
肉体の鍛錬だけでなく、頭及び心の鍛錬にも同じことが当てはまるのである。

私は生きている限り歩みを止めない。
前を向いて歩き続ける。
進化、向上することが天命なのだ。
世のため人のために役立つことをするのが使命なのだ。
そのために毎日を生きているのです。
下半身不随がなんだ、車椅子がなんだ!
不運なことだけど、決して不幸ではないのだ。
こんなものは軽く笑い飛ばしてやる!
今できることを懸命にやるしかないんだ。
そうすれば、きっと違う景色を見ることができるはず。
それこそが、パラダイス!

1日をエネルギッシュに活動的に過ごすには、充分な睡眠が必要です。
7時間眠れば目覚めスッキリでさわやかな朝を迎えることができると言われています。
体を休め、脳を休め、心を休めるためには充分な睡眠が必要で、睡眠不足は身体と心に深刻な変調を来すそうです。
心地好い睡眠を獲るために私が実践している方法は、起きたらすぐカーテンを開けること、そして窓から外の景色を眺めることです。
人の体にはメラトニンという快眠物質があって、これが増えるほどよく眠れるらしいのです。
この物質、朝日を浴びると増えるらしく、直射日光でなくてもカーテンを開けて部屋を明るくするだけでも増えるらしいのです。
朝の光がメラトニンを増やし夜の快眠を約束するという訳です。
だから、夜の快眠のために、起きたらカーテンを開け、外の景色を眺めるのです。

充分な睡眠を獲って目覚めた後は、一日の活動のスタートです。
アドレス・高知での一日をザックリ紹介しまよう。

一日の大まかなスケジュールはこちら。

6:00~     起床、車イスへ移乗
6:30~7:30  朝の読書(夏目漱石作品)

7:45~8:30  朝食

9:30~10:00  ペン字
10:00~11:00  ブログ執筆
11:00~11:30  トレーニング(リハビリ室)

12:00~12:30  昼食

13:00~15:30  入浴(月木)またはトレーニング(土日は映画)
15:30~17:30  ブログ執筆または読書(土日は映画)

17:45~18:30  夕食

18:30~19:00  日記
19:00~21:30  ブログ執筆または読書(マンガも)かユーチューブ
21:30~      ベッドへ移乗してユーチューブ視聴
23:00~     消灯

下半身不随は、排便排尿障害を伴いますから、その介助が必要になります。
そのために下半身には、オムツカバー、敷きパッド、尿取りパッドを宛てています。
尾籠な話ですが、ウンチ問題とオシッコ問題は下半身不随の者にとっては切実な問題なのです。

私の排泄方法は、
・排便
便を催す感覚ゼロなのですが、便が溜まると腸が蠕動運動を始めお腹の一部が硬くなります。そうすると、看護師をナースコールで呼んで、摘便してもらいます。頻度は1週間に1回。
・排尿
排尿に関しては、尿道括約筋が機能せず、蛇口の栓が閉まらない状態なので、出る尿をそのままパッドでキャッチするようにしています。尿取りパッドを宛がうのです。
尿取りパッドの交換は、一日に8~9回、3時間に1回の交換ペースです。
夜も22時と1時に行います。
時折、尿漏れしてオムツカバーまで全取り替えすることもあります。
水分を取り過ぎると多量の尿が出るし、少なすぎると腎盂腎炎を引き起こす原因となるのです。
最近になってやっと適量が分かってきました。

朝昼夕の食事と入浴時間と消灯時間を守れば、残りの時間はフリーで、外に出なければ、人に迷惑をかけなければ何をしてもいいのです。
ボケーッとしていてもいいし、一日中テレビを観ていてもいいのです。寝ていてもいい。
だらけたければとことんだらけていても構わないのです。
しかし、私はそんな堕落した生活をするより何かに打ち込んで有意義な生活を送りたいと考えています。
何をしてもいいなら趣味を見つけて没頭するのがいい。
読書、ブログ、映画鑑賞等を上手く生活の中に取り入れていくのがいいと思っています。

今後の人生を考えた時、生活の比重を何処に置くか、何に置くかによって今の生活の有りようが違ってきます。
作家、随筆家、小説家、文筆家と呼び方は変われど、文章を書いて生活の活計としたいと考えております故、執筆をメインにして考えないといけません。
とりあえずは、文章修行を主とする生活をするのです。
それが、私にとっての「創造的生活」になります。

ここで、「創造的生活」とは何かを考えていきましょう。

「創造的」という言葉は、分かるようで、分かっているようで上手く説明できない言葉ですね。
まず、辞書に載せてある意味について見ていきましょう。

私の持っている『ベネッセ 表現読解国語辞典』に拠りますと、
創造とは、それまでになかったものを、自分の力で新たにつくりだすこと、とあります。
「それまでになかったものを、自分の力で新たにつくりだすこと」です。
例文として、
①日本人は、中国より輸入した漢字から、片仮名と平仮名という二種類の仮名を創造した。
②変革の時代を担う若者には、自ら学び、考え、創造する力が求められている。
③学問や芸術の世界において、先人の残した古典は新たなる創造の源泉である。
④人間の歴史とは、創造と破壊の繰り返しであったといえる。

中国の古典では、創造とは〈自らの力によってつくりだすこと〉という意味で用いられました。

また、漢語の組み立てからその意味を探ると、
創:創(つく)る
造:物をこしらえる

次に派生語をみて、その意味のニュアンスを探ると、
創造的:それまでにはない新しいものをつくりだそうとしている。
創造性:それまでにはなかったものを新たにつくりだす性質。
非創造的:①単調で非創造的な仕事に飽きる、②これまでの日本の教育は、全体的な水準を上げようとした結果、非創造的な人間を生み出していたのではないだろうか。
創造力:自分自身の力で、それまでになかったものを新たにつくりだす能力。①正倉院の宝物を見るにつけ、古代人の創造力の高さに驚かされる。

辞書の意味をそのまま持ってくると、「創造的生活」とは、それまでにない新しいものをつくりだそうとしている生活、ということになります。

同じ辞書の中に、「創造」の発展的理解のために、評論家・加藤周一の評論を掲げています。

『創造力のゆくえ』に見る「創造」
評論家・加藤周一は『創造力のゆくえ』の中で、古いものの受容の中にこそ創造の芽があることを述べている。
創造する、新しいものをつくるということは、旧いものを忘れて新しいものをその代わりに受け入れるということではなく、むしろ逆に旧いものを受け入れて新しいものをそこに附けたすということだ。徳川時代が極端に保守的であり、また同時に創造的であったのは、偶然ではない。徂徠や宣長が、それぞれ聖王の時代または『古事記』の時代へさかのぼることによって、新しい学問を創造し、(中略)光琳は宗達を、歌麿には清長を忘れて、その代わりに新風をつくったのではなく、学びつくしてそこに新しい要素を加えたのである。

筆者は単純に伝統を賛美しているのではない。むやみに〈新しさ〉を追うことは、外国文化などを次々に「受け入れる」だけで真の創造につながらない、と言いたいのだ。表面だけの新しさでなく、人々の生活の根であり幹である伝統に拠り、そこに新しい花を咲かせることこそが、真の創造なのだ。

何となく分かってきたような感じがします。
ドラスティックな変革ではなく、継続するものに新しい要素を付加することが創造の意義だと述べているのです。
まるっきり新しいものに生まれ変わるのではなく、日々脱皮を繰り返して変わっていくことこそが創造だというのです。

では次に、実際の私の行動をみていきましょう。

1.朝の読書(夏目漱石作品)
起床後車イスへ移乗して、洗面後に机に向かいます。
私の一日は、夏目漱石作品を読むことから始まります。
なぜ夏目漱石か?
千葉から高知に転院してきた2016年当時、盛んに「夏目漱石生誕150年」と宣伝していました。
日本の近代文学といえば、明治の文豪といえば、真っ先に名前が上がるのが夏目漱石で、教科書や国語の入試問題で取り上げられますから、まず夏目漱石を読んでみようと考えたのです。
また、「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」、「草枕」、「三四郎」、「こころ」の題名は知っていても、内容は断片的に知っていても、全体の梗概についてはお手上げ状態で無知と同じだったのです。

・「吾輩は猫である」の最後はどうなった?
・「坊っちゃん」とマドンナとの関係は?マドンナってどんな女性?
・「草枕」の内容は?
・「三四郎」の最後の内容は?
・「こころ」の最後の内容は?

これらについてまるっきり分からず答えられなかったのです。
文豪の作品についての常識的知識がなかったのです。
読んでいないのですから当然です。
そうであれば、読んでやろうと考えました。そして、繰り返し繰り返し読んで内容の深いところを理解したいと考えたのです。
①「吾輩は猫である」
②「坊っちゃん」
③「草枕」
④「野分」
⑤「虞美人草」
⑥「夢十夜」
⑦「三四郎」
⑧「それから」
⑨「門」
⑩「硝子戸の中」
⑪「彼岸過迄」
⑫「行人」
⑬「こころ」
⑭「道草」
⑮「明暗」
主要十五作品を繰り返し読もうと決意したのです。そして十回読もうと決めました。

自分のこれまでの歩みを振り返れば、何事も中途半端で終始し、何かを徹底するということがなかった。徹底すると目標に掲げても、全てが目標倒れで終わってました。100の目標に対して60~70で終わるのです。100やったとか、120やったとか、やり切ったという前例はありません。いつも目標倒れでした。
だからこれからは、徹底すること、突き抜けることをモットーとしてやってやろうじゃないか、と考えました。
その実践の手始めとして、漱石作品15作品の通読10周をやり切ろうと、やってみようと考えたのです。
現在8周目。あと少しで10周完走できそうです。

身につけるべきは、知識より知恵。
漱石作品で知恵を身につけるのだ。
漱石作品を読めば、知恵が身につくのだ。知らんけど。

2.ペン字の練習
ジャポニカ学習帳を使ってペン字の練習をします。たまに筆ペンの練習もします。
ジャポニカ学習帳は、こくご10マス(十字リーダー入り)を使用します。丁度いい大きさなのです。
まず準備運動として、横線、縦線、「三」「川」「永」「辺」の字、五十音、ひらがな五十音
次に、常用漢字(全部で2,136字)の中から2、3字を練習します。
30分くらい神経を集中して書いています。

一般的にペン字の練習の効能は、
①小さな上達の積み重ねを実感できる
②丁寧に字を書くことで集中力が上がる
③練習は昨日の自分に上書きすること
だそうです。

なぜペン字なのか?
それは、単純に字が下手だからです。
元々字が上手くて才能もあるのであればペン字の練習も必要はないのでしょうが、下手なので少しでもきれいな字を書きたいと思い練習するのです。

以前、入院していた頃のことです。
ベッド上でノートに筆ペンでひらがな五十音を書いていましたところ、女性の看護師がたまたまそれを見て、
字が上手ですね、羨ましい。と言ったので、練習すれば誰でも上手くなれるだろうと答えたのでしたがその看護師は、
書道は才能ですから、センスのない人は何やっても上手くならないのですよ、と言うのです。
私は、続けて練習していればきっと上手くなるはずだよとも言いましたが、その看護師には通じませんでしたね。
私も論破することが目的ではないのでそのまま何も言いませんでしたが、書道家がみんなセンスの塊ではじめから字が上手かったとは思えないのです。そこには、懸命な努力があったはずです。それを知っている私はこれ以上話しをする意義を見出せませんでした。

中学生の頃、弘瀬の字は汚くて読めないとある先生に言われ奮起したことが蘇ります。国語の先生にお願いしてひらがな五十音の手本を書いてもらい毎日手本を見ながら書いていました。毎日毎日、あいうえおかきくけこをレポート用紙に書いておりました。
卒業まで続けまして、汚かった字も少しはマシになって読める字を書けるようになりました。
あの手本を書いてくれた国語の先生も、私が毎日字の練習をしているのを知っているので、「あつひろはよう字を書いた。コツコツ続けたき上手うなった」と言ってくれ、母親にも同じことを言ってくれたのでとても嬉しかったですね。
継続してやることはとても大事だと身をもって学びました。
これを契機として、小さなことからコツコツやれば何か出来るのではないかと考えるようになったのです。
この過程こそがダイヤモンドのように輝かしいものなんだと、私は思うのです。

きれいな字が書ければ、素直に気持ちがいい。

3.ブログ作成
写真付きの随想、日記、つぶやき等、形式は問わず自由に執筆して発信できる場がブログです。

思いつく言葉をそのまま羅列するだけでは、文章にはならず詩にもならない。読んでもらう文章になりません。
どう言葉を紡げば文章になって読みやすい文章となるのか、頭の中でいつも反芻します。
何度も何度も書いては消し、消しては書いて最適解を模索しているのです。
頭の中で黙読し、時には声に出して読んでみて、推敲を繰り返すのです。

書いていく内に、文章を紡いでいく内に不思議な感覚にとらわれることがあります。
フワフワしているのに脳は非常にクリアで、文章が、セリフが湧き出してくるのです。
ハイな状態になったのでしょうか。三昧境に入り込んだのでしょうか。ゾーンに入ったというのでしょうか。
時間は気にならない。食事も気にならない。
集中の極致とでも言いましょうか。集中の結果、三昧境に至ったのだと理解しています。
とにかく気持ちいい状態だったことは確かです。
文章が、セリフが降りてくるのです。
いつもいつもそんな状態であればいいのですが、滅多にあるものではありません。

いい文章が書けたときは、素直に気持ちがいい。

一般的に文章を書くことのメリットは、
①自分を表現することができる
②頭の中が整理される
③アイデアが生まれる
だそうです。

4.入浴
週に二回、月曜と木曜に入浴します。午後2時頃です。
髪を洗い身体を洗い、湯水で浄める沐浴です。
これまでに溜まった汚れや垢をシャワーで丁寧に洗い流すのです。
それから湯船に浸かります。
午後の木漏れ日が磨りガラスにあたって柔らかな輝きを放ち、まるでステンドグラスを透した光のように感じられます。
シャワーチェアーに座ったままお湯に浸かってそれを眺めます。
プカプカ、
とにかく気持ちいい。幸せだなあ。

一般的に入浴の効能は、
①温熱効果(血のめぐりがよくなることで老廃物いっぱいのドロドロ血液がサラサラに変わる)
②静水圧効果(全身への穏やかなマッサージ効果を生む)
③浮力効果(全身を支えていた関節や筋肉が重みから解放され全身がゆったりとリラックスした状態になる)
だそうです。

部屋に帰って、積極的な気持ちを付加した新鮮な気持ちで生活に臨みます。
キーワードは、「積極的」と「新鮮な気持ち」です。
入浴のない間に自分の身体と心に降り積もった汚れと垢を洗い流し、リラックスした状態で「積極的な」「新鮮な気持ち」を得るのです。

きれいな体になれたから、素直に気持ちがいい。

5.トレーニング
車イスではどうしても活動が制限され、運動不足になってしまします。
少しでも体を動かすことで、よりスムーズな日常生活が送れればと考えてトレーニングしてます。
トレーニングして歩けるようになりたいと考えているわけではありません。
車イスを漕ぐ動作をスムーズにすること、上半身のパワーをつけて日常生活をスムーズにしたいと考えているのです。

・午前中のリハビリ室では、車イスに座ったまま腹筋ローラーをベッド上で押して引いてを100回やります。

・午後には、外周トレーニングとして、建物外周(1周250m)を10周。または、坂道トレーニングとして、敷地入口の坂道(50m)を10本。
1周は3分30秒ですから、10周すると約40分。
青空の下、爽やかな風を感じながら車イスを漕げればいいのですが、今の季節は猛暑で体温近くまで気温が上昇する環境下では、外に出て運動するのは危険な行為です。気温をにらみながらやるやらないの判断をしていきます。

・部屋でアームバー5回×4
尿取りパッド交換後に負荷の重いアームバーのグリップを握り中央へ押し込む動作を5回します。
このアームバーは、負荷が調整できるので、力がつけば負荷を重くして押し込みます。
ギリギリのところに負荷調節しているのでたった5回といえどもキツイですね。

6.映画
土日祝日の午後に、主にアマゾンプライムビデオ、dTVで映画を視聴します。
今までに観た映画の中で良かったと感じたもの、感動したものを再び視聴することから始め、日本アカデミー賞、アカデミー賞を軸に視聴していっています。
見始めは、医療センターに入院していた去年の春からです。
その時には、何度も手術しているのに治ってくれない傷に対していらだちがあって、映画を観ることでそのクサクサした気持ちを少しでも和らげることができればいいな、という気持ちから観たのでした。

テレビのロードショーで観た映画、小中学校の時に観た映画、高校の時に観た映画、大学の時に観た映画、会社人になって観た映画とあるけど、もう一度観ることで、その時に感じたものの正体に近付けることができるのではないかと考えたのです。また、新しい発見があると期待してもいます。金も時間もない自分が金を払い時間を割いて観た映画だから現在の自分と繋がるものがあるはずなのです。
自分では、いい映画しか観なかった、と思っているわけです。

一般的に映画の効能は、
①感性を磨くことができる
②人生が好転する
③人生の教科書
だそうです。

7.午後の読書、夜の読書

一般的に読書の効能は、
①想像力及び創造力が磨かれる
②脳が活性化する
③仕事や日常のヒントがもらえる
④視野が広がる
⑤教養が磨かれる
⑥読解力が高まる
⑦ボキャブラリーが増える
⑧メタ認知能力が高まる
と言われています。

私が本を読むようになったのは高校一年の頃から。小中学校の時にはほとんど読んでいません。
夏目漱石「こころ」、島崎藤村「破戒」、ドストエフスキー「罪と罰」は一応読んでみましたが感動するにはほど遠く内容すらイメージできないでいたのです。それでも読み終えた後には、得も言われぬ満足感が漂ったことは憶えています。
その後読みやすい本をと、エンターテイメント小説を読み始めました。
大藪春彦、森村誠一は角川映画の影響です。
続けて吉行淳之介、立原正秋を読むようになりました。
大藪春彦、森村誠一、吉行淳之介、立原正秋の本はほとんど買って読みました。

大学生の頃は、まるっきり読書と離れてしまって読んだものは小林秀雄を少し読んだくらいですね。
代わりに読んでいたのはマンガ。
「モーニング」、「ビッグコミックオリジナル」、「ヤングマガジン」はずっと読んでいました。
会社に入ってからは、小説より実用書、ハウツウ本がメインで、他にノンフィクション、評伝、政治の本を多く読みましたね。
マンガも変わらず読んでいました。
変わったところでは、女優高峰秀子の書いた本、関連本。
これ、女優の書いたエッセイでは抜群だと思っています。
あと野球関連の本、プロ野球、社会人野球、大学野球、高校野球に関する本。

ここでは、読むべきものとして、源氏物語、古事記、万葉集、古今和歌集、新古今和歌集、近代小説、現代小説、女流文学を揚げます。
少しずつ読んでいっています。
アマゾンキンドルで電子書籍を購入します。
また、マンガも読みます。電子書籍で購入するのです。

8.日記
夕食後の30分を日記を書く時間に充てます。
寝る前よりも夕食後の方が書きやすいし、忘れることはないのでこの時間に書くことにしています。
その日の行動を振り返り反省するのです。

一般的に日記の効能は、
①脳の活性化
②文章力の向上
③習慣の形成
④自律神経のコントロール
と言われています。

中学から寮生活の私は、1年生のはじめに「三年連用日記」をいただきました。
それまで日記を書く習慣など全くない私でしたが、毎晩2時間の学習時間終了後の自由時間に日記を書くよう指導されてから習慣的に日記を書いてきました。「三年連用日記」ですから長い文章を書くものではなく、天気、体調、今日の出来事、気付いたこと等を簡潔なコメントで記すのです。気の利いたものでなくてもその時に感じたことを素直に書くだけでいいのです。そうすると3年間の記録がその1冊に刻まれるのです。後になってパラパラめくると、俺ってナイスなこと考えていたんだなぁとか、こりゃ人に見せられんぞとか、あの子のこと好きだったんだとかを文字と場面とともに思い出す訳です。
中学を卒業してからは普通のノート、大学ノートに日記を書くようになりました。
毎日書くのがいいのでしょうが、毎日書かなくてもいいことにしています。○○しなくてはいけない、とマスト(~ねばならない)と決めてしまうと心の負担となってしまうのです。2、3日書かなくてもオーケー、何なら1ヶ月書かなくても何の問題もないくらいに割り切った方が長く続くのではないでしょうか。三日坊主いいじゃないですか、三日続くのですから。しばらくしてまた続ければいいです。で、三日坊主、いいですよ。1年経ったら、それは三日坊主ではなくて、1年続けたことなるのですから。
「三省誌」と名付けた私の日記。日記帳アプリを使ってもいいし、ブログにその日の出来事を記すのもいいのですが、大学ノートに手書きという形式に拘っています。手書きで文章を書くことなどそうそうないのですから貴重な機会であるというのがひとつ、頭で整理したものを書くかまたは反対にとりあえず書いてみて書いているうちに頭が整理されてくるのです。
日記を書くことによって文章作成能力がアップしていくのです。文筆稼業を目指す身にとっては最適な練習アイテムと言えるのです。

以上、朝の読書~日記までみてきましたが、そのどれもが自分を成長させてくれるものです。
心の持ちようひとつで、同じことをしたとしても成長できるできないは決まってきます。
時間は止まることはないので、先に進みますが、漫然といたずらに時間を徒過してしまうと何も積み上がらないのです。
一つひとつ積み重ねることは、一つひとつ脱皮していくことになります。
脱皮することで新しい自分になるのです。
新しい自分になること、すなわち新しい自分を創るのです。
そのことが創造といえる。
それを目指しての日々の生活こそ創造的生活であると確信しています。

調子がいいときは歩みも軽いのですが、調子最悪の時や絶不調のときにでも、気持ちだけは切らさず這いつくばってでも前に進むのだという気概でもって1ミリでも前に進みましょう。
後で振り返ったときに、あのときに止めなくて良かったと必ず思うはずなのです。
そしてまた、自分を叱咤し激励するのです。

頑張れ、俺!
負けるな、俺!
まだまだ!もっともっともっと!!

それでは、みなさま
ごきげんよう。

2022年8月16日自室にて

弘瀬厚洋

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