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拝啓、車椅子の俺へ 第一章 その参


(GoogleEarthより)

中学生の時期を寮で過ごせたことは、心身の成長のためには良かったと思ってます。
公立中学校の寮は、当時も今も珍しいと思う。
私立の中学の寮は聞くけど、公立の、町立の寮は聞かないから本当に珍しい。
実は、中学受験で全寮制の私立中学を受けた。
結果は不合格だったが、それで良かったと言える。

中学校とは道路を隔てて隣接していた。
正門から徒歩1分だ。
階段を上がった丘の上に建物はあった。
鉄筋コンクリート2階建てで、1階が男子、2階が女子の居室だ。
全校生徒約700人の1割、約70人(男女共)が共同して集団生活を送るのです。
玄関入ると正面には全員が着席できる食堂があります。ここで朝・昼・夕の食事をします。集会もここで行います。
玄関右手に事務室。舎監の先生、寮母さん、保健師さん、栄養士さんの詰め所になっています。
玄関左手にはずっと寮室が並びます。
室の前には洗面台と蛇口が長く延びています。
廊下一番奥には娯楽室という名の和室がありました。
食堂の脇には小スペースがあって裏玄関、奥に向かって、洗濯室、風呂場脱衣室と続きます。
寮室は、約8畳で机(デスクスタンド、上方に本棚)椅子、二段ベッド(木製で畳敷き)、洋服ダンスが備え付けてあった。

小学校を卒業して初めての集団生活になるので、不安が大きくホームシックに罹って泣く生徒も多い。
俺はのほほんと楽しくやっていました。
週末土曜日に家に帰り、月曜日に寮に戻ります。
舎監の先生2名と寮母さんが平日の親代わりです。

寮費は、月千円でした。
これは遠足のための積立用で、実質的にはゼロ。
つまり、食費も光熱水道代もゼロということです。

外出は週1回。
駅前のスーパーに買い物に行く程度です。
小遣いは、週250円。

毎日の主なスケジュールは、
 6:30起床。
  前庭集合、整列して点呼、ラジオ体操。
  冬はグラウンドまでランニング、トラック一周
 7:30朝食
12:00昼食
18:00夕食
19:00学習開始
  ~(休憩時間に菓子パンの夜食)
21:00学習終了
22:00消灯
・夕食前後に入浴します。
・夕食後に、必ず2時間の学習時間があります。

朝早くから体操したり冬場にはランニングする姿を見た同級生からは、まるで少年院みたいだと評されたが、中にいる俺からすれば結構自由で楽しく過ごしていた。
週に1回は外出して買い物ができるし、年間行事でバーベキューはあるし、遠足もあったし、クリスマス会もありました。結構楽しく過ごせたと思っています。
そして、しなやかにしたたかにやってました。

<夜中のカップラーメン>
3年生の春。
洗面所の蛇口の中に熱いお湯が出るやつがあると誰かが言っていた。蛇口を開けてお湯を止めないことがコツだそうで、そうすることにより熱いお湯が出てくるらしい。ようそんなこと見つけたもんよ悪知恵が働くもんよと感心した。夜中12時過ぎて勉強していればお腹が減ってくるから何か食べたい、カップラーメンが食べられるのであればこんないいことはない。で、やってみた。アツアツのお湯とまではいかないがしっかりお湯が出た。それで作ったカップラーメンは、罪悪感が調味料となり一層美味かったことは言うまでもない。

<四万十川の川下り>
3年生の夏。
1学期の期末テストが終わった頃の出来事。
その日は、夕方にバーベキューをすることになっていて、それまでの午後の時間はフリーでした。
先生が前庭にゴムボートを出してきて、空気を入れたり破損箇所はないかと点検したりしていました。
それを目にした俺は、ゴムボートで近くにある四万十川を川下りしようと思い立ち、先生にお願いしました。
そしたら、いいよと快諾してくれて、寮室メンバー4人で四万十川まで500mをボート担いで歩いて行きました。
五社に通じる道の途中にある、四万十川中流の橋の下からスタートして、1.5キロほど川を下って次の橋をゴールとしようと道すがら話し合ってました。
先生からは、絶対に水には入るなと言われていました。それを条件にゴムボートを貸してくれたのです。
最初は、緩やかな流れなので、オールを漕いで進みます。
バラバラに漕いでもちゃんと進むわけがないし、クルクル回ってしまうし。
下流の橋までのルートがどうなっているのか知っている者は誰もいません。
流れが急なところがあるかないかも知らない。
出たとこ勝負だ。
しばらく行くと浅瀬が見えた。
白く波立っているのは流れが早い所だ。
「しっかりボートに捕まっちょけよ!落ちなよ!」と俺。
「行くぜー!」
流れが早いからボートのコントロールが効かない。クルクル回ったり岩に乗り上げそうになったり。
「その岩を突け!」まさに難所。
水がかかって濡れるしバランス崩して落ちそうになるし。
そこを切り抜けると後は緩やかな流れになって、ゆっくりと下の橋のたもとまで進んで行ったのです。
そこがゴール。河原に上がりボートを引き上げ、1キロほど歩いて寮に戻りました。
少しの間だったけれど、アドベンチャー気分に浸かれた貴重な時間になった。

<寮長>
3年生の時に寮長をやることになった。
一人立候補して寮長をやりたいという奴がいて、そいつが寮長になるのは面白くないから対抗して出てくれと言われ推薦を受けて選挙に出た結果、そいつより票が上回ったので、俺が寮長になったのだ。
寮生の代表という立場で、寮生のまとめ役、先生との橋渡し役で、毎週の寮会で、行動目標を決め、反省することをしてました。
いい寮長だったかは分かりませんが、一生懸命に務めたとは言えます。

40年以上前の一時期、中学時代の3年間をこの寮で過ごせたことは、私にとって人生の宝物を手に入れたようなものでした。
山の小学校、海の小学校出身の見ず知らずの生徒同士が同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べる。
恥ずかしがって話もできなかったのが、「お茶取って」とひと言喋るようになり、段々慣れて部活のこととか言うようになり、テレビのことも話したりしながら、その内に自然と会話するようになっていく。そして、その輪が広くなる。友達の輪。

入寮した初日の入浴で、上級生から洗ってからお湯に入れと指導を受け、洗濯室では、洗濯の仕方、手洗いの仕方を教えてもらい、夜になると、ドアの開け方、閉め方、歩き方を教えてもらいました。
食事の配膳方法、下膳の仕方、ベッドメイキングの方法、洋服の仕舞い方、アイロンのかけ方、ボタン付けの仕方等生活の基本を教えてくれました。
上級生が集団生活の基本を教えてくれたのです。
人に迷惑をかけない行動を身をもって教えてくれたのです。
寮長という寮生のまとめ役も経験することができた。
だからこそ人生の宝物なのです。

→つづく


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