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トウカイテイオー、奇跡の復活。鞍上の田原はどう見たか…。

1993年有馬記念。トウカイテイオーが奇跡の復活を起こしたことは皆が知っている事実であろう。しかし間近で見た騎手はどう見たのかということはあまり知られていない。騎手である田原成貴に関しては、前述した事件によってあまり情報が少ない。今回、投稿者は田原成貴が書いた書籍を入手したのでテイオーの有馬記念に関する情報を田原騎手のなど思いを踏まえながら紹介していこうと思う。

トウカイテイオー2


1993年の競馬シーンは劇的なものが多かった。BNWと称された三強対決に加えて、柴田政人のダービー制覇、メジロマックイーンの引退などなにかと話題が多い一年であった。そしてその一年の締めくくりとなる有馬記念で最高のドラマが展開されたのはみなさん知っての通りだろう。
トウカイテイオーにとって一年ぶりの競馬となる有馬記念は、強敵も多かったしテイオー自身の怪我もあり、自分と他馬との戦いでもあった。強敵としては菊花賞を制し最も勢いがあったビワハヤヒデに加え、ダービー馬ウイニングチケット、ジャパンカップを制したせん馬レガシーワールド、天皇賞春でメジロマックイーンを破ったライスシャワー、2冠牝馬ベガなど対戦相手は強敵だらけであったし、テイオー自身も前年1992年の有馬記念の後も左中臀筋を痛めて休養、その後宝塚記念を目標に調整が進められたが、その直前で骨折してしまい宝塚記念は断念した。そのような苦難を経た上でやっと辿りついた有馬記念であった。鞍上は去年と同じ田原成貴。田原は「この馬は絶好調である必要はない。普通でありさえすればいい」と語った。しかしこのレースの田原騎乗はすんなりときまったわけではない。テイオーサイドとしては、最初にテイオーのJC時の鞍上であった岡部騎乗を打診したが、岡部サイドはビワハヤヒデを選択した。武豊も候補にあがったが、最後には田原の騎乗が決まったのであった。そんな経緯があったのだから、有馬記念という舞台で、田原の胸に期するものがあったとしても何ら不思議ではないだろう。しかし競馬マスコミの目は冷ややかなものであった。一年ぶりに出走するトウカイテイオーに半信半疑の目を向けていた。それもそのはず。前年のレオダーバンも怪我をしてしまい長期休養明けぶっつけで有馬記念に参戦したが惨敗…。競馬のセオリーでは長期休養明けの馬は走らないというのは常識であろう。さらには1993年の有馬記念は強敵が多数存在していたため、トウカイテイオーを買う要素が何一つなかったのである。この競馬マスコミの世論は東スポ競馬のトウカイテイオーの記事で当時の新聞や実績を踏まえて紹介しているのでぜひ見て欲しい。
しかし鞍上の田原は

「トウカイテイオー、今日良い勝負するぞ」

と叫びたくなるくらい絶好調の調子だったという。調教もよくて新聞とは裏腹に田原は好勝負を確信していたようだ。
そんなトウカイテイオーは皇帝のプライドなのか知らないが、4番人気という帝王にふさわしくない人気に奮起して有馬記念では激走を見せることとなる。思えばジャパンカップも5番人気で世界の強豪馬相手に勝ってしまったのだから、テイオー自身も人気がないのが許せなかったのかもしれない。ともかくトウカイテイオーは「奇跡の復活」をこの有馬記念で成し遂げたのである。
そして鞍上の田原は声を震わせながらインタビューで答え、トウカイテイオーの素晴らしさを讃えた。鞍上の田原は謙遜し、「トウカイテイオー彼自身の勝利だ」と語り涙ぐむのであった。
これは田原成貴の著書でもある「競馬場の風来坊」でもトウカイテイオーに対する思いをつづっており、テイオーへの思いというものが伝わってくる。この本ではトウカイテイオーは有馬記念の後天皇賞秋に向けて再始動のときに書かれたエッセイなどもありなかなか貴重な資料だと思う。しかし奇跡の復活後の天皇賞秋は競走生活に響く骨折によって断念。最後に田原はエッセイでテイオーへのはなむけとしてこのような言葉を贈った。

「騎手として、あなたに出逢い騎乗できたことは、なによりの幸せでした。そしてあなたを勝利に導けたことを誇りに思います。あなたと一緒に駆けた、1993年12月25日、有馬記念での2分30秒9は、私のこれまでの人生でもっとも充実した素晴らしい時間でした。そんな素晴らしい時を、私に与えてくれた、あなたに感謝します。」
「あなたのおかげで、競馬のことが、少しだけわかってきたような気がします……。」
「ありがとう。トウカイテイオー。」

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