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園田競馬のアナウンサーが反マスクで解雇、コロナ禍と陰謀論について

コロナ禍というものは大きな分断を巻き起こす。今回園田競馬のアナウンサーを辞めたアナウンサー竹之上次男氏が園田競馬のアナウンサーを退職。これから反マスクの無職で声が良い51歳になるようであるが、その先どうなるのか心配である。
どうやらマスクをしたくなくて、退職したあるいはクビになってしまったそうであるが、竹之上氏の意見を見るとまぁわからなくはないし、かわいそうな部分もある。
マスクを強制させられるという雰囲気はよくある。僕もどちらかというとマスクは苦手であり、よく競馬場で鼻だけマスクを外しては度々職員に咎められて怒られる経験があるし、過剰なマスク信仰というのは正直なところ苦手である。しかし、マスクは厚労省やWHOなどの様々な国々で効果が実証されており、実際に日本がコロナ禍であまり感染者数が欧米の人々よりも抑えられているのはマスクや消毒などの感染症対策の結果であるということがわかっているのは明らかな事実だ。
しかし厚労省やWHOなど大きな医療組織などマスクが効果的という声明をしているのにもかかわらず、竹之上アナは鼻の機能やマスクが感染症対策への予防にならないとしてマスクに関して文句を言っているそうだ。
竹之上氏のマスクに対する考え方はこのページで書かれているが、彼は厚労省の言うことを曲解してるフシがあるように思えるのは事実だ。
まず人がマスクをするのは感染症を自分から相手への感染拡大を防ぐためだ。潜伏期間というものがあるため、無症状でも人に移す可能性がある。だからこそマスクをつけてみんなで予防できるよう推奨されているのが今の世の中だが、彼はそれを曲解して「マスクではウイルスを防ぎきれない。そして、症状が出ていない者同士ではマスクは意味をなさない」としている。それは、ウイルスなんて防ぎきれないだろうし、無症状の人とはマスクをつけても意味がないのは当たり前のことだろう。無症状であっても人に移す可能性があるからマスクの着用が求められているのに、それを無視・曲解してマスクをつけなくてもいいこじつけにしている時点でこの主張には疑問符がつく。

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さらには免疫力を高めるために、鼻を出した方がいいし、マスクシンドローム?というのにかかるからマスクを外したほうがいいんだ

こう竹之上氏は主張しているが、参照記事を見ると、株式会社ロッテの医療記事で表情筋が…という記事を引用しており、(おそらくこれは健康食品であるガムを売りたいからロッテが宣伝のために書いていると思われる)ソースが少し怪しい情報を参考にしていたり、マスクで酸欠になり免疫力が低下するなら、マスクをつけないことよりも免疫力を上げる食事や運動をして口呼吸にならないように気をつけるべきなのではとツッコミどころがある。
とはいえマスクを強制させられるような今の時代はいやだろうなと同情する面もある。実際にマスクが苦手でしょうがないなら、マスクをつけない自由はあると個人的に思う。しかし自由が認められるのは人に迷惑をかけないときだけであり、さらに彼がいけなかったのは園田競馬のアナウンサーの立場で反マスクを推進しているというところであろうと思う。
まず、競馬場という公営競技という催しで、園田競馬としてはクラスターが出ないように、検温やマスクの着用、入場制限などをしてコロナ禍での競馬を続けようと模索してきているのである。興業としてやる以上、感染症対策をバッチリにしてなんとか競馬を続行しようと日夜考えてるのであろう。しかし、そこでマスクはしません、マスクは意味ない、自己免疫を信じようと【園田競馬のアナウンサー】という立場で主張したら、コロナを抑えて競馬を催したい園田競馬にドロを塗っていることは誰の目から見ても明らかである。彼は匿名かあるいは所属組織とは関係ない、または所属組織の方針に従いさえすれば、おそらく反ワクチンであろうが、反マスクであろうが、反自粛派であろうが、たぶん許されてたと思うし、日本は思想の自由があるので大事にはならなかっただろう。実際僕も信条としてはネオリベラルで一貫して過度な自粛反対であるし思想には同情する面もある。しかしその思想が許されるのは社会や組織の方針に背かない時だけである。彼は競馬場でのルールに背いたので解雇されたということなのだろう。こればかりは自分で招いた始末であり陰謀論に染まってしまったため竹之上氏に同情はしない。解雇も当然といったところである。

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人が陰謀論になぜ染まるのか。Twitterの恐ろしさ
竹之上次男氏は、反ワクチン・反マスク派であることをTwitterで発信しているが、正直言って辞めた方が良い。Twitterの言論というものは基本的にむちゃくちゃであり、議論にはまったくもって向いてないアプリである。というのも反対意見は簡単にブロックできるし、140字しか1度に書き込めないし、人格攻撃系が伸びるという議論において最悪の環境である。仮にきっちりとした反論を差し込んでもブロックされたらおしまいだし、なによりも複雑なことが書き込めないのが悪影響であると私は思う。
竹之上次男氏は「これまでは疑問に感じながらもためらわれていた「いいね」や「リツイート」を押して欲しい。それがあなたのタイムラインに流れることで小さな波紋が生まれ、やがて大きな波になり、遂には世の正常化へのうねりとなるのです。」と言っているがTwitterの影響力など世の中では少数であることを理解した方がよい。よくトレンドで国内政治でよく下品なハッシュタグがついて、気持ち悪いと思うのだが、そんなものを参考にしているのは実は数%ぐらいしかいない。とある記事の引用だが

「Pew Research Centerは今回、2018年6月~2019年6月の調査期間に、公開状態のTwitterアカウントを持っていた米国在住の成人2400人あまりを無作為に抽出し、そのツイートを分析した。調査対象者が投稿したツイートの数は計110万件を超えていた。調査結果によると、その1年の間に、国内政治に関するツイートを1回以上送信していたユーザーは全体の39%に達していたものの、こうした国内政治に関するツイートの97%は、わずか10%のユーザーから発せられたものだったという。」

つまりTwitterアカウントを持っているのが4割で国内政治のことをつぶやいているのは約10%とするとグループの中で約4%の狭いグループの中で、くだらない政治家の誹謗中傷や下品なハッシュタグが起こってるわけである。
あの記事はアメリカ政治の話であるが、日本政治でも同じく「#安倍晋三の不起訴処分に抗議します」の拡散の半分は3%のアカウントによって行われており、「#(自民|立憲民主)党の解党を求めます」ハッシュタグどちらがよりエコーチェンバーか比較してみたでも結論では「どちらの陣営もエコーチェンバーの中で盛り上がっているだけ」という結果である。
このような結果を見れば、反コロナ運動をやってところで大抵の人には何も響かないし、むしろ「いいね」や「リツイート」よりも心の「ドン引き」ボタンを押されていることに気がついた方がよいと思う。しかしTwitterには「ドン引き」ボタンはないうえ、「いいね」や「リツイート」といったごく狭いコミュニティの称賛があたかも自分の名声のように勘違いしがちなのだ。
その結果何が起こるかというと、世間とは隔離されたコミュニティの中で、世間の常識・社会のルールから離れてしまうわけである。このようなよく言われる「分断」というものはこういったSNSのエコーチェンバー現象にあるといって良い。SNSは今までなかった同じ趣味や同じ価値観のある人と気軽に繋がれる良い利点をもたらした一方で、エコーチェンバー現象やフィルターバブルにはまってしまうのだ。それはやがて陰謀論をもたらし、自分だけが真実であると信じ込んでしまうのである。もちろん周囲の制止や話は聞かないだろう。(しかもこういう人はいつも怒っているので周りから人がいなくなってしまう…)

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陰謀論で怖い「マトリックス現象」
竹之上氏は「この騒動の中で、同じ価値観を持った人たちとも多く出会えたし、これからさらにそういう人たちとの出会いも待っているはず。それだけを考えてもワクワクする。」としている。世間から隔離されたまま、自分だけが目覚めた人間であるとする、いわゆる竹之上次男氏には「マトリックス現象」が起こっているであろうと推測する。
この「マトリックス現象」というのは自分の造語なのだが、陰謀論や極論でよく「目覚めた!私こそが真実を知っている」といういわゆる映画マトリックスに似た(マトリックスでは人間が仮想世界に生きている設定であり、主人公はロボットからの解放を目指している)痛い人になってしまうという現象である。
この現象が起こると、自分が真実を知ってると思い込んで、相手の話は真実でないと言うことを聞いてくれなくなり、その結果残るのは自分だけが真実を知っていると思い込む痛い人たちである。
無論、真実であると思い込むのは勝手だが、映画マトリックスと違い、現実は残念ながら現実である。その結果、自分の信じ込む世界が真実だと思い込み自分の世界に引きこもる人ができてしまうのは皮肉だなと思う。

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現実でも起こりうるマトリックス現象
この現象は誰にでも起こりうる現象であり、このnoteを見ている貴方にも当てはまるかもしれない。特に自分の知識に自信があって、自分のエゴが強い人間、すなわち自信家でエゴイストな人間ほど当てはまりやすい。世の中を疑ってかかることは大切だし、全ての人が真実であるようなことはないだろう。自分の身の回りにいる中では自分の父親がそうなのだが、父はとても優秀で頭が良く、かなり地位があり、素晴らしい父親だと思う。ただ父は「優秀であるがゆえに」、インフルエンサーのことを真に受けがちな人間であるのだ。例えば、ホリエモンもひろゆきも有名であり、説得力はあるが全てに専門性があるわけでなく、単なるインフルエンサーの一人にすぎない。ところが、父はそれを全て鵜呑みにして、やれひろゆきのアレコレだのホリエモンのうんたらだの言ってきたフシがあった。それだけなら笑えたのだが、最近は尾身会長がどう、百田尚樹の日本国記が真実だ~、永江一石さんの馬鹿馬鹿しくて根拠のないコロナ論を参考にしてるのは正直うんざりしてしまう。
無論、尾身会長は医療のスペシャリストで、百田尚樹さんは小説のスペシャリストで、永江一石さんは経済?ITのスペシャリストである。無論、僕も彼らの能力は評価しているし、素晴らしい人だと思う。だが、百田尚樹さんが歴史を書いても歴史小説として歴史家の反対を受けているので説得力に欠けるし、永江一石さんは経済やITの知識は豊富だが、医療知識があるわけではない。
それなのになぜこういう影響力のある素人の意見を聞くのだろうか。それは自分にとって納得できる理屈が優先され、専門性の知識が大事にされていないのだ。
父親にとって影響力のある素人の都合の良い意見や他人に賛同してもらえる意見ばかりを集めていて、自分の知識あるいは自分の能力に自信があるゆえに専門性がおざなりになってるフシがあると思う。しかも能力があるので余計にその情報を信じ込んでしまうのだ。でも父の場合は、それを他人に押しつけないし、マスクもするし、他人に迷惑をかけないし、まぁ思想の自由ってことで良いかもしれない。
これは実は僕にも当てはまる。僕は競馬で多額の損失をだし、あげくの果てには、レンタカー代7万円を賠償させられ、向かないパチンコにも手を出し11万円も今月無駄遣いをしてしまった。クズ野郎である。

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僕は仕送りを貰っている父親のことをどうこう言える立場でないのは承知のうえでこの話をしているが、僕も予想は常に逆張りで競馬新聞をまったく参考にせず、自分の主観とフィーリングだけで馬券を買い、専門性のある競馬記者の話を無視して買うのでいつまでたっても馬券は当たらないし、ズブの素人なのにレンタカーにも手を出して多額の賠償を支払い、さらにはまったく知識のないパチンコまで手をだし、なぜか根拠のない自信で支えられているギャンカスのため損をしまくっているのだ。それも自分で納得いく理屈で構築された雑な考えで、カネがないのに「今度は当たるであろう」という根拠のない自信によって損をするのだ。自分で言うのもなんだが、馬鹿だと思う。何が言いたいかというと、人は誰も自分の世界だけで構築された「偏見」・「マトリックス現象」というものがあり、その世界では専門性・あるいは社会のルールを無視し自分の理屈が優先させてしまい、損をするなどの非常識な行動に出てしまうのである。
無論これが単なる自分だけが被る被害であり、単なる痛い人ならば、それはちょっと周りから外れてる人で済むだろう。しかし反コロナ既製論や自分よがりの政治思想まで行き、他人と関わりあいが出来なくなるまで行くと大変まずいのである。
こうならないためにも自分は無知であることを知る「無知の知」を知ることが大事である。ガリ勉童貞の偏差値70に女をイカせる方法を聞いたところで女をイカせられないだろうし、中卒のチャラ男に共通テストで9割取れと言われても難しいだろう。そういう「知ったかぶり」をやめて、自分に知ることには限界があると思うことで、こういった「エコーチェンバー現象」や「マトリックス現象」から解放されるのだと思う。無論わたしはこれからもギャンブルに無知なため多額の損失を出すのだろうが…
自分の話が長くなったが、陰謀論というのはそれだけで害悪であり、竹之上氏も閉じられたコミュニティの中で自分だけは…と長年のライフワークでもあった「競馬」を離してまで主張し続けるのである。きっと彼はTwitterなどの狭いコミュニティで反コロナ既製論のツイートをし続けるのであろう。本人が幸せなら僕はそれでいいと思うのだが、少なくとも彼が輝ける場所はそんな狭くてくだらない反マスク派ではなく園田競馬場なのでは?と僕は思う。

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