1983年生まれのアラフォーがどのような流れで20代で和田アキ子が好きになったのかをお話します。


 歌手:和田アキ子再評価の流れは定期的に来る感があるんですよ。
 僕のように「バライティーの和田アキ子はなんか嫌だけれど、歌手としては歌も曲も好き」という層は元々潜在的にとても多いと思ってますし。
 和田アキ子は基本的には善人なのだと感じます。
 と、同時に鈍い方なんだろうとも思ってます。
 バライティー番組におけるトークで求められるような機転が利かなかったり、あるいは素直な疑問や思いを口にして周囲を動揺させたり、進行を遮ったり。
 そういった面を面白おかしく扱える方がいれば良いのですが、なまじキャリアのありすぎる方なので、出演者総掛かりでフォローに入らないといけないような状況になりがち。
 バライティー番組における和田アキ子は黒柳徹子やタモリと共演して、振り回されているときが1番面白いです。
 パワーバランスの問題ですね。
 徹子の部屋出演時によく披露されている話題なのですが、黒柳徹子からよく靴を貰うものの、一度もサイズの合う靴をもらったことがないというエピソードは何度聞いても面白いです。
 「強い」とか「でかい」といったキャラ付けからご本人が遠ざかって立ち振る舞える場や共演者がいると、のびのびしてますね。
 サービス精神から頑張って面白いことを言おう、しようとしている和田アキ子はバライティー番組という場での心構えや心がけとしては正しいはずなのですが、良い方向に行かなかったり、塩梅が違っていたり、必要ないことを口にしてしまったりするという印象です。
 平たく言えば向いてないことしてるっていうことだと思ってはいますね。
 バライティー番組についてはそのような印象を抱いていますが、インタビュー番組に出演した際の和田アキ子は良いです。
 特にNHK。
 やはり少々固い内容のコンテンツに関してNHKは良質な内容を届けてくれることが多いですね。
 荒くれ者だった少女時代に差別や偏見、非人道的な扱いを受けた人々の思いを歌というかたちにして訴えたR&Bという音楽があることを知りとてつもなくショッキングな思いを抱いたと共に、R&Bを歌う歌手になりたいと決意し、不良から足を洗いスナックやバーで歌わせてもらうようになったというエピソード。
 当時はまだ世に知られていないジャンルだったがどうしてもR&Bが歌いたかったという思いや熱量。
 ボイトレの先生が自分より若い人ばかりになってしまったが新しい発声などをきちんと学びたくて指導を受けていることや、R&Bというジャンルは歴史と深く結び付いた音楽であり、その歴史や音楽としての特徴を説明することや、理解することは時間がかかるものだが「魂を伝える、思いを訴える」その心があれば、どんな歌でもR&Bであると自分自身は思っていると述べるなど、歌手として和田アキ子がどのような考えや思いを持って歌と向き合っているのかを語っていたりします。
 歌手という点にきちんと焦点を向けているインタビューを受けている和田アキ子はとても歌に対して真摯な思いを語っており実に良いです。
 

 さて。
 ここからが本題です。
 前置きが長かったですね。
 僕が20代前半の頃にどのような流れで和田アキ子にハマっていったのかですが、これはとてもわかりやすいと思います。
 小西康陽が和田アキ子に「真夏の夜の23時」という曲を提供したこと、そしてピチカートの「悲しい歌」をカヴァーしたこと。
 好んで曲を聞くような方ではなかったのですが、ビッグネームアーティストの中では非常に身近な存在であり、歌謡曲路線の曲である「あの鐘を鳴らすのはあなた」などの有名な曲は当たり前のように知っていました。
 そして「古い日記」に代表される、今になって思うとR&Bを当時のリスナーが好めるかたちにどう落とし込むかという試行錯誤で産み出されたのではないかと思う「和製R&B」曲に関心があったため「ダイナマイトソウル アキコワダ」という歌謡曲路線で世に認知される前後の和製R&B曲をライブ音源も交えて収録しているアルバムを聞き、どこかのスナックで和田アキ子が熱唱しているかのような場末感の強いパワフルな内容に圧倒され、ファンになりました。
 もう虜です。
 

 和田アキ子に対して僕が好感を持っている点として「きちんと新作を発表し続けていて、コラボやカヴァーなども行い、R&Bや歌謡曲以外のジャンルへの挑戦もし続けている」という点があります。
 大御所ともなるとベストアルバムがリリースされる、そしてまたベストアルバムがリリースされるというループになっていて、新作の発表がほぼ無いという状況に陥ってたりすることがあるのですけれど、和田アキ子は1年に1回はシングルなりアルバムなりをリリースしてくれます。
 紅白歌合戦に出演していた頃はセールス不振について心ない言葉を浴びせる方々もおり、僕も正直なところ「新譜出しても売れてはいないのに、新譜をリリースする資金はバライティー出演とか所属事務所でどうにか工面しているのかなぁ」とか思ってはいましたが。
  ただ、セールス不振に苦しんでいても、レコード会社の移籍が続いても(おそらくセールス不振のせい)きちんとコンスタントに新譜がリリースされてるのはファンにとってはありがたい以外ないです。
 所属事務所の事情やセールス不振が大きいとは思うのですが、ボイメン研修生とのコラボ曲として「愛を頑張って」というシングルをリリースしたんです。
 これが面白かったんですよね。
 男性アイドルが歌うことを想定して作ったであろう曲を和田アキ子が歌う面白さ、興味深さがありました。
 カップリングに和田アキ子だけが歌ってるヴァージョンが収録されているものもありますので、良かったら是非。
 邦楽洋楽問わずカヴァーにも精力的に挑戦していますし、若いアーティストとのコラボ曲を発表したり、楽曲提供を受けたりもしています。
 歌手としてきちんとしているんですよね。
 90年代にポンキッキーズで「さぁ冒険だ」という童謡のようにも聞ける曲を歌い、それくらいの時期に和田アキ子再評価の流れってあったんですよ。
 で、00年代に入ってから小西康陽プロデュースによるアルバムを数枚リリースしたことによってまた再評価の流れがあったんですよね。
 そして、2010年代になると紅白歌合戦当落問題絡みで良くも悪くも注目され、歌手として有名な名曲を複数歌っていること、まだまだ衰えない声量、見聞きしたことがない方より馴染みあるキャリアの長い歌手の馴染みある歌を聞きたいといった考えを持つ人々もいた点などから、歌手としての和田アキ子に対して再考するきっかけとなり再評価の流れがまた生まれました。
 知名度はあるのにセールスには恵まれない和田アキ子のために「記録より記憶に残る和田アキ子にしか歌えない曲を」と阿久悠先生が製作なさったのが「あの鐘を鳴らすのはあなた」ですが、本当にそういう歌手になれた方なのだろうなと。
 2020年代に入るとMr.シャチホコの登場で風向きが変化し、ヨナヨナが話題になりスマッシュヒットにも恵まれ。
 安室奈美恵がセールス不振に陥ってから、試行錯誤の時期を経て、R&Bやコンサート中心の活動にシフトし、メディアから距離をおき、やりたいことや良いと思うことを地道にやり続け再評価され、また曲がヒットし始めて再ブームが起きた流れをどことなく思い出します。
 続けることや挑戦することの大切さですね。
 迷うことや不安なことがあったとしてもぶれないものをきちんと心に持っておくことが大事だということを教えられます。

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