2020/10/21
昨日は子の授業参観へ行く。
人権学習だそうで、それぞれ考えが違っても良いんだよと伝える授業。
気球に乗って遠くまで行く時に持っていくのは?
飲み水、食べ物、家族、友達、お金、音楽、ゲーム、ボール、病院、本、洋服、学習道具から、大事なものを4つ選び、最後に1番大事なものを選んで、それぞれ違うよね〜を味わう授業であった。
家族と答える子が多かった。
子どもらからすると家族、親は食べ物(をもってきてくれる人)みたいなもんだ。
家族が来てるから気つかってるのかもねと言うと、夫は純粋な気持ちで言ってるでしょと言う。
細かい設定が分からないので、何を選んだらいいか悩む。
どのくらいの日数飛ぶのか?
どのくらい遠くにいくのか?
途中で地上に降りられるのか?
1番大事なものを選ぶ状況ってどんなん?
日々の選択は、なんとなく(習慣)と必要に迫られてということが多い。
今朝もコーヒーを飲む。
いつものパーカーとリュックで仕事に行く。
文章を書くのがしんどい。
わたしの思考は切れ切れだから。
それをそのまま書いていれば、すらすら流れるようになるのかも、と思いながら書くけど、流れはすぐに止まる。
言葉が苦手だ。
会話が少ない家で育ったからかもしれない。
もともとの傾向かもしれない。
それでは困るからと、子にはよく話しかけるようにしたら、よく話す子になって話をするのがしんどい時がある。
だからって、黙ってばかりいると言葉が自分の中でうるさくなる。
それで書いている。
書いているとすっきりしてくる。
そういう時はしんどくない。
しんどい時はまとめようとしている時かも。
これはどういうことなんだと分析するような。
思うままそのままを出しているのは、しんどくない。
今日は無印で買った紙マスクの形をした布マスクをつけた。
紙より着け心地が良い。
顔も寒くない。
仕事中、度々飛ぶ意識をなんとか保つ。
昼は公園でお弁当。
木陰のベンチでゴロ寝。
川上弘美さんの『某』という小説を読んだ。
「誰でもない者」の話。
誰でもない者は別の者に変化しながら生きている。
変化する度に感じ方が変わる。
違うものになっても前の記憶はある。
その思いの違いが面白い。
わたしはわたしとして生きてきて、変わったところもあるけど、まあ、結局はわたしだ。
わたしが考えそうなことを考え、わたしがやりそうなことをやっている。
他の者になったら、全く違うんだろうと思う。
『100万回生きたねこ』を思い出す。
もうこのままでいよう、もう生まれ変わらなくていいと思えたのは何故か。
もう一度、最後の方を読んでみよう。
何にでもなれる状態は、生きていないのと同じ。
ということも引っかかっている。
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