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矢田亜希子さんと「街頭キャッチ」

 残暑が厳しく、遅く目覚めて、自宅でぼんやりテレビを見ていた。都内を散歩する番組のゲストに、矢田亜希子さんが出演している。ロケ地は渋谷周辺だ。矢田さんは原宿でスカウトされたという。

 デビューしたのは高校時代の1995年。ドラマ「愛していると言ってくれ」で、豊川悦司さん演じる聴覚障害者の画家の妹役だったそうだ。このドラマはリアルタイムで見た。でも、ぜんぜん、矢田さんの印象がない。散歩番組には途中、ドラマに出演した頃の、矢田さんの写真が挿入されていた。ルーズソックスを履き、頭に大きな花の飾りをつけて、ピースサインをしている。アラフォーの今とはかなりイメージが異なる。原宿のラフォーレや渋谷の109に足繁く通っていたといい、「毎日が楽しかった」と話していた。

 そうだろうなあ、と思う。私は矢田さんより年上なので、当時、すでに活字業界の片隅にいた。以前の投稿にも書いたけど、1995年前後といえば、「女子高生」がブームだった時代だ。みんな、ひざ頭ぐらいまでのルーズソックスを履き、胸を張って街を闊歩していた。バブル崩壊後の消費動向の見極めに右往左往していたマーケターたちは、そろって女子高生に意見を求めた。

 彼女らが本格的に「性的アイコン」として注目され始めたのもこの頃だ。フェティシズムの対象としてのブルセラ(ブルマーとセーラー服)や、「普通の女子高生」による援助交際が、盛んにメディアで取り上げられていた。彼女らにとっての「聖地」は、渋谷であり、次いで、原宿だった。

 マイクロソフトがWindows 95をリリースしたのは1995年である。日本語版は秋にリリースされた。秋葉原には解禁を待って、長い行列ができた。直感的に操作できる本格的なGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を備えたWindows 95は、のちに続く「誰もがコンピューターを使う」時代を切り開いた。Windows 95の登場により、爆発的にインターネットが普及していく。それまで、パソコン間のやりとりといえば、ダイヤルアップ回線を用いた「パソコン通信」ぐらいしかなかった。

 ともあれ、あの時代、世相や時流を追いかけるには、女子高生の話を聞くことが必須だった。今ならば、ネット経由のアンケートもSNSもあるけれど、当時はいずれも、まだまったく一般的ではない。それで、どうするかというと、街に出て、直接彼女らを捕まえるのだ。業界では「街頭キャッチ」と呼ばれていた。

 女子高生100人に聞く「元彼と友達に戻れる? 戻れない?」とか「許せる浮気、許せない浮気の境界線は?」とか、安っぽいけれども、読者に刺さりそうな企画が持ち上がると、私たちは何人かで手分けして、渋谷や原宿に繰り出すのだ。ノベルティーのボールペンやテレカ(テレホンカード)を片手に、街行く女子高生に声をかける。もちろん、百発百中というはずもなく、断られては次、また断られては次、と、手当たり次第に声をかける。とにかく、100人分の回答を集めなければ帰れない。まるで修行のようだった。「街頭キャッチ」が必要な企画が持ち上がるたび、心底、憂鬱な気持ちになった。

 やっていて、分かったことがある。1人で歩いている女の子よりも、複数で連れ立っている子のほうが答えてくれやすい。地味目な子ときれいな子だと、圧倒的に後者のほうが回答率が高かった。取材者が女性か男性かはほどんど関係ない。

 仲間連れだと1人ぐらいは「答えてもいいかな」と言ってくれ、そうすると、同調圧力が働き、ほかのみんなも応じてくれる。美形の子は、やっぱり自分に自信があるのか、比較的インタビューに答えてくれやすかった。「街頭キャッチ」はたいてい、カメラマンと一緒の仕事になる。被写体になってくれるのも、仲間連れや美人のケースが多かった。

 私が通っていた公立高校は、首都圏にあった。在学中はまだルーズソックスがブームになっておらず、みんな校則通りの白か黒系のソックスを履いていた。制服のスカートは幾筋かのプリーツが入った群青色で、もっさりとダサく、女子の評判はさんざんだった。同色の男子のブレザーも垢抜けず、ちょっとやんちゃを気取るにも、腕まくりをしてネクタイを緩くゆわくぐらいがせいぜいだった。そもそも、中学時代に校内暴力の全盛期が過ぎ、ほどほどの進学校だった母校には、あまり「とっぽい」生徒がいなかった。

 卒業してからまだ10年も経っていないのに、「女子高生」がブームになるとは――。まだ20代だった私は、時代の流れに驚きながら、とにもかくにも、仲間と必死で女子高生の声を集めた。とくに猛暑の夏や、極寒の冬になると、本当につらい作業だった。きっと若かったからできたのだろう。

 ただ、振り返って、こうも思う。活字でご飯を食べていく、駆け出し時代の仕事として、あれはいい経験だったのかもしれない。見知らぬ誰かにいきなり声をかけ、愚にもつかないアンケートへの協力を頼み、あわよくば写真(もちろん、顔出し)を撮らせてもらう。こんな作業を、断られる分も含め、企画のたびに数百回も行うのだ。おかげで無鉄砲な度胸がついた。そこそこの交渉術も体得した。うまくいかない場合の気持ちの切り替え方もおのずと学習した。いずれもその後、仕事で大いに役立っている。

 矢田さんは渋谷や原宿でよく遊んでいたという。どこかですれ違っていたかもしれない。昔の写真を見ると、その頃から美少女だったから、芸能界に入ってさえいなければ、きっと、取材も撮影もOKしてくれたに違いない。

 矢田さんは2006年、ドラマで共演した押尾学さんと結婚した。モテ男だった押尾さんはそれまでにも多くの浮名を流してきた。矢田さんは「かわいく、清純」なイメージで売れっ子になっていたから、やんちゃが売りの押尾さんと結ばれたのは、なんだかちょっと意外な感じがした。

 2009年、押尾さんは合成麻薬を使用したとして逮捕される。使用場所の六本木ヒルズのマンションでは、全裸でホステスの女性が亡くなっていた。これ以上ないスキャンダルを受けて、2人は離婚。押尾さんは実刑になり、矢田さんもしばらく表舞台から遠ざかっていた。もちろん、きょうの番組では、そうした黒歴史には一切、触れられていない。

 久しぶりに見た矢田さんは、嫉妬するほど美しく、とても40代には見えなかった。調べてみると、中学生の息子さんもいるという。いろいろあって、ふっきれて、いい感じに年齢を重ねているように見える。あの時代に青春を謳歌した女子高生は、したたかで、強いレジリエンスを備えているのかもしれない。

 その昔、「街頭キャッチ」で鍛えられたはずなのに、最近の私はいまひとつ元気がない。暑さのせいかと思ってきたが、そればかりでもないようだ。季節はそろそろ、秋に移ろう。さて、どうしたものだろう。矢田さんは番組で、アロマが好きだと言っていた。なんだか上品すぎて気後れするから、まずは近くの銭湯で、ハーブの薬湯にのんびりつかってみようかと思っている。

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