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私たちの「俺ガイル」の行方

 アニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」が先日、最終回を迎えた。通称「俺ガイル」。渡航(わたりわたる)さんのラノベが原作(全17巻)で、2013年から3期にわたってアニメ化された。とりわけ2、3期を手がけた制作会社フィールの作画が美しく、声優陣の演技も素晴らしくて、ずっと楽しみに視聴してきた。

 「俺ガイル」の舞台は千葉市の公立高校だ。主要な登場人物は主人公の比企谷八幡、雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣の「奉仕部」3人。「青春とは嘘であり、悪である」と公言してはばからない「ぼっち」の八幡、クールで才色兼備だが家族との間に葛藤を抱えている雪乃、天真爛漫でちょっぴり天然の入った結衣の3人の、煮え切らない三角関係を軸に物語が進んでいく。

 ラノベで一大潮流になっている「異世界」も「転生」も出てこない。困っている誰かの相談に乗り、手助けするという「奉仕部」の設定は一風変わっているけれど、とてもオーソドックスなシリアス寄りのラブコメだ。ビルドゥングスロマンと言ってもいい。全編にわたって「厨二病」全開で、見ていて痛々しくさえなる。ラノベのイラストやアニメで、雪乃や結衣がとても可愛く描かれているのは作品の魅力の一つだろうけど、いまどきの若者にもこれが刺さるということに、なんだかホッとする。

 厨二病をこじらせて、泣いたり、もんどりうったり、眠れない夜を過ごしたりしながら、思春期の若者は少しずつ大人になっていく。そんな過程は、遠い昔に青春を過ごした私にとっても、いまを生きる10代にとっても、大きく変わらないのかもしれない。

 惜しむように「俺ガイル 完」の最終2話を見ながら、高校時代を思い出していた。以下、私は当事者の一人なので、恥ずかしいから「このうち誰か」は書かない。少しぼかしたところもある。あの頃、私たちは、八幡、雪乃、結衣のような三角関係に陥っていた。

 私たちの「八幡」はアニメよりは明るいけれど、やっぱり斜に構えた「厨二病」の男の子。「雪乃」は学年でも指折りの美少女で、クールな変わり者。「結衣」は美人というより可愛いタイプで、母性を感じさせる女子だった。「雪乃」と「結衣」は友だちで、ともに「八幡」を好きになる。

 ただ、「八幡」には別れて間もない元カノがいて、しばらくそれを引きずっていた。ややこしいのは、「雪乃」も「結衣」も、元カノの友人だったことだ。さらに「雪乃」は「結衣」の、「結衣」は「雪乃」の、「八幡」に対する気持ちに気づいていた。もちろん、「八幡」も2人の好意を感じている。こうして、まるで絵に描いたような三すくみの煮え切らない関係ができあがっていた。

 アニメになぞらえて言えば、「八幡」は「八幡」なりに、「本物」を探していた。元カノに未練があるのは事実だ。「雪乃」と「結衣」の気持ちはうれしいけれど、こんな思いのまま、どちらかとつきあい出すのは「欺瞞」じゃないか。「雪乃」と「結衣」はいずれも大事な友だちだ。このまま「答え」を出さずにいれば、いつまでも3人でいられるような気がする。何より、「雪乃」と「結衣」の関係を崩さずに済む。せめて、いつか自分の中から元カノが消えるまで、曖昧(あいまい)な三角関係を維持していけないか――。

 その年の夏、「結衣」と「八幡」は2人で海に遊びに行った。出かけた先で、「結衣」は貝殻のアクセサリーを買ってもらう。数百円の安物だ。「八幡」は考えなしに贈ったが、「結衣」はそれをネックレスにし、大事に身につけていた。好きな相手が何かをくれれば、その価値は金額の多寡ではない。うれしかった。たぶん、「雪乃」はもらっていない。なんだか少し、「八幡」が近くなったような気がした。だが、こうした「結衣」の気持ちは、ほどなく彼女自身を追い詰めることになる。近づいた分だけ、思いは募り、宙ぶらりんな状態に耐えられなくなっていくのだ。

 季節が秋に移ろったころ、小さな「事件」が起こる。修学旅行の最中に、「結衣」のネックレスがぷつりと切れたのだ。当時、私たちが通っていた高校には、1学年に数百人もの生徒がいた。修学旅行も、コースを二手に分けて行われた。もちろん、その時代には携帯電話なんてものはない。だから、「八幡」がネックレスについて知るのは、帰ってからのことだった。

 「八幡」は、修学旅行の前と変わらぬ口調で「結衣」に話しかけるが、彼女は体をこわばらせ、視線すらあわせようとしない。「雪乃」もその場にいたけれど、「他人に干渉せず、自分に干渉させない」のがスタンスだったから、見て見ぬふりをしていた。

 どうせわかってもらえない。「雪乃」はずっと、そんな思いを抱いていた。小さい頃から多くの人に「可愛いね」と言われてきた。たぶん、私の見た目はそうなんだろう。でも、それが一体、何だというんだ。自分のことを知らないくせに、外見だけで愛(め)でられるのは気持ちが悪い。だから、誰とも深く関わらないし、関わらせない。確かにそれで、自分を守ることはできる。けれども時々、無性に寂しくなる。高校に入り、「八幡」と知り合った。この人は容姿についてあれこれ言わない。「八幡」が隣にいれば、私は少し楽になれるかもしれない――。「雪乃」はそんなふうに思っていた。

 「話があるの」。その日、「八幡」は「結衣」に呼び出された。貝殻のアクセサリーをいつも身につけていたこと。特に何かをしたわけでもないのに突然ネックレスが切れたこと。そのとき、「もうこんなつらい思いをするのはやめにしよう」と決めたこと。「結衣」は洗いざらい、思いを打ち明けた。

 「八幡」は絶句する。が、いまさら翻意を迫れない。当然だ。ご都合主義の「本物」を探すため、「結衣」と「雪乃」の思いを蔑(ないがし)ろにしてきたのだ。「私は降りるよ」。「結衣」の決意は揺らがない。言ってみると、驚くほど気持ちが楽になった。とたん、「八幡」が色あせて見えた。これでいい。私にとっての「本物」は、むしろこっちだ。先の見えないあやふやな日々に、一喜一憂しているのは、ぜんぜん私らしくない。

 数日後、「雪乃」は居酒屋で、「八幡」からこの話を聞かされる。当時も未成年は「飲酒禁止」だ。ただ、いまよりずっと、良くも悪くも社会は寛容だった。酔っ払った「八幡」の戯れ言(ざれごと)を、「雪乃」は黙って聞いていた。「結衣」らしい、と思った。見る目がないな、「八幡」は。「結衣」は優しいだけの子じゃないよ。切れたネックレスに天啓を感じるような少女趣味もあるけれど、芯は私なんかよりもはるかに強い。隣の誰かに求めるのは、「マイナスへの加算」じゃなくて「プラスアルファ」だ。心の奥底に、暗い部分を抱えた私とは、決定的にそこが違う。いつも悩んで、弱い自分を一生懸命取り繕って、だからこそ、他人に優しいあなたとは、「結衣」はあわない。いまさら取り返しもつかないだろうけど、彼女に気づかせてもらって、よかったじゃないか。

 「俺ガイル」の八幡は、結末近くで雪乃を選ぶ。八幡に好意を抱き、雪乃とも一緒にいたいと願った結衣は、涙を流す。「好きな人」と「大事な友だち」をいっぺんになくしたような思いがしたからだ。それが怖くて、3人が3人とも、これまで一歩前に踏み出せなかった。その気持ちが、痛いほどよく分かる。

 最終2話は、八幡と雪乃が中心になって企画したプロム(卒業ダンスパーティー)にまつわる場面が中心だ。企画には、失恋直後の結衣や、コケティッシュな後輩の一色いろはらも協力する。プロムの会場で、八幡と雪乃が並んで打ち合わせをしている姿を、結衣が遠目に見つめるシーンがある。

「邪魔しちゃいけなさそう」と結衣。
「別にいいんじゃないですか、邪魔しても。彼女がいる人好きになっちゃいけないなんて法律ありましたっけ? 諦めないでいいのは女の子の特権です!」といろは。

 ラストシーンはプロムの後、顧問も異動し、存続が危うくなった「奉仕部」の部室である。つきあい始めた八幡と雪乃が、隣り合って座っている。そこに、新入生として入部を希望する八幡の妹が、次いで、いろはがやってくる。いちばん最後に姿を見せるのは、結衣だ。ためらいがちに、しかし、はっきりと、結衣は雪乃にこう告げる。

「依頼っていうか、相談なんだけどね……。あたしの好きな人にね、彼女みたいな感じの人がいるんだけど、それがあたしの一番大事な友達で……。でも、これからもずっと仲良くしたいの。どうしたらいいかな? (相談は)長くなるかも。今日だけじゃ終わんなくて、明日も明後日も……ずっと続くと思うから」

 え、結衣、一度は諦めたのに、ここでそれを言っちゃうの?

「そうね。……きっと、ずっと続くわ」

 えええ、雪乃、これって、あなたへの挑戦だよ? 分かっていて、その言葉を受け入れるつもりなの??

 場面はここで「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」とのタイトルバックに切り替わり、物語は終わる。

 後味はとてもいいけれど、せっかく3人の成長を描いてきたのに、これじゃ、また逆戻りなんじゃないかな、と私には感じられた。もちろん、物語を通して見れば、八幡と雪乃の「斜に構える」角度はだいぶ穏やかになってきた。空気を読んで、間を取り持ち、時には曖昧に濁すことが習い性になっていた結衣も、大事な何かを決められるようになってきた。

 でも、ずっと昔、こじらせた高校生だった私からみると、3人の「厨二病」はまったく完治していない。せいぜい、熱が1度下がったぐらい。あるいは、少し痛みがひいた程度、だ。

 プロムの場面で、いろはは結衣に「あの2人が長続きするわけないじゃないですか」と言っている。本当にその通りだと思う。八幡と雪乃の関係性は、互いに「プラスアルファ」というよりも、「マイナスへの加算」に見える。そういう恋人同士は、ふだんは心地がいいけれど、ひとたびもたれ合いの塩梅(あんばい)を誤ると、あっけなくぬかるみにはまり込む。

 私たち3人は、かつて、時機とあわせてそのセオリーを間違えた。

 その後、「八幡」は「雪乃」とつき合って、何度か浅いぬかるみに足を取られ、最終的には深みにはまって抜け出せなくなった。細くつながっていた「結衣」もそれを知っている。結局、3人とも、まったく別の相手を伴侶に選んだ。思春期に、同じ場所で、あんなに笑って泣いたのに、実った果実は一つもない。あの頃のことが、もはやなんだか幻のようだ。

 アニメの八幡、雪乃、結衣は、甘酸っぱいエンディングのその後に、どんな歩みをたどるのだろう。いつか逆説ではなく、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」と痛みを伴い気づくのか。それとも、私たちが再び「赤の他人」に戻ったような轍は踏まず、奇数で成り立つ幸せの形を見いだすのだろうか。

 亜流の続編をはるか昔に体験したからか、3人が紡ぐ未来の姿が、気になってしょうがない。

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