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錦鯉とThis is me.

この3週間、ずっと錦鯉について考えていた。M-1については、もう充分語り尽くされているだろうけど、どうしても語りたい。

バナナを仕掛けて自分で捕まる、というおバカな長谷川さんが主軸のネタである。このネタについて「結局、おバカなネタがいちばん面白いよね〜」とか「バカすぎて笑っちゃったわ〜」という人もいたが、私は最後の渡辺さんが長谷川さんを仕留めるところの表情がカッコよくて痺れた。もう、この人は絶対に俺が最期まで責任持つ。そんな強い覚悟を感じた。『グレイテストショーマン』の、This is me にも似た強さである。

錦鯉の去年のネタは、「クズなおじさん(パチンコ)」。パチンコはみんながわからないネタで、合コンとバナナだとみんながわかる、というのもある。だけど、「クズ」というより「おバカ」のほうが、長谷川さんの本質感はある。直後の密着番組で、お笑いを諦めかけて仕事もなかった時に腐ってしまってパチンコばかりやって借金もしてたけど、渡辺さんとコンビを組んで、ネタに勝負をかけだしてからは、ギャンブルはなくなった(減った?)のだとか。
だから、錦鯉になってからは、そこまでクズではなかったのではないか。クズかどうかとは関係ないかもしれないが、後輩からの信頼も厚いようだ。

一方で、「おバカ」は本当っぽい。なんせ、最後の決め台詞「ライフイズビューティフル」の意味もわかっていなかったんだから。(せめてネタ合わせの時に聞けよと一般人は思ってしまう笑)

M-1の分析に定評のある、NONSTYLE・石田さんが言っていたが、「『あらかじめ台本のある漫才である』ということ以外の嘘を排除していくと笑いが生まれる」と言っていた。

また、これも聞いた話だが、人間は思っている以上に嘘を見抜く力に秀でているらしい。そして、嘘だとわかると脳の処理に負荷がかかるため、集中力が削がれるのだとか。嘘をなくせば笑いが生まれる、というのは科学的にも言えそうな話なようだ。

おバカとクズがどっちがわかりやすい、ではなく、どっちが長谷川さんにとって本質か、ということだったのではないか。そして、渡辺さんはそのことを十分に自覚しているからこそ、あの覚悟のある表情だったんだろう。

そういえば『グレイテストショーマン』が公開された時、ありのままでいいんだよ、という心温まるメッセージのことかと読み取った。だけど、錦鯉の2人を見ていて、この映画は「本物とは何か」ということを突きつける話なんだと思い直した。

金儲けや、喝采を求める気持ちでは本物のエンターテイメントにはなり得ない。オペラ的な世間の王道っぽいものでも、俗っぽいと言われるサーカスでもそれは同じ。どんなに醜い姿や感情であろうと、「私にはこれしかない」「私はここで生きてる」と胸を張って舞台に立ってこそ、本物になる。

錦鯉の2人は、あの瞬間、たしかに本物だったんだろう。

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