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マスコミ報道で無限増殖した分身がゾンビのごとく徘徊する



分身の誕生

突然ですが、ドッペルゲンガーを見たことがありますか?いわゆる「分身」です。二度遭遇すると死ぬと言われていますが、私は見たことがあります。モニター越しですが。

去年、NHKクロ現でねつ造報道された時の話です。

自分がVTR出演した番組を見た時、あまりのおぞましさに血の気が引きました。見た目はたしかに自分なのに、自分じゃない。何かが乗り移っているかのようでした。私とは別人格の、まったく考え方の違う、異なるライフヒストリーを持った人物が、巧妙な編集作業によって仕立てられていた。AIによるディープフェイクを使うまでもなく、別人を作り上げることができるんです。

私はこれを「報道被害」だと考えていますが、他の人には深刻さが伝わりにくい。モノを盗られたり、体を傷つけられたりはしてないからです。「たいしたことじゃない」と思われがちなんですよね。でも、NHKのしたことは私を深く傷つけ、大切なものを奪いました。

自分が自分でなくなるようで、今にも発狂しそうでした。身の毛がよだつ体験です。いまだにうまく言語化できません。


虚像の拡散

その人本来の属性を無視し、別の属性をでっち上げて報道するというパターンは、去年のNHKニュースウオッチ9でもありました。新型コロナのワクチン接種後死遺族をウイルス感染死遺族であるかのように、ミスリードさせる作りになっています。コロナ関連報道ということで社会的関心が高かったため、ご存じの方も多いでしょう。拙note記事でも取り上げています。

知れば知るほど制作側の無神経さと、取材対象者の無念があらわになるような話です。これはBPOから放送倫理違反とされました。

同じような事態は、テレビだけでなく新聞でも発生しています。以下は2016年に毎日新聞に掲載された記事で、日本人のムスリム女性を取り上げたものです。


毎日新聞の取材を受けたのは弁護士の林純子さん。記事を読んで「え?誰のことこれ?」 と驚き、すぐにfacebookに反論を投稿したそうです。


以下はFacebookからの引用ですが、私の体験と実によく似ているのです。

記者の方には、取材をする前から書きたいストーリーがあり、それに合うように私の話した中からエピソード等を拾われたのだと思います。今回に限らず、ジャーナリズムとはそういう知的活動なのだと思いますし、担当者の方には熱心に誠実に取り組んでいただいたと思っておりますので、仕方ないと思う部分もあります。
しかし、今回の件で、自分の名の下に、自分とは異なる人物像が出来上がり、独り歩きすることの恐さを痛感しました。

毎日新聞の取材を受けた林純子さんのフェイスブックより。強調筆者


私の感じたおぞましさはおそらく、林さんの感じた怖さに限りなく近いものです。知らないうちに、自分の実態とはかけ離れた「コピー」が作られている。ほとんど別人のようなコピーが、オリジナルを差しおいて拡散してしまうことの恐ろしさ。誤った情報であれ何であれ、いったんマスメディアの伝送路にのってしまうと、誰にも止められません。

問題となった毎日新聞の記事には、林さんの他にもう一人、匿名の女性Aさんが登場するのですが、お二人とも事実関係の誤りや意図せぬ内容を書かれています。Aさんに至っては、言ってもいないことを本人の発言としてねつ造されているのです。

毎日新聞の記事はこの二人を、「差別に苦しむかわいそうなムスリム」として描いています。ポジティブなエピソードを歪曲し、ネガティブな文脈に置き換えている。取材を受けた人を「弱者」として描き、読み手の情動に訴えて関心をひこうという、卑怯で安易なやり方です。実際には彼女たちはけっして「かわいそうな人」ではないのに、そのように報じられてしまっては不名誉のきわみでしょう。

「信じる私、拒まないで」と題されたこの記事は、公開当初大いに反響を呼んだそうですが、林さんたちが抗議したことを知る人は、元記事を読んだ人の中でどれくらいいるでしょうか? この事案は毎日新聞の第三者委員会にかけられ、審議内容が紙面で公開されました。でも、元記事を読んだ人の多くが審議内容も読んで、事の顛末を理解したとは、とうてい思えないんですよね。

第三者委員会の見解は、2016年4月2日の同紙朝刊に掲載されましたが、毎日新聞のウェブサイトにあったはずのリンクは現在は切れていて、見解の内容が見られなくなっています。いっぽう、元記事はあれほど抗議されたにもかかわらず、訂正も削除もなく、8年たった2024年6月現在もウェブ上に掲載されているのです。

取材を受けたお二人の名誉は回復されないまま、本人とは異なる人物像が一人歩きしている……当事者にとって、これは身の毛がよだつほど恐ろしいことです。自分の劣化版のような分身が大量に複製され、どこか知らないところをゾンビのようにいつまでもさまよっているのですから。

こうして拡散された偽りのイメージを払拭するのは、容易なことではありません。なんだかんだいってマスメディアの報道を信じる人はいまだに多いですから、下手をすると本人の証言が負けてしまう。「あれは自分ではありません、偽物です」と必死に訴えても、まともに取り合ってもらえなかったら……ほとんどホラーかSFの世界ですよね。本当の自分がどちらなのか、本人にもわからなくなってくる。私がNHKにねつ造された時の「自分が何者かに乗っ取られたような感じ」には、こういう困惑も含まれています。


「オリジナル」軽視はなぜ起こる?

取材対象者の人物像が編集過程で大きく歪められることはよくあり、たいていの場合はネガティブに改変されます。実像と虚像のギャップが大きければ大きいほど、本人のダメージも深刻化します。

事前に確認できればいいのですが、それすら難しいのが現状。テレビ業界は編集権を盾にして、あるいはTBSビデオ問題 を引き合いに出して、放送前の映像を見せることを拒みます。紙媒体やウェブメディアの中には、事前確認をさせてくれるところもありますね。ただ、前出の毎日新聞の件では、事前確認を条件に取材を承諾したAさんは、結局のところ確認させてもらえなかったとか。

取材対象者の人格や属性を歪曲して世間に広めるなんて、あってはならないことなのに、なぜこのような暴挙が繰り返されるのか。毎日新聞の日本人ムスリム記事ねつ造事件から8年経ちますが、状況はほとんど変わっていません。

ねつ造報道の問題を、私はずっと人権意識の欠如という観点から考えてきましたが、どうやらそれ以前に考えるべきことがありそうです。マスコミにはオリジナルを軽視する傾向があり、それは報道とか番組制作のやり方に深く根ざしてるのではないか?ということです。

取材を通じてオリジナル(=取材対象者)から得たコピー(=撮影データや取材メモに写しとった取材対象者のイメージ)は、好きなように編集していいと思っているふしがある。こうしてできた成果物がオリジナルの価値を棄損するものであっても、意に介する様子はありません。「コピー後のオリジナルは用無しで、どうなろうが知ったことではない」というのが、制作者の本音ではないでしょうか。彼らにとってはコピーこそ価値あるものだからです。彼らの仕事はオリジナルからコピーを取って、それを広めることなんですよね。

今年はじめ、ドラマの脚本トラブルに遭った漫画原作者が自ら命を絶つという、痛ましい事件が起きました(日テレ「セクシー田中さん」問題)。テレビ局出版社がそれぞれ出した報告書からも、テレビ業界におけるオリジナル軽視の傾向が見て取れます。

以下の記事は、原作者が亡くなってまもなく書かれたものです。原作者の意向を無視する「原作軽視」はテレビ局の慣習であること、原作の売り上げ促進効果と引き換えに今まで見過ごされてきたことが、指摘されています。

「テレビに出られて嬉しいでしょう?」と言われて、この記事の書き手が困惑するエピソードが出てきます。「テレビに出してやるのだから、多少のことには目をつぶれ」という特権意識も、取材対象者や原作を軽視する傾向につながっているのでしょう。


トラブルをどう防ぐ?

初めからシナリオが決まっていて、それに沿って話をまとめねばならないと同時に、ヤラセではなく実話としてのリアリティを持たせたいというのは、どだい無理な話です。矛盾する二つの要求を両立させようとするから、悲劇が起こるのです。

現実をそのまま描いても番組(or記事)にならない、シナリオ通りに話を組み立てたい、というのなら、選択肢は二つです。

Ⓐシナリオに合う人を探す
Ⓑ意図を明かして協力を仰ぐ

Ⓐシナリオに合う人を探す
これができれば理想的ですが、現実的には難しい。時間的な制約もありますが、取材担当者に経験や専門性が不足しているせいで、適切な人選ができない場合があるようです。

そもそもシナリオにぴったり合う人物なんて、実在するわけがない。だからねつ造するんですよ。

取材で得られた情報をシナリオに反映させるという、柔軟な対応はできないものかと疑問に思いますが、台本通り、企画通りに番組を作る人が評価される仕組みがあるんでしょうね。

Ⓑ意図を明かして協力を仰ぐ
シナリオが決まっているのなら、いっそのこと最初から意図を明かして、協力を仰げばよいのでは? 制作側と利害が一致する人なら、引き受けてくれるでしょう。善意の協力者をだますよりはましです。それはヤラセだ、視聴者・読者をだますことになる、というのなら、「これはフィクションです」と但し書きをしてはどうでしょう?

虚構なのにあたかも事実であるかのように報じるから問題なのであって、最初からそのようなごまかしをしなければいいのです。他の商売なら、商品名と商品そのものに齟齬があったら大問題なのに、マスメディアの世界でそれが許されているのはおかしいですね。

この際、ドキュメンタリーや報道番組が事実の記録ではなく、事実を素材にしてそこにだいぶ色を付けた物語であることを、世間に広く知ってもらいましょう。クローズアップ現代も新プロジェクトXもドキュメンタリーを装うのはやめて、「これはドキュメンタリー風のフィクションです」と明言してはどうですか?

半分は冗談ですが、残り半分は本気で言っています。


詐欺的取材の行き着く先

「マスコミ取材ガチャ」みたいなものがあって、大外れ引いてしまうと騙されて、下手したら人生狂わされる。一種の罠です。

危なっかしくて、普通の人はおいそれと協力なんかできない。そうなるとⒷで書いたように、虚偽・ねつ造・歪曲されるリスクと引き換えに利益を得る人しか取材に応じなくなって、ヤラセ的な内容が増え、マスメディアによる報道はさらに偏ってしまいます。

ヤラセにせよ騙し打ちにせよ、不誠実な取材と報道を続けていたら、この先どうなるのか……既存メディアは確実に社会的信頼を失っていくでしょう。その先にあるのはマスメディアが消滅した社会? これもまたSFみたいですが、そう遠くない未来かもしれません。


参考記事

■毎日新聞の一件については、以下の一連の記事が詳しいです。被害者の方を支援して毎日新聞との交渉に当たった、日本報道検証機構の代表 (当時) 楊井人文氏によるもの。取材を受けたお二人への聞き取りもあり。


■取材対象者を虚実のはざまに追い込んで犠牲にするドキュメンタリー番組の一例として、テレ東「ガイアの夜明け」の炎上回を拙noteで取り上げています。この番組もNHKの「プロジェクトX」と同じで、ドキュメンタリーの形を借りた企業案件のように見えます。
https://note.com/koyagi_village/n/n870ea41d95af
https://note.com/koyagi_village/n/n5d48a0f3f335


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