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メディアと人権

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メディア不信/不振、表現の自由と編集権、報道による人権侵害、番組制作のプロセスに潜む危うさ、BPOなど、メディア関連の記事をまとめています。
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記事一覧

誰がジャーナリズムを殺すのか②フジテレビ記者会見から「二次加害」を考える

前回のnoteを書き終えてからもすっきりしない気分が続いていたが、うまく言語化できずにいた。…

誰がジャーナリズムを殺すのか①フジテレビ記者会見から報道の自由と知る権利を考える…

10時間以上に及ぶフジテレビ首脳陣の記者会見をほぼ通しで見ていたけれど、途中から「ジャーナ…

TBSのバラエティ番組がBPO審議入り:「熱狂マニアさん!」が広告放送の疑い

TBSテレビのバラエティ番組『熱狂マニアさん!』がBPOの放送倫理検証委員会で審議入りした。番…

“報道しない自由”はメディアにとって最大の罪である

公平・中立を理由に選挙報道を自主規制 近年のマスメディアは、放送法4条の「政治的公平性…

マスメディアの信頼回復と市民の役割

透明性の欠如による腐敗 マスメディアに透明性向上を求めるのは至難の業である。彼らは透明…

民主主義を脅かす者は誰なのか~”マスコミvsネット”の嘘

NHKはじめ大手メディアは表向き「民主主義の発展に資する」というが、とても空虚な響きがあ…

能登半島地震はこの先どのように報道され続けるのか:アニバーサリージャーナリズムの限界

「周年報道」というものがある。大きな事件や事故、災害があった日が巡ってくるたびにそれを振り返る報道がされることで、アニバーサリージャーナリズムと言うらしい。たとえば東日本大震災は2011年3月11日だから、毎年3月11日になると「東日本大震災から〇〇年」などと題して特集が組まれる。 今年はじめに発生した能登半島地震についても、1年後の同じ日には周年報道されるはずだ。それは2025年1月1日、来年の元日である。そして来年以降も1月1日には能登半島地震の報道が繰り返される。問題

メディアの大いなる勘違い~「寄り添い」という免罪符

寄り添う、という言い回しをこの頃よく目にするが、安易に使われすぎて陳腐化している。他者へ…

”報道の自由”を考える

澤康臣 著「事実はどこにあるのか~民主主義を運営するためのニュースの見方」(幻冬舎, 2023)を…

メディアの危機と置き去りにされる市民:クロ現「おわび」から1年経って思うこと

去年の9月6日、NHKは「クローズアップ現代」の中で、私に対する ”おわび” を流しました。そ…

封殺される言葉と取り残されるメディアの良心

言葉が封じられている。とりわけ批判の言葉が。 対立を好まない人が多いのは世の常として、こ…

マスコミ報道で無限増殖した分身がゾンビのごとく徘徊する

分身の誕生突然ですが、ドッペルゲンガーを見たことがありますか?いわゆる「分身」です。二…

マスコミ不信の処方箋

NHKには放送文化研究所という調査機関があり、メディアに関する研究や世論調査をしています(…

マスコミと市民と「表現の自由」

NHKから報道被害を受けた!と言うと、「総務省に電波止めてもらえば」とか「与党議員にロビイングしたら?」とかいう人いるけど、そういうアプローチをしようとは夢にも思わない。報道機関が公権力から干渉されるのはよろしくない、と考えているからです。 NHKが表現の自由を悪用するのは許せないけど、だからといって公権力によって制限すべきだとは思わない。そんなことをしたら巡り巡って、自分自身も表現の自由を制限されてしまう。 表現の自由は民主主義の根幹です。 一人ひとりが自由にものが言