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久しぶりにお勉強してみて気づいたこと。【2021年1月31日】

実は昨年、この歳になって憶えるのも落ちるのも嫌だったんですが、ふとやる気になって2級建築施工管理技師の受験をしました。多少は賢く生まれたつもりだったのだけどちゃんと勉強しないと全然太刀打ちできるものではなく、しかも受験の頃(昨年11月初旬)は4つヘビーな現場が重なっていたため諦めようかと何度も思いましたがこんな同じヘビーな日々を二回も三回もやるのも嫌だったのでなんとか頑張りました。

結果は合格。まあ落ちてたらこんな文章書きません。

完全に独学で、一冊だけ買った過去問題集をもとに、ほとんどの言葉をGoogle先生に尋ねながらの勉強でした。やはり老いてきているし、日常に飲まれて勉強の仕方も忘れかけていたので最初は結構手間取りました。

材料や工法や構造や法規など、かなり範囲も広く、覚えることは非常に多かったです。

こどもの頃はそこそこ賢いと、自他ともに認めておりました。国語の教科書なんて一度読んだら暗唱できましたから。まあそれが憶えていないといけないことが増えてくるとだんだんと普通の子になっていきました。そんな感じであまり意識せずに大人になったのでした。

で、今は全然憶えられない。今回勉強を始めた時に内心とても焦りました。あの頃直感的に見て聞いてすぐに記憶できたことができない。若年性アルツハイマーなのかと思いました。

けれどもそれは違ったのでした。


僕は何百とやった現場の風景や工法や使った材料や匂いまで、大体正確に思い出せます。物件名や竣工年は忘れても、手が切れて流れた血の方向は思い出せます。

「そうか、記憶を作る段取りが変わったのか」そう思いました。

こどもの頃の「丸暗記」は視覚か聴覚を使って一元的にパシャっと写した感じなのではないかと思います。おそらくあんまりその頃までは記憶や学習がないから、それはそのまま脳の「机の上」に置かれる。
でもだんだんと記憶や学習が増えてくるとそのまま机の上に置かれたままでは整理がつかなくなる。こどもの頃はスカスカでだだっ広かった机はどんどん置き場がなくなってくる。だから脳の中で分類して今度は「引き出し」に仕舞うようになる。

この「引き出し」への仕舞い方の上手な人が「頭の良い人」なのだと思います。

僕はというと頭の中はとっ散らかってて、どちらかというと「机の上」に出しっぱなしだったりするんだろうと感じています。だからこどもの頃の記憶が他の人より圧倒的に鮮明だったり、匂いで風景を思い出したり、そうかと思うと1分前においた鍵や財布を無くしたりする。

「丸暗記」を机においた一枚の紙だとしたら、膨大な紙が載ったままの僕の机。そこから一枚だけ見つけ出すのは非常に困難です。英単語一個につき一枚だと考えるとゾッとします。似たようなのがたくさんあって、見つけ出せない。だから新しい紙に書いて机の上にポイってして、またわからなくなるを繰り返す。
視覚や聴覚などの感覚を「一個だけ」使った記憶は僕の中ではそんな感じなのです。

「じゃあなぜ憶えていることは憶えている?」そこを探ってみることにしました。

低学年用プールにいるところに姉がきてお父さんお母さんのいる大人用プールに見に行こうと誘われる。二回潜って国道側のプールの縁に辿り着き、足の裏に触れたコンクリートタイルが熱かった。走って一つ目の階段を上り、中学生用プールを通り過ぎる。次の階段を登れば大人用の50mプール。そこを上り終えたところで僕は思い切り滑って転けました。大人用プールの床はコンクリートタイルではなくおそらく人造石。たくさんの人がいたから結構床は濡れていた。転けてからは曖昧だけれども、三つ編みのお姉さんに抱え上げられたその逆光の映像は憶えています。それからハザマ整形外科に行ってアゴの下を4針縫いました。

これが小学校1年の思い出です。セミの声も塩素の匂いも血の味もよく憶えている。もちろん自分の中の事件だったこともあるけど、これが「丸暗記ではない、記憶」

よくよく考えると、こんな感じで定着している記憶は、感覚を「一個だけ」使ったものではないです。

みんなそうなのだと思います。よく英単語など「書くだけでなく発音して憶えなさい」と言われるのも、視覚と聴覚の合わせ技で記憶に定着させようとするものだし、会話をすればその表情や匂いも憶えているからより定着するんだと。

様々な感覚を使うことで多元的に記録されたものは忘れない。僕の記憶の机の上はとっ散らかっているけれども、おそらく「忘れていない記憶」は「一枚の紙」ではなくて、「数枚の紙を集めてファイリングしたもの」が机の上に載っかっている感じ。一枚の紙ではなく「ファイル」だから散らかっていても見つけやすい。

この歳になるとたくさんの一枚の紙が載っかっているから、新しい紙を机の上の山に載っけるのは難しい。じゃあとりあえずファイルをまずは作ろうかと。もしすでにファイルされているものがあればそれに挟んでいこうと考えました。

知らない言葉だらけだけれども、Google先生に尋ねたら100%教えてくれました。写真もたくさん見せてくれました。
写真で見ると大体6割くらいの「知らない言葉」は「使ったことがある」「見たことがある」「遠くで見たことがある」ものでした。「ノートに書く」という「視覚」の一元に加えて、「どこで見たなんなのか」という記憶を辿ってみることにしました。そうすると一枚の紙だったはずの「知らない言葉」は20年以上の様々な「風景や工法や使った材料や匂い」を綴じた「現場思い出ファイル」にどんどん挟み込まれていきました。

繰り返すけど、もうこの歳になると、このとっ散らかった僕の記憶の机の上の山に新しい紙を載せるのは難しいのです。でも昔のファイルに挟み込めば、上に置いただけよりもこぼれたり中に紛れて見失ったりはしにくくなるのだなあと思いました。

まだまだ憶えることができると思うとなんだか嬉しくなりました。

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12年前の文章ではなく、先日書いたものです。実はここだけにちょっと加筆すると、どうしても「現場思い出ファイル」に挟めなかったものももちろんながら多少ありました。「セルフレベリング工法」とか見た事ない(実際にこの工事をするときはその場所の他の工事を中止させたりする)ですし。もちろんYouTube先生も非常に優秀で言葉さえ間違っていなければ必ず工法の動画を見ることができたんですけど。

で、動画を見ながら、経験を頭の中で捏造しました。「誰とどこの現場の時にどうしてもやらないといけなくなって」というような感じで。技術系のYouTube動画はアングルやカット割に凝ってないので頭の中で再生する時は映画のようにクローズアップしたりスローにしたり、そこに悪者がきたりFBIが来たりするハプニングを付け足しながら想像しました。セルフレベリングをFBIの黒フル装備の方々がバチャバチャ踏み越えていく。セルフレベリング材は壁やカメラに跳ねる。敷居をバキっと踏みおられて床面に流れ出す。というシーンとか。カットバック多めにシーンを組み立てると特性が頭に入り易くなります。

しかしながら実は一番多く妄想したのはロシアマフィアに椅子に縛られた状態の拷問でして。建設中の空間というシチュエーションも建築資材のほとんども、そうしてもちろん様々な工具が「椅子に縛られた状態での拷問」には使われておりますのでとても想像しやすい。「飲まされたら嫌だなあ」とか「この機械に入れられたら痛いよなあ」とか考えます。ほとんどの建築資材や工法や工具は拷問に使える気がします。痛さを想像すると、やはり記憶は定着します。

しかし、「拷問の方法」で建築資材や工具の使用方法を記憶するというのはちょっと自身が病んでる感じがしちゃうなあ、いかがなものかなあ、と、思わないでもないです。





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