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パイプを曲げるお話

さて、椅子とか手摺とか、世の中に曲がったパイプはいくらでもありますので、なぜわざわざ、と思われるかもしれない。

しかしパイプを曲げるというのは古典としては難しく、工業としては簡単で、現在、我々の目に触れる多くのものは、色々な工法技術を発展させ、また色々なものを捨ててきた結果であるとも言えるのです。


金属パイプの歴史は楽器の例などを除けば、それまで楽器だけだったといってもいいくらい、それほど長くない。パイプというものが材料として一般化したのは産業革命、水道設備などを含めても「蒸気」以後と言っても間違いは無いはずです。

昔の金属をみてみるとわかります。ほとんどの「ロートアイアン」や「金工」と呼ばれるものは無垢、中身がつまったもので出来ています。

楽器の話を出したので、せっかくなので楽器の真鍮パイプがどうしてあんなにきれいに曲がっているのかがよくわかる映像を載せておきます。


この楽器の様に板を丸めてロウ付けしてパイプはできています。


パイプの製造技術は鉄鋼としてもカールして熔接したものが作られていきまして、現在では押出し成型やシームレス管という溶接の無いものも普通の製品材料として製造されています。

現在の世の金属製品に無垢のものではなく、パイプでつくられたものが多いのは、その製造の工業化を背景に、やはり「一に軽い」から、「二に安い」からというのがあるのだと思います。もちろんその技術的進化は、少しも悪いことでは無いと思います。軽くて材料だって少ないんですから、今の言葉でいえば「エコ」ともいえますしね。


でもそんな「工業製品」のパイプを美しく曲げるのは難しいのです。

実は鍛冶屋の仕事にとって無垢の棒材を曲げるのはそれほど難しくありません。
内側と外側、断面は詰まっていますから、あぶりながらその詰まっている金属の分子の結合の手を伸ばしてやればいいんです。精一杯わかりやすく説明すると、ともかくロープと同じで全部が詰まって編み重なっているから曲げた部分も潰れない。

一方パイプはどうでしょう?
パイプは輪っかで、中が空洞だから、曲げようと力を加えるとその空洞へ輪っかが変形してしまうのです。今度はロープじゃなくて、ホースを曲げるのを想像してもらえれば良いと思います。

内Rの面は金属を縮めながら、外Rの面は伸ばしながら、淀みなく曲げるというのは、無垢の棒であればなんのこともないのだけれども、パイプだと非常に難度が増すのです。安いパイプ椅子を持っていたらひっくり返して見てみるとわかります。外側は比較的綺麗だけど内側には歪んだシワがあるのがわかると思います。

実は我々も、現代の技術でパイプを曲げるとしたら、「曲げ屋さん」に頼むことが一般的です。曲げ屋さんに頼めば「高周波」で寸分違わぬ、R加工をしてくれます。図面上で様々なRを設定し、それを繫ぎ合わせることで複雑なRを可能にします。それが現代の技術です。


しかしながら、8年前、「ななつ星」をつくる際にその「高周波」の技術がが使えない、製品をつくることになったのです。


つくるのは車体のフロントにつく「握り棒」、実現しないといけないかったのは、水戸岡鋭治さんのひいた、迷いのない、すうっとした線でした。

三次元に想像された、美しい一本。

高周波の短いR線の集合ではデッサン初心者みたいになっちゃうな、と、思ったのでした。


さて実はその「高周波」なるものが出てくる前もパイプを美しく曲げる方法というのはありました。パイプの中に砂を詰めるんです。パイプの空洞を砂でビッチリ埋めちゃって、その状態で曲げるんです。上記トロンボーンの映像ではパイプに水を入れて凍らせてありました。銅合金は一度なましたら冷めても展性が残るので、詰め込まれた氷が空洞を埋める役割をしているんだと思います。

鉄は焼いた熱い状態じゃないと同様の展性がないので、同じことが出来ないのが残念ですが、ともかく同じ原始的な原理、「空洞で空洞側に潰れるならその空洞をなくしちゃえ」ということです。

ちなみに昔の単車の美しいマフラーの曲線なども、同じくそうやってつくられていました。

そうやって繋ぎ合わせることなく、一本の美しい三次元の曲線を、職人たちはつくってきたのでした。

さて、現代の我々。
今回の一本の線をつくるために、その古典というほど古くはない古典、砂を詰める工法を採用しました。もちろん弊社の職人。無垢なら朝飯前に美しく曲げる人達です。しかし理屈じゃわかっていても、以前に少々やったことはあっても、パイプはなかなか言うことをきかなかったのです。

仕方ないので弊社のボスを呼びました。

ボスの時代は曲げ屋さんに頼むのではなく、砂を詰めることが当り前だったので。何百何千と、そうやって曲げてきたので。どうも抜けていたのはパイプの特性や砂の伝導の違い、その辺の考え方でした。

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何より熱を加えながら、すうっと中の鉄を曲げる方へと移動させていく、そういう「イメージ」が欠けていました。

不思議なものです。「あっちいけあっちいけ」と導くようにあぶっていくと
鉄もちゃんと寄り添う様に曲がっていくのです。


そうして今回のこのパイプはどこにも繫ぎのない、直線のない、よどみのないラインをつくることが出来ました。

現代の工業技術ではまず実現出来ないライン。

もちろん今は「三次元パイプベンダー」というのもあって、一気にパイプを曲げる技術もあるのだけど、でもその機械を動かすためには3Dでそのラインを起こす必要があって、水戸岡さんのあの鉛筆のラインは3Dに「翻訳」する時点で確実に劣化する気もして。だってつくったこっちだって、正確に図面化出来ないんだもの。

これからも工業機械はもっと進化して、より複雑な動きもなんなくこなせるようになるんだと思います。でも、「鉛筆の線」を一度データに置き換えるよりは、「手」でモノとして実現するほうが、やはり翻訳として正しいのではないかと、古い人間のようで少し不安ではありますが、思わずにはいられません。


申し上げた通り、そもそも新しい「工業技術」としてのパイプの加工では、工芸の世界の仲間には入れてもらうことも出来ないと思うのですが、こういう「手」のやり方によって寄り添うように曲がっていくパイプの表情は、何とも言えない美しさを感じるのでした。

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この研磨は「モリタポリッシュアーティスツ」の森田さんにやっていただきました。本当に今みても圧倒的な美しさ。超一級品つくるのって大変でした。

カバー写真:竹本仁
Morita Polish Artists:FBページ

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