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生理バッジに思うこと

漫画「生理ちゃん」で採り上げられていた企画が実現して賛否を呼んでいるというムーブについて、漫画を読んだ時から抱えていたモヤモヤが何となく言語化できそうな気がしてきたのでトライしてみる。

『体調悪いですバッジ』を提示されても客は何も出来ない

女性固有の性にまつわる売り場のコンセプトに合わせて、という企画の一つだったらしいけど、それなら定期的に来る体調の悪さについて、どういう姿勢で企業が向き合ってるかを採り上げるのではインパクトが弱いという判断だったんでしょうか。

企業として考えた場合、積極的にシフトを替えるなり、休憩を増やすなり、休暇を与えてますよ、みたいなことはアピールする材料として考えられるけど(そうなれば社会的にも良い風潮をもたらせるのでは)、身も蓋もない言い方をすると店員の都合に客が合わせる道理が無いんですよね。接客される側としては、男女問わず店員に対して人と人としての一定のリスペクトは必要だと常々思ってますが、そんな個人的なところまで踏むこまれても知らんがな…というのが一連の記事を読んだ感想でした。

議論を呼べただけで生理バッジの功績は大だ、という意見も見ましたが、そんな議論を呼ぶために女性店員はバッジを付けたわけじゃないでしょう。大体、そういう事を言って良いのはバッジを自主的に付けた方だけですし、生贄にして議論の呼び水にするのは失礼だと思います。

何でもかんでもオープンにする必要があるのか

ここからは愚痴になります。性指向のカミングアウトにしてもそうですが、他人に言わなくても良いこと、一部の信頼できる人だけが知っていれば良いこと、いわゆるプライバシー的な事柄をオープンにすれば、社会的なサムシングが変わると信じてる人が多いのはなぜなんでしょう?
プライバシーとは私生活上の事柄をみだりに公開されない法的な保障と権利です。その境界を飛び越えて得られるものは何でしょうか?境界を超えれば皆が仲良く親切な生き物に生まれ変わるとでも?それはあまりに楽観的で短絡に過ぎませんか。

また長きに渡って固定されてしまった觀念を解きほぐすには、正しい教育が辛抱強く行われるのが大事なのではないですか。必要なのは議論やアピールではなく、エデュケーションだと思います。生徒や学生に施すものではなく、全年齢に対してのエデュケーションです。そうは思いませんか。

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