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小説『国語がお得意な秋津ゆきこ、彼女小6の日記』4月15日(金)

4月15日(金)

 プリプリ中華炒めがどうしてあんなに人気なのか、あたしにはまったくわからない。こんにゃくとうずらの卵としいたけと。食感がプリプリしているものを中華風に炒めているからプリプリ中華炒めらしいけど上記で食感がプリプリしてるのはこんにゃくだけなんじゃないだろうか。しいたけなんてプリプリの対義語といっていい気がするけど、あれを昔はプリプリとした食感と表現したのだろうか。ロシア語でボルシチはБорщで「ボールシ」と読むのにどうして余計なチが最後に付いてしまうのかといえば、щが昔は「シチャ」だか「シチェ」だかと発音していた名残りだと聞いたことがあるけど、しいたけのプリプリも元を辿ればそういうことなのかもしれない。にしてもこんにゃくからしいたけまで取り込むプリプリの多様性を現代社会は見習わないといけないのではないか。でもプリプリ中華炒めを嫌いなあたしとしてはそんな社会が居心地のいいものかどうか甚だ不安だ。

 なによりうずら卵よ。あれはプリプリではなくモサモサではないのか。白身のところのプリプリよりも後に残るのはどう考えてもモサモサだ。あたしはあのモサモサが大嫌いだから入っててほしくないし八宝菜も七宝菜にしてほしいと思ってるけどプリプリ中華炒めにはいつも丁寧に一人に一つ必ずうずら卵が入っている。人気の献立なら誰もが大好きだと思ったら大間違いだと誰かに言いたいけど誰に言ったらいいのかわからない。あたし以外にプリプリ中華炒めのことを好きじゃないと言ってる子をあたしは知らない。それにしてもみんな本当にしいたけもうずら卵もプリプリしてると思っているんだろうか。

 嫌いなものを無理やり食べさせられるのは虐待ではないのだろうか。アレルギーなら食べなくてもいいのにアレルギーでないから食べなくてはならないのは正しいのだろうか。今日もあたしはうずら卵を牛乳で流し込んだ。牛乳だって別に好きなわけじゃない。どうしてお茶じゃダメなんだろう。別に水でもいいのに。絶対に摂取しないといけないものの割に牛乳は主張が強すぎる。プリプリ中華炒めしかり。担任の森田先生は体育会系で気のいいお兄ちゃんを演じてるからもう割とクラスの子のハートを掴んでるんだけど「今日はみんなの大好きなプリプリ中華炒めやぞ」って言われてもあたし、そのみんなに入れてもらえてないんですけど。森田先生がそんなんだから余計にあたしはプリプリ中華炒めを嫌いだなんて言えない。残さず食べるのが森田先生にとっては正解。好き嫌いが無いのが森田先生にとっては正解。元気よく挨拶ができて大きな声で発表ができて健康で快活で無駄なお喋りはせずそれでいて明るいキャラなのが森田先生にとっては正解。森田先生の言う「みんな」はそういう人たちで、あたしは森田先生にとって不正解なんだけど無理やり正解の顔をさせられてる。あたしの不正解を森田先生は知らない。

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