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観劇の記録 『9人の迷える沖縄人』

 一九七二年、沖縄の本土復帰を目前に、有識者から主婦、戦争を体験した老婆、本土から沖縄へ来たナイチャー等、合わせて九人がとある新聞社の一室に集められ、沖縄住民それぞれの考え方を元に、復帰を考える意見交換会が行われた。その中で語られる、それぞれの沖縄に対する思い、本土への思い、そして、戦争、恒久平和への思い、いろんな思いが交差して、現在も迷える沖縄が浮き彫りにされていく会議形式の物語。

↑上記、上演後に購入した台本より引用。

 沖縄のことを僕はほとんど知らない。言い方は悪いが「興味はある」。できればもっと勉強したいが他にやりたいこともやらないといけないこともあるなかで、どうしても後回しになってしまう。そのくせ、基地問題なんかはこのままではいけないと思うし、結局、国のゴリ押しで沖縄の民意が蔑ろにされているんじゃないかとか、少し前にあった座り込み運動を嘲笑う著名人の、人をこバカにした薄ら笑いとかに憤りを覚える反面、じゃあ、あなた何か対案あるんですか?といわれたら、そこまで深く考えていない自分が露呈してしまう、そういう恥ずかしい自分もいたりして、沖縄のことは結局、「よく知らないやつが訳知り顔で語ってはいけない」ということにして、うやむやにしていることにもやもやしていたりする僕みたいな人間が観るべき舞台だったから観てよかった。

一つ、よくないと思うのは、僕だけかもしれないけど、「沖縄は」「沖縄の人は」「本土の人間は」などと一括りにしてしまうこと。これをしてしまうと沖縄の孕んでいる本質的問題にいつまで経っても辿り着けない。物語の中にも勉強すればするほど、どうすればいいかわからなくなり、「どうせ知識を得たところで何をしたって無駄なんだ」と嘲笑う若者と口論になるおっさんがいるんですが、あんな風に悩みに悩み抜きながらそれでも答えに近づくために勉強を続ける人も、そんな無駄なことやっても仕方ないという人も、存在するのが沖縄で、基地に賛成する人も反対する人もいるのが沖縄なのだという書いてしまえば当たり前のことを突きつけられ、何が正解かわからないまま、もがいている沖縄だからこんなにすごい舞台作品ができあがったのであれば、それも悲しいことではないか、と、何かにつけてやりきれない思いが芽生えました。

 一つ、なんやかんやで羨ましいと思ったのは九人の会議風景で、思想の異なる人たちが年齢や立場などを越えて自らの思いをお互いに伝え合うという、ああいう場面が僕の周りには無い。偉い人が設けたレールに乗っかりながら忖度し合い、結局何をどう主張したところで偉い人が意見を変えることはないという絶望のもと、早く終わればいいのにと時計ばかり気にしているような会議に慣れてしまった薄汚れた大人には、あの、己の都合や利権も含め、本音の飛び交う会議風景があるうちは、沖縄にも光があるのではないかと思いました。

#観劇 #観劇の記録 #ロームシアター 京都
#9人の迷える沖縄人

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