見出し画像

中学受験:理・社のかわりに英語必須化できないか?

ドラマ「二月の勝者」が始まったのに便乗して、たまには中学受験ネタを。

息子2人の受験をサポートして強く感じたのですが、必要科目を 国・算・理・社の4教科から、国・算・英の3教科 にするのはどうでしょうか?

母国語である国語 と 思考力が鍛えられる算数 を勉強するのは賛成です。

一方で、理科・社会をこの時期にあそこまで深掘りする必要性って、本当にあるのでしょうか?

膨大な暗記は時代遅れ

日本の教育における大きな問題が、知識偏重主義、暗記重視です。

門外漢の僕が言うまでもなく、多くの有識者や専門家によって指摘されていることでしょう。それでも、大学入試改革が遅々として進まないように、なかなか変わる気配がありません。

中学受験もまさにそうです。国語の漢字はまだ理解できます(厳しすぎるトメハネハライはどうかと思うが)。母国語において豊富な語彙を持つことは、表現力のみならず、抽象的な思考を深めていく上でも有効です。

一方で、小学生の段階で、平野や山脈の名前、歴史上の事件の年号、岩石の種類、草花の特徴などを詰め込む必要があるとはとても思えません。それも、一般常識レベルならまだしも、大人でも知らないようなマニアックな知識ばかりなのです。

そんなものは中学に入ってから、常識の範囲内で学べば十分。そこから先は、特にそれらの分野に興味のある生徒が、自主的に深めていけばいいはずです。

いまや知識だけであれば、ググればいくらでも検索できる時代です。学校教育は、より本質的な思考力や表現力を磨くことに割かれるべきではないでしょうか。

海外は、かなり前からそうした方向にシフトしています。にもかかわらず、抜群に優秀な日本の子どもたちが分厚いテキストを必死に暗記している姿を見ると、危機感を覚えずにはいられません。

以上が、理科・社会を受験科目から外した方がいいと考える理由です。

受験期は語学習得のゴールデンタイム

言語習得における「臨界期仮説」というのをご存じでしょうか?

言葉の学習(ここでは第二言語)において、ある時期(臨界期)を過ぎると、ネイティブレベルの運用力を得るのは極めて困難になるという説です。一般的には、12-13歳あたりの思春期が臨界期と言われています。

臨界期の有無や時期については専門家の間でも意見が分かれているため、「仮説」となっています。でも、これは経験則としても納得できる話ではないでしょうか。

自分自身も、大学受験、その後の留学、社会人になってからの独学によって英語を必死に勉強してきました。それでも、ネイティブレベルの英語力を身に着けるのは不可能に近いと痛感しています。

そしてここで問題になるのが、この臨界期と中学受験期が見事に重なっていることです。

最近は、おうち英語熱の高まり(苦労した親世代の教訓もあり)によって、幼少期から英語を習っている子どもたちがたくさんいます。海外を経験せずに、英検準2級や2級を持っている小学生も珍しくありません。

それが、中学受験をするとなると、4年生、5年生あたりで塾の勉強との両立が難しくなって英語をやめてしまうのです。これは本当に大きな機会損失です。

第二言語を自然に吸収できるこの時期に、リスニングや発音を徹底的に鍛えることができれば、日本人の英語力(特に英会話力)は飛躍的に向上するでしょう。

小4から小6の3年間、理科・社会の受験勉強にあてている時間を英語にまわすことができれば、恐ろしいほど上達するはずです。

以上が、英語を受験科目に取り入れて欲しい理由です。

まとめ

理・社の深掘りは中学に入ってからでも遅くありませんし、膨大な暗記はそもそも不要です。言語学習のゴールデンタイムを迎える子どもたちに、ぜひとも英語のシャワーを浴びさせたいと切に願います。

筑駒、開成、灘が入試科目を変えれば、他校はドミノが倒れるように追随します。そして難関校が変われば、SAPIXが本気を出して対策します。

僕らのように、大人になってから英語で苦労する日本人を減らすためにも、ぜひ教育関係者の皆様におかれては、前向きに検討いただけないでしょうか。

今日は少し真面目な提言でした。最後までお読みいただき、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?