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何でも選べる時代だからこそ悩む

以前の投稿で、いまは何でも選べる時代なので、心のストッパーを外して好きなことをやろう!と書きました。

でも、実は選択肢が多い状態って、意外としんどいんですよね。色々な道が選べるからこそ、逆に悩む。今日はそんな話です。

「選択肢」いる?いらない?

この世界には、選択肢を欲している人と、(意識しているかどうかは別にして)そうでない人がいる気がします。

①選択肢?何それ?な人たち

「人生でこれだけは成し遂げる」「絶対この道に進む」、という強い意志や夢を持っている人たちです。仕事でいえば、自分は天職についている、と自信を持って言い切れるような人。

あれこれ迷う余地がなく、他人に何と言われようと決めた道をつき進むので、そもそも選択肢なんて必要としていない、とも言えます。

きっと、このタイプが一番幸せですね。僕もこちら側だったら良かったのになー、とよく思います。羨ましがっていても仕方ないですが。

②選択肢が欲しくない人たち

意外と多いんじゃないかと思われるカテゴリー。

不安定な状態が嫌で、変に選択権を与えられてしまうよりは、定められた道を進む方が安心できるタイプです。選択肢があるということは、言い換えれば 自分で決めないといけない ということす。そして、それは思った以上に苦しいです。なので、ある意味自然な反応とも言えます。

別の機会に詳しく書きたいと思いますが、日本の教育や社会は、この②タイプを量産するのに最適化されたシステム、だと思っています。

画一的な教育を受けて、塾にいって、受験勉強をして、いい大学に入って、いい会社に入って、出世を目指す。

もちろん、その過程でみんな色々な選択をします。ただ、それらは真の意味での選択や決断ではないことが多く、世間の評価というモノサシによって用意された "間違いのないオプション" の中から、そのときの自分の好みや実力に応じて、一番よさげなものをとる ことに過ぎない場合がほとんどです。

僕自身もそうでしたが、こうして無意識のうちに、選択肢がない方が楽な状態に慣れていきます。

③選択肢を求めるがゆえに苦しむ人たち

ある意味、一番やっかいなタイプ。僕もまさにこれです。

「何でも選べる恵まれた時代に生まれたからには、思い切り自由に生きたい!あれ、でも自分はいったい何がしたいんだっけ?」というパターンです。

社会の常識に縛られずにいたい、"やりたくないこと" ならいくらでもある、でも「絶対にこれをやりたい!」がない。よく言えば、永遠の夢追い人。悪く言えば、無いものねだりの我がまま君。

昔は家柄や身分によって職業や結婚相手などが決められていたので、生まれながらにして与えられた道を歩むしかありませんでした。悩まなくていい分、幸せだったとも言えるかもしれません。

それが、いまは一応何でもできる時代です。一見自由だけど、実は目に見えない縛りがたくさん残っている時代に生まれてしまった、現代病としての深い悩みを抱えた層なのかもしれません。

選択肢がある状態を楽しもう

それでも、僕は選択肢がある状態の方が幸せだと感じますし、そうした生き方を選びます。

自分が努力して成長することによって、それまでは選べなかったことが選べるようになっていくのは、素晴らしく充足感があることだと思うからです。自分が少しずつ自由になっていく感覚でしょうか。

まだまだその域には至っていませんが、今後10年ぐらいかけて、住む場所、仕事内容、働く時間、人間関係、そうしたものを選べる状態に少しずつ近づいていけたらと考えています。

それでは!


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