【動き出した日本マラソン】2021年2月1日

 川内優輝の名前は瀬古利彦と同じく不遇のマラソンランナーとして記憶されていることだろう。

 現在日本陸上競技連盟強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダーという実質的に日本マラソン界の現場監督になっている瀬古だが、選手として最盛期であった24歳のとき、日本はモスクワ五輪をボイコット。瀬古はこの年から2年間あらゆる世界記録を更新し、マラソン界のレジェントと呼ばれるようになる。しかし、84年に開催されたロス五輪では金メダル絶対と言われていながら入賞もできず惨敗。その後86〜87年のロンドン、シカゴ、ボストンという世界的なレースで3連勝。選考対象のびわ湖マラソンも制し、88年のソウル五輪候補に。このとき、代表選考レースが明確に定められず、ライバル中山竹通や当時のマスコミから「瀬古を代表にするための優遇措置」との疑惑があがり、解決されないまま五輪のレースに出場。9位に終わり、現役を引退した。川内も自身最高の状態であったロンドン五輪(2012年)において疑惑の代表選考によって落選。リオ五輪(2016年)はケガによる不振で代表落選。その後引退宣言するが、2018年に役所を退職し市民ランナーからプロランナー宣言するとともに引退撤回し、東京五輪代表を目指すこととなった。

 五輪そして日本陸連に振りまわれた2人の天才ランナーによるコラボが今回の大阪国際女子マラソン(2021年1月31日)だ。新型コロナウイルス感染症対策から無観客かつ5周の周回コースという異例のフルマラソン。そして大きな驚きだったのが男子のペースメーカーの導入だった。もともとマラソンが盛んでどんな大会でもスポンサーの付く日本では世界でも異例な女子のみの大会が存在する(世界では男女混合が基本)。長くそれが自慢だった日本陸連だったが、自由な発想を持つ瀬古が協会委員になったことで大阪国際女子マラソンという名はそのままで男女混合レース扱いに。そしてペースメーカーとして川内が入ったのだ。

 今まで日本では女子大会では女子のペースメーカーが基本だった(野口みずき、渋井陽子、高橋尚子の記録はすべて男子ペースペーカーの入ったベルリン大会でのもの。日本陸連の女子記録としては非公認)。しかし、世界ではそもそも女子大会がほとんどないため男女混合であり、自然とペースメーカーはタイムの早い男子が行うのが当たり前。コロナの影響が大きかったとはいえ、ここで世界基準にしたことは英断。保守的で、頭が堅い日本陸連を瀬古が大きく変えたと言えるだろう。

 今回のレースの目的は東京五輪女子マラソン代表の一山麻緒に世界記録のスピードを実感させること。惜しくも世界記録更新にはならなかったが、30キロまでは世界記録と同ペースで進んでいたため目的は果たせたというべきだろう。そして、それを実現させたのは川内をはじめとするペースメーカーの男子選手。数秒の誤差で30キロまでを走り、川内に至っては最後のスタジアム入り口まで一山に声をかけながら一緒に走り切った(通常ペースメーカーは20〜30キロでコースを外れ、棄権する)。

 ペースメーカーがこのような声をかける例はほとんどない。基本的には雇われであり(記録が出た場合には特別ボーナスが入る場合はある)、完走を禁じる場合もある。単に世界記録を作るためだけの道具であり、感情は入らない。しかし、今回の川内においては日本代表としての仲間としてペースメイクしており、駅伝のコーチのような役割を担っていた。もちろん本番ではこうした並走はできないが、五輪に向けた練習としては最高のものであり、フルマラソン数回分にも匹敵する経験だったのではないだろうか。

 瀬古にしろ、川内にしろ、五輪、そして日本陸連に虐げられてきた2人によって実現した日本女子大会初の男子ペースメーカー導入。ここ数年、日本マラソン界に見るべきところはなかったが、ようやく動き出したと言えるだろう。そんな決断に諸手を挙げて評価したい。

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