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なるべく丸暗記しない化学史─原子はどうやって見つかったか 【Kowの探究日誌5】

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「身の回りのものは原子や分子から成り立っている」というのは今でこそよく知られた事実ですが、その存在が考えられ始めたのは、今から200年以上も前のことです。

もちろん当時は電子顕微鏡などは無く、実験や観察などによって多くの「証拠」が集められたことで、その存在が考えられてきました。

目に見えない存在を扱うからこそでしょうか、化学者同士の意見が対立したり、激論が交わされたり、正当な評価を受けないまま亡くなった後にようやく認められたり…と、多くのエピソードが化学の歴史には残されています。

では、原子や分子に対する考え方は、どのような変遷を辿ってきたのでしょうか。



原子が見つかるまで

1,質量保存の法則(1774年,ラボアジエ)

どこかでこれを聞いた方も多いかもしれません。

化学変化の前後で、物質の総重量は変わらない。

これが発見されたことから、全ては始まりました。

「反応の前後で、物質が突然消滅したり、突然生み出されたりすることはない」ということを意味してもいます。

※この法則を裏付けるたくさんの実験があるので、興味のある方は調べてみてください。


2,定比例の法則(1799年,プルースト)

例えば、私たちが呼吸をすることで体から出ていく「二酸化炭素(CO₂)」と、木を燃やしたときに発生する「二酸化炭素(CO₂)」はあくまで同じものであって、同じ(純粋な)二酸化炭素でも場合によって重さが変わってくるなんてことはありません。

また、日本の「水(H₂O)」だろうが、エジプトの「水(H₂O)」だろうが、同じ性質の「水」であることは現代では当たり前です。

このように、

ある化合物を構成する元素の質量比は、その製法に関わらず、一定である

という法則を「定比例の法則」といいます。

例えば水(H₂O)なら、水素(H)の質量∶酸素(O)の質量=2∶16=1∶8 でこの比は常に一定です。
「場所によって酸素がちょっと軽くなっちゃう」なんてことはありません。

しかし、当時はこの説はあまり支持されていませんでした。当時では衝撃的な説だったというのもありますし、特に「ベルトレ」という化学者が次のような指摘をしたからです。

「同じ鉱物でも採る場所によっては質量比が異なるから、定比例が成り立たないじゃん!」

硫化鉄とかボーキサイトとか酸化銅とか…そういった鉱物が、同じものであっても採る場所によって質量が異なるのは、やはり場所(や製造過程の違い)で元素の質量比が異なるからでは?という指摘です。

現代化学では、配列が崩れて結合比が違う部分ができているからとか、同じ酸化銅でもイオンの価数が異なるCuOとCu₂Oの混合物になっているとか、色々理由を付けることは可能です。

とはいえ、当時は化学の黎明期であるため、プルーストの定比例の法則よりも、ベルトレの指摘の方が支持されていました。


3,原子説と倍数比例の法則(1803年,ドルトン)

ここまでの「質量保存の法則」と「定比例の法則」を論理的に説明するため、ドルトンがついに「原子説」を提唱しました。

その内容は次の通りであり、これらを適用することでこれまでの法則をキレイに説明することができました。

<原子とは>
①すべての物質は、それ以上分割できない原子という粒子からできている。

②それぞれの元素は、その元素固有(1種類)の原子からできていて、同じ原子はみな同じ大きさ,質量,性質をもつ。

③化学変化では、原子原子のつながり方が変わるだけであり、原子が消滅したり生成したりすることはない。

<複合原子とは>
④化合物は、2種類以上の原子が一定の割合で結合した複合原子からなっている。

⑤気体においては、1個の原子もしくは1個の複合原子が、1個の気体粒子である。

しかし前述のとおり、プルーストの定比例の法則はベルトレの指摘もあって支持されておらず、原子説も疑われていました。

ここでドルトンは助け舟(?)を出します。
それが「倍数比例の法則」です。

言葉では分かりづらいのですが、

2種類の元素A,Bからなる複数の化合物において、一定量のAと結合するBの質量の間には、簡単な整数比が成り立つ。

というものです。

詳しいことは後述するとして、これで何が主張できたのかというと、

整数比とは個数の比だ!原子というツブが何個か組み合わさって出来てるから、こういう結果になるんだ!やっぱりツブ(原子)はあるんだ!

ということです。

酸化銅のような鉱物は、酸素に引っ付く銅の個数が異なることがある(つまり混合物である)と言えるため、ここでプルーストの説を支持できますし、さらに自身の原子説をより信頼できるものにします。

ちなみにドルトンの倍数比例の法則と原子説は同じ年に発表されています。
プルーストの定比例の法則を支持する説(=倍数比例の法則)を、本命の原子説と同時に出してやろうという、ドルトンの計画が見えてくるような歴史です。


ドルトンの原子説は広く認められて、まさに化学史に画期的な概念が誕生した瞬間でした。

しかし、現在とは違う観点も含みます。

HClのように陽性と陰性の原子が引き合うことは自然であって、「複合原子」として認められていました。
しかし、H₂などのように陽性どうしや陰性どうしの原子が結合するのはあり得ないとされていたのです。

その後、ドルトンの原子説では説明がつかない反応が見つかり、ここから「分子説」につながっていくのですが、それはまた次回に!

↓次回↓



4(参考),2つの法則のイメージ

学習者にとっては「定比例の法則」と「倍数比例の法則」はごっちゃになりますよね。

ということで次のイメージ図をご用意しました。

青い線が定比例の法則、青と赤を組み合わせた全体が倍数比例の法則をイメージするものです。

図1

<定比例の法則>
青い線は、1つの化合物(CuO)におけるCuとOの質量比を表すグラフで、原点を通る比例のグラフなので、Cu∶Oの比は常に等しいことになります。

ここからイメージして、

ある化合物を構成する元素の質量比は、その製法に関わらず、一定である。

とアウトプットすることができます。

図1(再掲)

<倍数比例の法則>
青い線CuOと赤い線Cu₂Oの両方に注目します。
そして、酸素16gにあたる銅の質量に着目します。

すると、赤い矢印のように1∶2という簡単な整数比の関係があると分かります。

これを一般化して、言語化してみましょう。

2種類の元素A,Bからなる複数の化合物において、一定量のAと結合するBの質量の間には、簡単な整数比が成り立つ。

A=酸素、B=銅を上の文に代入してみてください。
イメージしやすくなると思います。

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