見出し画像

畏友

朝活終了。

殆どの人には、この人には敵わないと言う人がいると思うが、私にもそういった方々はけっこう居て、有り難いことにその背中を見るにつけ自分が間違っていたとか、まだまだだなあ、とか自らの襟を正すことができる。

自らの天地に遊ぶーと言うことと、それはなんら矛盾することではなくーそのような先達達を得ることで、自分は上下左右の足場を得、より自在の境涯に進むことができるのだと思う。
それはさながらマンダラのようだなあと。

山に入らば曼荼羅世界、と師の法印は良く口ずさんでいたものだが、たぶんこういった意味も含んでいたのではないか。

武芸をやっていると、そんなマイ曼荼羅世界の諸天諸菩薩、つまり上述の師や畏友達の一言一言が蘇る時がある。

八卦掌の師父を初めて日本にお招きしたのがもう二十年以上前なのだが、その時丁度講習会のため上京していた陳氏太極拳のA老師がお弟子さん数名を連れてご挨拶にいらしてくれた。思えばあの時が初対面だったような。

師父と私が推手を披露し、私がいとも容易く老人に投げられているのを指してAさんは「ほら、学生さん(私のこと)は老師よりも何拍も重心の移動が遅れています。ほら、今、老師はもう片方の脚に行ってる。だから学生さんの攻撃は空を切って仕舞うのですよ。」とお弟子さんに諭されていた。

Aさんは私と半年しか年が離れていないにも関わらず、その到達した境涯は二十代の私からは遥かに仰ぎ見るような高みに居られ、当然その見ている風景も、私には思いもよらない視点を持たれていた。

あの時、全く理解できず、反発心さえ抱いた一言が、今になって顧みれば「理の当然」として感じられ、あまつさえ人様に同様のことを教えているのだから、人生はなんと面白いものか。

つくづくAさんの天才と、我が身の至らなさ、そしてこの二十年は無駄ではなかったことに思いを巡らせた朝だった。

得難き友よ、本当に有難う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?