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アラン諸島

今回の執筆は司馬遼太郎. 街道をゆく 31 愛蘭土紀行IIを大いに参考にさせて貰った。感謝。

Wikipediaより


アラン諸島はアイルランド島の東部に位置する、イニシュモア島、イニシュマン島、イニシアー島の3島からなる、人口1200人ほどの島だ。

その島は一枚のまな板のような岩盤だけで、土壌というものがほとんどなく、風が運んできた塵が岩の割れ目に溜まって僅かにこびりついているのを両手で掬っては岩盤上に置き、石垣で囲んで畑を作り、ジャガイモを植えるという極限状態の生活を長いこと営んできた。
石垣を作る為にも、固い岩盤をハンマーで砕き、石ころを作りだしたという有様だ。

さらに、アラン島の漁師たちは公園のボートほどの小さな舟で大西洋の外海に漕ぎ出し、大小の魚を捕るのは元より、鮫も捕っていた。
そして、鮫の肝臓を大釜で煮て油を取り、少なくとも第二次世界大戦前までは、灯油や照明に使用していた。

コラックル( coracle)

薄い木片を編んだ物に、防水を施した獣皮や油を塗った麻布などを張った長円系の小舟らしい。アイルランドやウェールズ、スコットランドといったケルト系民族が使用しているらしいが、これで外海に乗り出して鮫を捕るとか………無謀にも程がある!!!

別に僻地というわけではなく、湾岸都市ゴールウェイから50㎞ほどで、大阪と淡路島程度の距離に過ぎない。なぜそんな過酷な島で暮らし続けていたのだろう。
推測ではあるが、プロテスタント野郎に顎で遣われるよりは、自然と闘った方がマシといった気っ風なんじゃなかろうか。

アイルランド全般に言えることだが、暖かなメキシコ湾流が流れている為、霧と小雨が多い。土壌が微かにしかなくても、霧のお陰で草の生育がよく、馬が飼育できる場所もあるらしい。

1934年にアメリカ生まれのイギリス人が作った記録映画がある。『MAN OF ARAN』

この説明文が身も蓋もない(笑)
「文明から二、三マイルしか離れていないというのに、未だに岩や海からの産物だけに頼って未開の生活をする島民の話…」

40分頃から緊迫の鮫漁が描かれている。舟と同じくらいの大きさがありはしないかって大物だ。そして、それを見守る女性は背負い籠一杯に海草を拾っているんだが、ジャガイモ畑の肥料にする為のようだ。
ワカメといった海草を食することができるのは、日本人特有の腸内細菌のお陰だというのが近年知られてきており、アラン島では肥料として活用するのが最善ということだったのだろう。

アラン島の入り江には、僅かだが樹木もあり、痩せた土地に咲くハリエニシダの黄色い花も見受けられる。
たった一枚きりのよそいきの衣装を纏って、観光客を歓迎してくれているのだ。

農夫は、カチンカチンと岩盤に鍬が突き当たる音を立てながら、畑を耕す。
島に電気が付いたのは1974年のことだったらしい。



ここで、幼かった俺が激しく胸を揺さぶられたエピソードを語りたい。
アラン島の岩の上に住む老いた母モーリヤ。
彼女には勝ちがたい敵が居る。
海だった。
彼女が嫁いできたとき舅が居たが、海で死んだ。
彼女に六人の息子と二人の娘を産ませた亭主も、海で死んだ。
そして、六人の息子も皆、海に命を獲られてしまい、娘二人だけが残った。

モーリヤは最後に、独白する。

 みんな世を去ってしまった。
 だから海はこれ以上、私にどうすることもできやしない………。

この達観に心打たれて、俺は強く生きることができたのだと思う。
自分自身が生きてさえいれば、大切だった人を心の中で生かすことができる。人が本当に死ぬのは、誰からも思い出されなくなったときだとも言うしな。


アランセーターというものをご存じだろうか。
フィッシュマンズセーターともいう。

前述の文章で察せられる通り、アラン島では海難事故による死亡が日常茶飯事だった。
そして、海岸に打ち上げられる水死体は判別不能なほど腐敗が進んでいるのも日常茶飯事。
だから、女性たちは、愛する夫や息子の遺体を確認できるようにと、各家庭独自の編み模様でセーターを編んだという。

上記一切のエピソードを含め人々の感銘を受けたアラン島は、観光客が増えて豊かになり、アランセーターの文化も廃れて行っている現状らしい。
だが、愛する家族の死体の判別のために、せっせとセーターを編むという――…苦行ないし地獄から解放されたのは、良いことだと、心から思う。

アイルランドは、本当に俺にとって、いろいろ思索を深めさせてくれる国だった。


外海に、立ち向かう峻厳



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