プーチン大統領となってから

エリツィンの統治の困難さ

ソ連崩壊後、かつてソ連に属していた共和国に対してロシアの統治管理が効かなくなっていく。徐々に離れていき、その際にロシア政府との間で軋轢が生じるということが頻発する。その一つが前述のチェチェン紛争。
第一次でロシアが負け、相互条約を結ばされたことから、他の国も同様に条約を結んでくれと要求し出すようになる。エリツィン大統領も、紛争を避ける為に多くの地域と条約を結ぶんだが、その結果として、ロシア連邦の領土が削られていくことになり、ロシア内でも批判が集まった。

更に、西側諸国からも経済的に削られていく。エリツィン大統領は、ロシア連邦に力がないことを分かっている為、アメリカや西側諸国と和解をしようとした。そして、アメリカや国際金融機関に大規模な金融支援の約束をして貰った。だが、約束通りの金額を払って貰えないこともあった。どういうことかというと、足元を見られていたということだ。

当時の西側諸国の専門家の中には、「ロシアというのはミサイル製造だけに長けた極貧国だよね」と揶揄する人もいたという。ロシアの国内でも、西側諸国から発展途上国や極貧国扱いされているという認識があったようだ。
このように、ロシアの国内と外交が屈辱的な失敗を繰り返し、国家として機能不全に陥っていたときに、プーチンが大統領に就任した。
ロシア国内も、ソ連崩壊後のロシアの凋落ぶりに非常に大きな危機感を覚え、ロシアの地位の回復を唱える政治団体がたくさんあった。


プーチンの政治的立ち位置

プーチンはロシアをもっと強くする、ロシアを復活させるということを、自分の使命として動いた、伝統的な保守派政治家。
なぜ強い国家を作らなければならないかというと、強い国家に保証された秩序という土台があって初めて、いろんな変革に手を付けることができると、彼は考えているから。
このロシアを尊敬される強い国家にしようという考えは、プーチン独自のものではなく、ロシアに脈々と受け継がれてきた保守的な政治思想だ。
ただ、当時のロシア連邦の中で、彼が最もその思想を現実に落とし込むことができた人物であった。


プーチンが目指した権力構造

国家を強くするということは、中央集権国家化を押し進めていくことだとプーチンは考えた。これは、実は、ロシアの帝政時代からソ連に至るまでの伝統的な政治姿勢だと研究されている。
具体的には、個人に権力を独占させて、限られた人数の側近やお友達で、利権を分配していく体制にすることだ。
つまり、帝政時代の皇帝と実質的に同じような権力構造。
マスコミ、議会や首相の権力がほぼ骨抜きにされてしまっている為、選挙で選ばれる君主制と評されることもある。
実際、プーチンも独裁者に近い権限の持ち主だ。既に三権分立は無力化されているし、更に、地方の議会すら廃止してしまっている。そして、自分が任命した知事を送り込み、地方の自治も奪ってしまう。これも、帝政ロシアの統治そのものだった。

彼は、かつて強かった帝国時代のロシアの歴史を学び、その再現を目指している為、当然このような結果になった。一応、現代に合わせてカスタマイズも取り入れている。

ロシアの各国家機関もプーチンと癒着している状況で、権力構造全体で、明確な責任と権限が定まっていない。責任と権限は、プーチン個人から与えられる。
肩書きや実績や経験ではなく、プーチンとの個人的な関係のみが重視されて、流動的に責任や権限が与えられる。つまり、プーチンの機嫌を損ねてしまえば、立場を失ってしまうということだろう。


ロシア経済の背骨は石油や天然ガス

このプーチンの取り巻きの中に重要な人たちがいて、それが石油や天然ガスといったエネルギー産業の関係者だ。ロシア経済の背骨というのは、石油や天然ガスのエネルギー産業で、ロシア経済そのものがそれらに大きく依存している。エネルギー産業が稼ぎ出した利益を他の産業部門に廻して行くことによって、他の産業を成長させ成り立たせて行っている。
その為、プーチンはエネルギー産業の経営者と協力関係を作ることが必要不可欠となっている。
つまり、官僚と良い関係を築くよりも、エネルギー業界の実力者と直接繋がってしまった方が、ロシアという国を統治するうえで有利ということだ。
エネルギー業界にロシア経済がほぼ依存してしまっているから、そこを掌握してしまえば、ほぼ全てがコントロールできる、的な。

プーチンの若い頃を知る人たちからすると、少し意外らしい。
たとえば、レニングラードの副市長だったときの上司、サプチャークの夫人がプーチンについての感想を述べているんだが、「プーチンにはリベラルっぽい部分もあったけれど、彼の個人的権力というのはどんどん強まっていって、プーチン自身が作りだしていった縦型の権力構造が強まるに従って、リベラルな考え方から彼自身が遠のいていったの。
彼の周りからも、リベラル派の人たちはどんどん去っていって、代わりにプーチンの側近を務めるようになった人たちというのはシロヴィキと呼ばれる人たち。(シロヴィキというのは、シーラというロシア語の”力”を意味する語から派生した言葉で、何を指しているかというと、諜報機関KGBや軍や、内務省の実力部隊、つまり軍事力を持っている組織出身者たちで、側近を固めていった。)
その結果、専制的な支配体制というものにどんどんなっていって、プーチン自身も、副市長時代は結構リベラルで民主的な考え方だったのに、大統領になってからは、そういった政策は実施されなくなっていってしまったわ」というものだった。

ロシアの権力構造の歴史的背景、地理的背景

ロシアはまず、非常に気候が厳しい。冬が長くて積雪が多く、農業に向いていない。内陸部はマイナス50度以下になる場所もあるし、短いながらも春と秋があるんだが、気温は日本の冬と同程度。しかも、森林面積は国土の47%と、世界一の割合を占めている。つまり、生きるのに非常に厳しい歴史的環境によって育まれた政治的性質があるのではないかと言われている。

まず、みんなで固まって生きて行かないといけないので、外部に対してはすごく排他主義な傾向がある。異分子を入れたくないと。そして、内部に対しては裏切りを許さない不寛容さがあるのではないかという風な分析がある。

そして、これが重要なんだが、広大な国土を統治するには権力を一箇所に集中させて、尚且つそれに従った方が、秩序の安寧を享受できるという認識が、歴史を通じて培われてきたのではないかと、いう見解がある。
これは「強い腕を求める感情」と呼ばれている。

あとは、ギリシア正教をルーツとするロシア正教も、ロシアの人たちの権力構造に影響を与えたのではないかという説がある。ロシア正教の中では、「あたかもあの世に於いて天たる神に仕えるように、地上に於いてはツァーリ(皇帝)に仕えなさい」と教え説かれており、ロシア正教というのは、ロシアの専制政治に宗教的根拠を与えている。

モスクワ公国のモンゴル人による支配、タタールの軛が残した、中央集権のシステムや民衆を支配する原理というのも、結構大きな影響を与えただろうと言われている。税金の集め方や人口統計の取り方、情報検閲のやり方、といった実務的な統治制度が、帝国ロシアに引き継がれていった。
あともう一つ、タタールから引き継がれたものには民衆支配の原理というものがある。
遊牧民である彼らは部族に対して絶対的な服従をすることによって強い部族として、部族間の争いで生き抜いてきた。この部族への服従という原理も、帝国ロシアに引き継がれていったと言われている。つまり、集団の意思というものが最も大事で、個人の意思というものは余り大切にされない

これは俺の個人的見解だが、田畑というものが営みにくい極寒の地において、北方の狩猟民族であるモンゴルの生き方は、とても親和性が高かったのではないだろうか。


今のプーチン体制はモスクワ公国初期と似ている

プーチンはソ連崩壊後、彼の恩師であるサプチャークに従って政界入りしたわけだが、そこで新しいロシアの憲法の起草に関わっている。その際に、モスクワ公国の時代の仕組みや思想が大きく取り入れられたという研究がある。
ロシア帝国は国民国家化に失敗してクーデターで倒され、ソ連は共産主義でまとめようとしたものの経済の失速で失敗し、それらより以前の上手く行っていた時代を踏襲しようとするのは、比較的自然だとも言える。

プーチンは、他民族かつ他宗教を抱え込む国家を統合してつなぎ止める為に、新しいナショナリズムの枠組みを生み出そうとした。たとえば、民族同士の排他的な要素を排除して、分裂を予防してなんとかやっていく感じだ。
日本だと、九州が反乱を起こして独立するなんてことは起こらないが、ロシアというのはそういうことが起こってしまう国だから、そういう配慮は重要だった。

具体的には、以前ロシアから亡命して海外た人たちの子孫と積極的に交流したり、ロシア国内のユダヤ人コミュニティとも積極的に交流し、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)の復元を支援するよう実業家たちに呼びかけたりしている。
他の対策としては、ロシア正教を利用している。ロシア帝国時代にロシア正教が広まった際、その洗礼を受けた者は、住む場所も人種も関係なく、ロシア人と見做されたらしい。タタール人の上流階級も、ドイツ人の貴族も、グルジアの王族や臣民も、みんなロシア正教に改宗し、ロシア帝国のロシア人という扱われ方をされるようになったという。
その故事に倣い「みんなロシア正教を信じてるよね、だから、みんなロシア人だよね」といった風に打ち出して、ロシア国民としてまとめようともした。

勿論、チェチェン共和国のような分離独立派もいるわけで、彼らに対しては容赦ない攻撃と弾圧を加えて行く。
プーチンはロシア人のアイデンティティーをロシア連邦内で確立させることを目指しているので、「俺たちはロシア人じゃない」と独立しようとする人たちとは、真っ向から対立することとなる。
プーチンの第二次チェチェン紛争での振る舞いを批判したロシア出身の有名なジャーナリストがいる。アンナ・ポリトコフスカヤ。チェチェン紛争の人権問題や、プーチン大統領の人道を無視したやり方を痛烈に批判し、それに関する著名な本を幾冊も執筆している。
モスクワ自宅アパートのエレベーター内で射殺されている。奇しくもプーチンの誕生日であった。指示したのはモスクワ警察第4捜査課長だが、彼が誰の命令で動いたのかは未だ不明だ。

2006年10月7日(48歳)没


経済面でのプーチンの実績

プーチンが大統領に就任してからの十年間、1999年~2008年まで、ロシアは世界で最も急成長を遂げた国の一つになった。主な成長の理由は、石油や天然ガスの価格が上がっていったことによってもたらされたものだった。
その恩恵を受けて、個人所得も増え、小売業や建設・不動産分野にも良い影響を及ぼした。
一番大きいのは、五年で対外債務がほぼゼロになったこと。
原油価格の上昇という追い風はあったが、彼の実績として認識されている。

もう少し詳しく言うと、彼の一番の功績は、国家と市場の関係を整備したことなんだ。腐敗したオルガリヒの脱税を摘発して、税の徴収を単純で平等なものにしたことにより、末端まで恩恵が行き渡るようになった。


経済の安定による中流階級の誕生

新しい社会階層として中流階級が誕生する。経済的な不満を持たない、比較的社会的にも恵まれた人たちだ。彼らは、仕事や休暇でヨーロッパの近隣諸国を訪れて影響を受け、政治的にもヨーロッパ人と同じような扱いを望むように変化した。
そして、彼らはプーチンの批判を始める。古い政治体制や、ロシアの格差問題、選挙の不正、国民の政治的不自由さといったことへの批判だ。

プーチンからすると、自分が頑張ってロシアの経済を持ち直したのに、その恩恵にあずかって裕福になった人たちが新しい価値観を得て、プーチンを批判するという皮肉な状況になってしまったわけだ。
イギリスやフランスで中流階級が誕生した際も、当時の専制国家を批判するといったことが行なわれている。歴史は繰り返す。

中流階級の人々は「プーチンは大統領という椅子を私物化している。いい加減辞めろ!」と、唱え始める。
そして、その新しい流れにプーチンは上手く対応できない。中流階級の人たちと正面から向き合って対話し、社会の変化に合わせて政策を立てるというスキルも経験も持っていなかった。そもそも、そういった民主的な主義や思想も持っていないので、非常に手こずる。
これにもロシアならではの歴史に一因がある。ロシアでは、社会的集団と対話して政策を打ち立てるという政治を、ほとんど行なってこなかったからだ。
プーチンは、国際社会でのロシアの影響力を取り戻すことには成功したが、国内での政策が上手く行っている手応えはあまりなかったんじゃないかと言われている。


ホワイトハウス元ロシア担当フィオナ・ヒルの見解

なぜプーチンがこれほど計算違いをしたのか。アメリカ人のフィオナ・ヒルは著書の中でこう指摘している。この当時のプーチンは10年以上も権力の座について、政治的に大きな成功を収めてきたことへの慢心があったのではないか。あともう一つ、プーチンは政治的なパフォーマンスに力を注ぎすぎて、政策の中身はあまり確りしたものではなかったんじゃないかと。

そもそも、共産主義の中で教育を受け、その政治体制に染まってきた彼には、西側諸国の政治家のように考えたり政策を立てたりすることは不可能なんじゃないかと言っている。少なくとも、そういう認識で彼を見ることは大事だと。
フィオナ女史がこういったことをわざわざ指摘しているのは、西側諸国の首脳陣が、プーチンは我々と同じような思考ができると思いがちだったことを示唆している。

COTEN RADIOの指摘では、実際のところ、理解はできているが、決して同調しないという意思が感じられるということだった。
「西側諸国は、自分たちに都合の良いように国連やEUを利用して、それに対抗する人たちの存在を全く許さない」といったことを、プーチンはずっと主張している。
これは、自分たちの思想や主義を絶対的に正しいとして捉えてしまうと、それ以外の存在が後進的なバカに見えてしまうという現象を示しているのかもしれない。実際には、ただ別々の価値観を持っている人がいる、というだけであるにもかかわらず。


プーチンの主権感

プーチンは、実力のある国には主権があるが、実力のない国に主権はないと言っている。
一方で、西側諸国は、強いか弱いかに関わらず、どの国にも主権があるという意見でまとまっている。これは、ヨーロッパの長い血みどろの戦争の歴史の中で学び取ったうえで構築された、ウェストファリア体制というものだ。
プーチンからすると、これまで弱い国を踏みにじってきた国の癖に、何を今更という不公平感があるのかもしれない。
「あなた方は言ってることとやってることが違う。少なくとも我々は、言ってることとやってることは同じだ」と主張している。
アフガニスタンやイラクに対しアメリカが介入した件などを例に出し、国連を味方に付けて多数決で世界の賛同を得たが、やっていることは同じだと。


プーチンの思考パターン

プーチンはKGBで人たらしのスキルを身に付けている為、各国首脳陣と一対一の関係を築くことには長けている。だが、欧米諸国の政治体制は民主主義である為、たとえ国のトップと何か約束を取り付けたとしても、国に持ち帰って議会にひっくり返されるということがあるわけだ。
こういう経験を重ねたことにより、プーチンは欧米諸国のトップと関係を築いても意味がないと考え始めたのではないかと考察されている。更には、西側諸国と理解しあおうとしても、徒労に終わるのではないかと。
そして、その結果「我々ロシアは脅威に晒されている」という、ロシアのある種伝統的な認識を強め、西欧諸国への批判に拍車が掛かっている。





















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