"間"を再認識する。

大作ゲームとインディーズの大きな違いは何か?
そんなことを考えてみると、意外と大きな比率を占めているのがこの概念。

感動の合間のコメディ、緊張の間断のリラックス、難所の途中の雑魚ちらし。
ゲームの"本質"ではない部分で時間を長く使う傾向が、特に和ゲーの大作でよく見られる。

近日話題となったFF7リバースは原作のちょっとしたイベントに気合の入ったアクティビティを大量に用意しているし、マリオオデッセイやゼルダTokでもサブイベントやちょっとした探索や遊びを多く導入している。

特にゼルダは、Botw以前から"間"の使い方が上手い
ダンジョンの謎解きの合間にも単純な通路や雑魚戦を組み入れているし、フィールドでも「ダンジョン捜索」というメインの道中に「ハートのかけら」「空き瓶」「素材」と言った様々なアイテムを隠し、緊張のメリハリを上手くつけるノウハウを確立している。

いくら「謎解き」がゼルダの本質とはいえ、ゲーム中いつでもなんでも頭を使う場面ばっかりになってはむしろ没入感を大きく阻害することになる。
人間の集中力はそんなに長く続くものではない。

ゼルダという大御所でなくても、間の作り方についてはインディーズゲームよりも、和ゲー・洋ゲー問わず大手メーカーに一日の長がある。
常にプレイヤーに緊張を作るはずのソウルシリーズでも敵も仕掛けもない通路やホッとできる拠点があるし、エルデンリングに至ってはその"間"を膨大化するオープンワールドの採用に至った。

本質だけでなく"余分"であるはずの"間"が魅力につながることを考えると、ゲームって総合的な娯楽なんだなと思う。

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