見出し画像

アドベンチャーゲーム(主にギャルゲー)を楽しむための力


0.はじめに

今回はADV(アドベンチャーゲーム)を楽しむ力について考えてみます。ADVは選択肢を選ぶだけのゲームも多いです。よって、ボスが強くて進めない、あるいは謎解きが難しすぎるアクション・RPGや、自由度が高すぎて何をすればよいかわからないシミュレーションゲームよりは簡単に見えます。一見すると。
しかし、ADVにはADV特有の難しさ、とっつきにくさがあると私は感じています。そこで、今回は(比較的楽だとされる)ギャルゲーを中心に、ADVゲームの難しさ、とっつきにくさを取っ払い、楽しむための方法について考えてみようと思います。


1.難しさ①「世界観」~テキストをよく読み、想像力を活用しよう~

ADVに限った話ではありませんが、ゲームの世界観を理解できるかどうか。これはそのゲームを楽しめるかどうかの分岐点となります。RPGだと専門用語が多くて難しい作品もあります。典型例は『ゼノギアス』でしょう。私は途中というか序盤で挫折しましたが、設定資料を読み込まないとストーリーというか世界観がわからないらしいです。
ではギャルゲーの場合はどうか。
転生や超能力を扱う作品の場合、ストーリーや世界観が難解になりがちです。しかし、日常をただ描いている作品の場合、世界観の理解はさほど難しくなさそうに見えます。ただ、日常的作品であろうと、所詮は虚構の物語であり、作品ごとに固有の世界観があります。ですから、その世界観に必ずしも馴染めない場合があるでしょう。
そもそもギャルゲーの場合だと、ヒロインたちが主人公に(潜在的あるいは積極的に)好意を抱いている、という点がまず気になる方も多いでしょう。現実世界だとそんなことを経験できるのは一部の特権階級くらいで、私を含めた大半の凡人はそんな場面に出くわすことはまず、ないからです。
次にやたら精神年齢が幼い、あるいは無知なキャラが意外と多かったりすること。これにも違和感を覚える方が多いと思われます。「あるあ…ねーよwww」というわけですね。
他にも、よくある設定として、主人公が朝、ヒロインを起こしに行く(もしくはその逆)というものがあります。これは現実世界ではまずないでしょう。よって、これも違和感の対象となる。

以上の点から、ギャルゲーというのは日常を描いているように見えて、実は現実世界と違いすぎる点が多いです。そのため、世界観に馴染むには時間がかかったりします。馴染めないと違和感だらけで先に進む意欲が湧かず、挫折します。
じゃあどうすれば世界観に馴染めるのか。
結論を言うと、「現実世界の常識・価値観は一旦捨てろ」ということです。
前にギャルゲー考察の記事を投稿した時も少し書きましたが、ゲームの製作目的のひとつに、
「非現実世界(自分の潜在的願望を満たしうる世界)の追体験」
があるといえます。
たとえば、知事や市長になってまちづくりをやってみたかったけど、できなかったので『シムシティ』や『A列車で行こう』を遊び、その願望を擬似的に満たす。あるいは、野球選手になりたかったけど、叶わなかったので『パワプロ』や『プロスピ』で「なった気分」を味わう、といった具合です。
プレイヤーには現実世界で満たしたかったが、満たせなかった欲求がある。それをゲームの中で満たしたい。これがゲームの本質といえます。
で、この場合、入力と出力が一致しなければなりません。
たとえば、現実世界では素振りをしただけで打撃がうまくなるとは限りません。しかし、そうしたリアリティをゲームで忠実に再現してしまうと、プレイヤーに過度な負担がかかります。出力結果が不確実すぎると、予測できないからです。端的に言うと、ゲームとして成立しない。
よって、打撃練習の実行=打撃能力の(必然的)向上、というふうに、入力と出力が(基本的には)一致するゲームデザインとなります。もちろんこれは現実世界ではありえません。が、ゲームを成立させるための「お約束」として、どうしても必要なものです。

ギャルゲーに話を戻すと、キャラクターと疑似恋愛を楽しむ、という目的(願望)がプレイヤー側にある。それを満たすためには入力と出力とが一致しなければならない。これは現実世界では絶対ありえません。現実だと、入力(何らかの行為)と出力(相手の反応)は時と場合によって変わります。しかし、それを忠実に再現するとゲームとして成立できなくなる。どんな選択をしようが、最終的にプレイヤーが関与できない「ランダム要素」によってすべてが決まってしまうとしたら、ゲーム本来の目的(願望の擬似的実現)が果たせないわけです。
もちろん、願望を満たしたいといっても、ただ満たすだけでは満足できないのが人の性です。だからフラグを立てたり、必須アイテムを回収したり、好感度を上げたり、といった必要行動をプレイヤーに課し、プレイヤーはそれを乗り越えることでカタルシスを得るわけです。
まあそういうわけで、ゲームには色々と「お約束」がある。だから、ヒロインがやたら主人公に好意的、ということも単なる「お約束(大前提)」だと思えばいい。結局はそういう話になってしまうわけですが、まあそういうことです。この点に関する詳しい話は機会があれば別記事で書く予定です。

はい、ではそうした「お約束」をとりあえず受け入れることができた。そう仮定しましょう。次に問題となるのは、ゲームの雰囲気やキャラクターに馴染めるか、ということです。これをどうするか。
これも結論を言ってしまうと、
「テキストを何度もよく読め。特に行間は想像力で補完せよ
ということになります。
作品にもよりますが、ADVにおいては、基本的に文章を読み、理解して先に進める必要がある。このことは共通しています。だとすれば、その文章をしっかり読み込むのは基本中の基本です。『かまいたちの夜』なんかは特にそうですね。
一度読んだだけではわからない文章もあるでしょう。そういうのは周回プレイをして読み直す必要もある。プレイ期間が空いたら、バックログで直前の会話を復習する、重要だと思う発言はメモしておく、などの工夫も必要になるでしょう。文章を読むだけ、選択肢を選ぶだけ、といってもそんなに単純とは限らない。わからない単語があれば辞書を引くのも国語の授業と同じです。文学や映画からの引用がある場合、その原典を参照することも時には必要でしょう。
ボイス付の作品であれば、声がどんな感じだったかも重要なポイントです。ボイスがない作品でも、どんな声あるいは表情か、想像力を働かせることは作品を楽しむ上で大切ですね。

今、想像力という単語が出ました。これはADVに限らず、ゲームを楽しむ上で超重要な能力です。これがあるかないかで、作品の味わいはかなり変わってきます。
典型例は、無言テキストの補完ですね。
たとえば、ヒロインと一緒に下校する場合、

・・・・・・
・・・・
・・・
・・
というふうに点で無言あるいは時間の経過を表す手法が用いられます。
まあ、ADVを遊んだことがある人ならよく目にすると思います。
これが時間経過の表現なら、この間にどんな会話をしたか、あるいはどんなことが起こったか、景色やカメラワークはどうだったか、などが想像の余地あり、ということになります。無言表現の場合も、どんな表情か、何を考えているのか、想像する余地がある。これを想像しない手はありません。だって、その方が面白いでしょう?
ただ、慣れないうちはこうした「・・・・」は退屈に感じられ、スキップしがちです。要は新幹線に対する在来線みたいなものです。「長くてだるい」みたいな。まあ、その「長い」「だるい」が重要なのだ、というお話でございます。
ここで、文字表示速度の設定をどうするか、という問題への回答が導かれます。まあ各人の自由ですが、私は「遅い」つまり「ゆっくり目」をおすすめしています。表示速度が速い、特にゼロ時間で即時表示だと、テキストをじっくり読むことに意識が向かず、内容を理解できないまま先に進んでしまう恐れがある。
ここは「速読」ではなく「遅読」、「熟読」で行きましょう。じっくり読んだ方が世界観に馴染めるはずです。なぜなら、脳の処理速度には限界があるため、ゆっくり読んだほうが文章理解に追いつきやすいからです。

というわけで、まずはゲーム特有の「お約束」を理解し、テキストをよく読み、想像力をしっかりと働かせる。これが世界観やキャラクターに馴染むために必要なことではないか、と私は考えます。


2.難しさ②「全体像の把握」~なるべく粘り強く、幅広く遊ぼう~

次に、作品の「全体像把握」の難しさとその必要性。これについて語ります。
ギャルゲーというのはいわゆる「つまみ食い」的な遊び方ができる特殊なゲームです。これがRPGと決定的に違う点です。
RPGの場合、細かい分岐はあれど、本筋の話はひとつの場合が多いです。だから、本編をしっかりやり込めば、そのまま物語の全体像を掴みやすい。
しかし、ギャルゲーの場合はシナリオが独立している場合も多く、その場合はキャラ一人で物語が完結します。他のシナリオに行く必要がないわけです。つまり、自分の好きなシナリオだけ遊ぶ、ということができるわけです。これを私は「つまみ食い的遊び方」と呼んでいます(もっとも、シナリオ開放に条件があり、自由選択できない作品もありますが)。
この「つまみ食い」は必ずしも悪ではありません。ADV、特にギャルゲーや『かまいたちの夜』の場合、これは「自由に遊べる」という利点です。RPGにはこうした「つまみ食い」は基本的にないですから。
しかし、長所は短所でもあります。部分的な遊び方だけでは全体像の把握につながらない。そうした懸念はもっともでしょう。
福沢諭吉の『学問のすゝめ』は「天は人の上に人を造らず・・・」で有名ですが、実はその後の文章こそ本当に大事なものだ、ということは読んだ方ならよくおわかりかと思います。著作の一部分のみを読んだだけでは、著者の真意がわからないばかりか、誤解する危険性だってある。これと同じです。
ゲームは複数のチームに別れ、役割分担して製作されます。シナリオのライターもキャラによって違う場合が多いでしょう。だから、シナリオや文体に差が出てくることはよくあります。
しかし、ゲーム製作には、そのすべてを(一応は)概観している「監督」が携わっています。要するに、その「監督」の思想や理念が作品に反映されているわけです。となると、その思想や理念を理解しようとしたら、部分的な遊び方では足りず、やはりシナリオ全体を読み、監督が作品に染み込ませた「通奏低音」のようなものを感じ取ることが重要になってくる…。
そのように言えるのではないか。
そして、そのためにはやはり全体を一望する、つまり好きなシナリオ意外も遊ぶ必要あり、という結論に達します。

とはいえ。
興味のないシナリオへ進むのは億劫でしょう。
だから私は提案します。
「一旦、時間を置こう」と。
そもそも、シナリオの分量は作品によるとはいえ、ひとつの話を理解し、楽しむのは結構エネルギーが要ります。自分が好きなシナリオですらそうなのですから、興味のないシナリオではさらに多くのエネルギーを消費することは想像に難くまりません。
だから、興味がないなら無理にやる必要はない。しばらく放置しておく。
そうすると、自然にモチベーションが上がってくる。消化不良の部分を消化したい、という欲求が高まってくる。その時が勝負です。まあ要は、
「湧かぬなら 湧くまで待とう モチベーション」
というわけですな。
ゲームに限らず、モチベーションの上げ方のテクニックというか、方法として使われますね。
解決できない悩みが寝ている間に整理され、起きた時にはすっきり解決していた、なんて話も聞きますが、脳は知らず識らずのうちに色々と努力しているわけです。シナリオがよくわからなくても、間を置くことで不思議と理解が深まる…そういう期待を込めて気長に構えるのも良いでしょう。

私が大学時代に出会った言葉に、
「名作文学には何度か再読のチャンスを与えよ」
というものがあります。この言葉は以前にも紹介したと思いますが、結構な金言で、ゲームにおいても当てはまります。一度ですべて理解できるはずはないし、そもそもその必要はないのです。それはゲームを作るのにどれだけの時間と労力がかかっているか、これを想像すればわかります。自分一人が数時間、数十時間遊んだだけで全貌が把握できるほど安くはないでしょう、おそらく。特に、暑いとか体調不良とか、何らかの環境不良下でプレイした場合は、やり直したほうが賢明でしょう。中身を全然理解できていない、あるいは重要な見落としをしている、という可能性がありますからね。
まあ要は気長に付き合ってみませんか、というわけでして。


3.おわりに

というわけで、ADVの楽しむ方法について語ってみました。
まあいつもの如く筆者の妄想にすぎませんが、参考になれば幸いです。
それでは。

興味を持った方はサポートお願いします! いただいたサポートは記事作成・発見のために 使わせていただきます!