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関浩、一縷の希望にしがみつく

間もなく海チーム、2ステージ目の幕が上がります。そんな日に。(本当は小屋入りした日に書き始めたもののずるずると来てしまった、ごめんなさい)

関浩という名前は、新野寿光さん(空チーム)、上野健さん(海チーム)の二人が演じる役の名前です。

彼と言う存在もまた家庭環境に恵まれず、家を飛び出して、孤独を生き、悪さもしながらも人までは殺したことはない。そこそこしんどい環境をくぐり抜けてきた人間。だからこそ人へ優しさを向けられる。

どんなに悪事を働いても、悪にはなりきれない、優しさを失わない人間だと感じています。周りが、状況が、人が、環境が悪に染めようとしたとしても、染まりきらない純粋な光、魂を持っている人。

その性質に惹かれていったのが丸尾妙だったのではないか。同じような厳しい環境に遭遇して、共感、憐憫とかでは片付かない、魂レベルでの引き合いがあり、二人は一緒にいることを選んだ。彼女とは何も縁もなかったのに放置してはおけなかった、それもまた彼の優しさか。否、彼は言う。最初からこれは愛だったと。本人を前には言えないことだろうが。

しかしどんなに頑張っても、正しく、まっとうに生きようとしても、日陰に、日陰にと追いやられる人間というのは居るもので、この二人はそういう種類の人間だ。

施設に来るまでは自分たちの力だけで生きようと足掻き、藻掻き、苦しみ、神様は彼、彼女に対しての障害を与えることをやめない。一つ、また一つと乗り越えるべき壁を用意する。時として神様は意地が悪い。

やりたくないような悪行を重ね、窃盗、強盗、傷害、果ては警察にも追われるような、大きく違うけれどもボニーアンドクライドである。

幸福とは人それぞれだが、果たしてこの二人が出会ったことは幸福だったのだろうか。当人は言うだろう。幸福だ、幸福だったと。一緒にいる時間が、空間が全てだった。その半径50cmが彼らの世界だった。

浩の行動の基準はあくまで丸尾妙その人の笑顔であり、幸福だ。彼女のためであれば自身のことなど顧みない。二の次である。彼女が笑っていてくれさえすればそれでいい。まるで青い話をするようだが、彼はどんなに歳を重ねても決して変わらない。

もしもお前と出会わなければ、

もしもあなたと出会わなければ、

それはそれで別の人生があったのだろう。

それはそれで別の人生を送ったのでしょうね。

でもな、

でもね、

それがなんだっていうんだ。

それがなんだっていうの。

俺たちはこうして出会ってこうしてここにいる。

私達はこうして出会い、こうしてここにいるんだから。

それ以外の人生なんて、それ以外の人生なんて、考えたくもない、考えられないわ。

浩、妙と幸せになってくれ。いつかどこかの、

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