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戸川瑛美が背負った十字架

このキャラ紹介もラスト。実は彼女についてはそこまで触れていませんでした、気づかなかったでしょう?

本日楽日なわけですが、今出舞さんが演じる役の名前、それが戸川瑛美。瑛美という名前を使うのは数年ぶりです。以前の公演で名前として使った際にはダメンズを好きになって、結果不幸な道を歩いていくそんな子につけました。

今回は照井由美という親友に目の前で死なれてしまう女の子につけました。ちょっと不幸を背負う主人公につけてしまうのは癖でしょうか。いつかは幸福な人生を送る、そんなキャラに付けたい、つける日が来ることを切に願います。

由美に死なれた瑛美の人生は全てが狂ってしまう。本人はできるだけ狂った、狂わされたとは思わないようにはしているだろうが。誰かのせいで私はこんな人生を歩むことになった、と思い続けるのはひどく大変なことだ。

伸ばした手は、窓の外に落ちていく彼女を捉えることも出来ず、その眼球には彼女の残像が今もずっと残り続けて消えない。ただ、その喪失を、不在を見つめなければならなかった。もしかしたらもしかしたらもしかしたら助けられたかもしれない。もっとちゃんと手を伸ばしていたら届いたかもしれない。でも届かなかった。

彼女の「もしかしたら」を考えること自体の拒否反応はその時に生まれたのかもしれない。無意味だ、そんなこと、考えるだけ無駄だ。

全てを背負って生きることを選んだのは彼女の、瑛美の選択である。他の人がなぜそんなに全てを抱える必要があるのと訝しく思うこともあっただろう。しかしそんな彼女は家族からも友人からも行方をくらまし、世界から消えた。それが彼女の罪に対する彼女が与えた自分自身への罰。その罰が彼女を、彼女自身の心を救ってくれると信じて。

しかしそんな罪を背負った瑛美の前に、死んだはずの照井由美が現れる。その驚きはどれほどだったか。またふらっと現れて、眠りについて、再び目を覚ましたらもう現れないんじゃないかとも考えたことが在るだろう。そうなると眠るのが怖い、夜が来るのが怖い、朝がくるのが怖い。由美、どうして今になって現れたの? 何をしに戻ってきたの? 私を責めるため? 私を苦しめるため?

死んでも変わらない由美に苦しみながらも、共に生きている生者と死者。瑛美以外の人間に由美の姿は、声は見えないし、聞こえない。瑛美がふざけているとは思わないが、心配する人は多い。

由美との時間は楽しい、しかしそこには陰が伴う。彼女はもう死んでいる。それは理解している、わかっている、だからこそ、それなのに。

死んだはずの由美は責めるようなことも言わなければ、苦しみからも解放されているように見えた。自ら死を選んだ人間には見えない。その明るさが、持ち前の明るさが逆に瑛美を苦しめた。

あなたが助けられなかった私をもっと責めてくれてもいいのに、責めてくれたら私はもっと楽になるのに、なんでそんな顔をして笑うの、笑っていられるのよ、私がこうしてここで、背負っている罪は、罪は、あなた、私を。

物語の中で徐々に明らかになる由美の死。それは決して瑛美を、彼女を、否、今日子を含めて誰も救ってくれる事実ではない。むしろもっと闇に、闇へと彼女を落とす、其処に拡がった暗闇が彼女を勢いよく飲み込んでいく。

ここから少しだけ脱線してみましょう。今出さんの芝居を僕自身が観たのが一度だけあります。浅草九劇でやられていたお芝居で戦国時代の物語でした。その時はまだうちの芝居に出演することも決まっていなかったのですが、キャスティングが決まって、その名前を聞いたとき、どこかで見たなぁと記憶を辿りました。いまでまいいまでまい、上から読んでも下から読んでも同じ。この音の響き、どこかで観たな、聞いたなと。Twitterで情報を調べる中で、過去に見た作品に出ていたことを知りました。同時に今出さんが長台詞が得意みたいなことをツイートされているのを拝見しました。もしかしたらその瞬間、今回の作品での長台詞は彼女ならもたせられるのではないだろうか、みたいな構想が浮かんだのかもしれません。

そしてまだまだ公演中ですが、ひとつだけネタばらし。といっても今から観る方は「?」ぐらいの情報ですので下の文章を読んでも問題ございませんが、心配な方は目を閉じてください。

実は稽古台本を一度出演者に展開した後に、大きく追記させて頂きました。どこを追記したのか、最初の段階で何がなかったのかというと、球技大会のシーン終わりに瑛美のひとり語りがあるのですが、最初はありませんでした。由美と瑛美の二人の会話が終わり次第、次のシーンへと場転しておりました。更に言えば、ラストシーンとその直前の瑛美のひとり語りもありませんでした。もっとファンシーでファンタジーでぬるく温かみのある、終わり方をさせていたんです。それがある日、再読していて、終わり方に納得がいかなくなり、私が「これじゃ済まされない」という思いに駆られ、書き直しなく一筆書きで書きなぐったのが追加されました。

正直なところ、稽古が始まっても不安でした。あのラストからの変更が本当に良かったのだろうか、もしかしたら自分だけが納得できなかっただけで、あのラストが本当はよかったのではないだろうかと。

しかしその懸念は杞憂となりました。稽古が始まり、そのシーンの稽古をして、通した時に、全ての靄々が晴れました。この作品はこれで、これがあって完結したのだと理解しました。同時に今出さんが瑛美として生きてくれたこと、それが全てのピースを埋めてくれました。否、正確には相方の由美をやってくれたななほさんとかなみさんが居て、今日子を愛里さんと花梨さんがやってくれたことで、瑛美の人格、背景が浮き上がり、完成しました。

演劇は一人でするものじゃない、相手があって自分がある。ダブルの楽しさもあれど、大変さもあったと思います。ありがとうございました(終わってないけれど)。

瑛美の心や、細かい表情の変化にも本日最終日、あと2回、着目してもらえたらと思っています。

何も変わらない今日という日の始まりに。

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