「七人の侍」野武士考⑪ 時代背景 天正14年(1586年)結論

(「七人の侍」を見た前提で書いてます。ご承知おきください)

Q1 なぜ、野武士は生き残ったのか?

野武士に対しての憐みや共感が野武士の生き残りとして表出。

ではその憐みと共感はどこから来たのか。

それは彼らが生きた時代背景から見えてきます。

まずは年代特定から。

菊千代が自らの出自を偽装するために、どこからか盗み出した家系図を見せる場面(前半00:57:30)、

官兵衛が

「天正2年甲戌2月17日生まれ、、、ははは、おぬし13歳には見えぬが」

というシーン。年齢を数え年で勘定しますと、天正14年(1586年)現在ということになります。

この時代は本能寺の変があり、その後秀吉が関白となっています。戦乱の世はピークアウトし、秀吉が天下人への道を進めているような状況です。

秀吉自身が貧しい農民から、天下人になりあがっている時代。あらゆる価値や身分が混とんとしていた時代、本作はそういう時代を過ごしてきた人たちの話です。

本作における野武士集団は、高い統率力を持っていることから、元は主に使え、戦に出ていた武士だったのではないでしょうか(元は落武者狩りで武装した農民が組織化した野武士集団もいるそうですが)。少なくとも、頭目をはじめとする数人はそれなりに身分ある武士だったと想像します。

つまり本作における「野武士」と「侍」はもともと同じサイドの人間です。言い換えれば「野武士」は、分岐した人生を歩んできた「侍」のもう一つの姿といえます。

「憐み・共感」は彼らの「侍」として生きられなかった人生に向けられているのです。

つまり、Q1、

Q1  なぜ野武士は生き残ったのか

に対しては

A  それは野武士への「憐み・共感」である。なぜなら侍と野武士は元々は同じ境遇の人種(戦乱時代の武士)だから。

これが結論です。

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