吉澤嘉代子「赤星青星」から考える他者の脆弱性

今回は吉澤嘉代子さんのアルバム「赤星青星」で描かれる自己と他人について考えてみようと思います。なお記事の作成にあたって、encoreでのインタビューを参考にしています。

タイトルは”対極の二人”をイメージして名付けられた。

吉澤さんはアルバムごとに一貫したテーマを設けているようで、このアルバムは”恋人”がテーマとなっているようです。
曲目は

  1. ルシファー

  2. サービスエリア

  3. グミ

  4. ニュー香港

  5. ゼリーの恋人

  6. リダイアル

  7. 流星

  8. リボン

  9. 刺繍

となっています。既に恋人という言葉が出てきているものからルシファーという想像のつかないものまで様々ですね。
全曲の解説は各種インタビューを漁っていただくとしてここでは私の趣味趣向を交えつつ一部の曲を抜粋して紹介しようと思います。

まずは2曲目の”サービスエリア”
水銀灯や桃源郷といった視覚的にも美しい日本語で展開される楽曲で、吉澤さんはこの楽曲について
「高速道路に乗って、サービスエリアに辿り着いた頃には、異世界に変わっているという。なんか、サービスエリアって、お昼の顔と夜の顔で、また違う雰囲気が流れていますよね。その夜に感じる寂しさをロマンティックに描けたらいいなと思って。」とおっしゃっています。
昼のサービスエリアには家族や友達との楽しい旅行の一風景が思い浮かびます。
対照的に歌詞の中には「寄る辺のない命を煌く」や「滅びのキスでこの世の息を止めて」といった終わりを想起させる表現が見られ、恐らく夜のサービスエリアは、「あなたと私だけの桃源郷へと向かう不透明な道の途中」のようなものなのだと思います。

続いて6曲目の”ゼリーの恋人”
この曲ではどこかでずっと一緒には居られないと分かっている十代の頃の甘酸っぱく透明ながら柔く不安定な恋愛がスローバラードに乗せて描かれています。

最後に10曲目の”刺繍”
この曲は今まで挙げた曲とは少し性質が異なり、あまり何かに仮託することなくストレートに別れが綴られているように思います。
その中でも「この身体にしるしを刺して いなずまを抱いて眠ろう」という部分のみ明確に比喩になっています。
ミシンにおける印しつけとは引かれている線に沿って縫っていくことを言います。そこから私は「”あなた”に身体という全てを委ねている」ということではないかとおもいました。”いなずま”に関しては現時点では解釈が難しかったです。もし何か分かれば追記します。


ここまで三曲をピックアップしてきましたが、これらの曲に共通しているのが”二人”そして”別れ”です。またその他の曲にも多かれ少なかれこの二つを見ることができると思っています。

このアルバムは遠い別の星の二人という着想があるわけですが、吉澤さんはどうして近い二人ではなく遠い二人にしたのかと聞かれて、
「別の星というのは、別の国とか、別の立場というわけではないんですね。誰であっても、生まれや育ちが違うと、分かり合えない部分がある・・・
いや、もしも生まれや育ちがいっしょだとしても分かり合えない部分はありますよね。でも、その二人が手を伸ばし合うところにロマンティックを感じるんです。だから、魂の双子のように、出会うべくして出会った二人だとしても、やっぱり分かり合えない部分があるっていう。
とおっしゃっていました。

運命的な出会いであっても永遠に続く関係ではありえない。人生のどの段階においても出会いに別れはつきもの。そうした考えが通説となった今、結末の決まった二人の関係が最も寂しいということが全編を通して描かれています。今回の十曲は特に恋人関係にフォーカスしていますが、夫婦、親子、愛人関係にいたるまで普遍的なことだと感じました。

”刺繍”では主人公は最後一人になります。”もう貴方しかいないの”と繰り返す共依存的かつ強依存的な関係は彼らにとって不可欠に見えます。
しかし、別れが来た後も生きて行かねばならない。突き詰めれば私一人しか
残らない
ということでしょうか。

それでも人と関わり続け、他者との交流の中にのみ生まれうる美しい何か
(愛情や友情と訳されるものか)を吉澤さんはちりばめたかったとおっしゃっていました。

正直三曲だけを取り上げるのはあまりに不完全かなと思います。
”鬼”や”グミ”をはじめとしたその他の楽曲では違った角度でテーマに寄り添っています。是非ご自身の耳でこの38分を体験してみてください。文章ではとても表現しきれない空気感が襲ってくるはずです。

吉澤さんの魅力の一つである歌詞については今回あまり触れられなかったので、またどこかで紹介できたらと思います。ではまた。





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