こんにちは!NPO法人高卒支援会でボランティアをしています、高校二年生の井上です。
私は現在通信制高校に所属しています。高校一年生の冬に、前籍校から転学しました。今回は、私が転学するまでの経緯とその理由についてお話ししたいと思います。
1.中1~中二
私は帰国子女で、シンガポールに2年、メキシコに5年ほど住んでいました。日本に帰国したのは小6の春。その頃は中学受験なんて私も家族も全く考えていませんでした。しかし、ある時私が小学校で仲の良かった友達と喧嘩をしたのです。「あの子と同じ中学行くの嫌だ。」こんな軽々しい思いから、中学受験を決意しました。
そして、運よく偏差値52~56くらいの女子校に、帰国生入試で合格します。この女子校はネットで調べるうちにたまたま見つけて、「よさそうじゃん」と父に勧められ受験しました。
たまたま見つけた学校に、たまたま試験が簡単だったので、たまたま合格してしまった。この偶然の積み重ねが入学してから響きます。
私は勉強ができませんでした。中1のはじめの学力テスト、英語だけは突出しているものの、他は下から数えた方が早い順位でした。都道府県は覚えていない。計算が遅い。漢字もあやふや。定期テストもまずまずの点数でした。
ヤバイなと思い、そこから猛勉強するようになりました。すると、成績は伸び、一年生の終わりごろには上位に入るようになりました。二年生になってからも、成績を維持したいので勉強し続けます。深夜2時くらいまで勉強して、何時間か睡眠を取り、朝5時半に起きて1時間勉強してから学校に行く。…はっきり言って異常でした。しかし、それくらい勉強しなければならないほど自分は遅れていると思っていました。中学二年生、この時から徐々に学校を休むことが多くなり(中1は皆勤でした)、登校するときに体の不調を感じるようになり…転学したのは高1ですが、そのきっかけはすでにここから始まっていたのです。
2.黄金期中3
さて、中学三年生の一年間をなぜ黄金期と呼ぶのか。
年間成績トップ、主席で中学卒業、次年度の学費免除(特待生)、部活で幹部(しかも二つの役職を兼任。実績はあまり残せませんでしたが)を務め、校長賞に抜擢(本当はどういった賞なのかよくわかりませんが、個人的には翌年度の入学式で新入生代表のスピーチをしなければいけない賞だと思っています)
輝かしい成果に、母は喜んで泣いていました。では、私にとっては?はっきり言ってプレッシャーの方が強かったです。「来年もこの状態を保たなきゃいけないの?」そう思うと気が遠くなりました。私にとって学校は「結果を残すために頑張らなくてはいけない場所」。さらに、「良い成績を残さなければ行く意味がない」とまで思っていました。
3.暗黒時代を経て転学へ
高校1年生の夏ごろまでは、あまり休まず登校していました。部活もいつも通り頑張り、なんと塾にも行き出しました(頭おかしいです)。生活リズムはさらに狂います。塾が終わり家に帰るのが夜の10時頃になってしまい、そこから塾の宿題、学校の課題、自分の勉強と、やることが盛りだくさんだったのです。すべてをこなそうとすると徹夜をしても時間が足りませんでした。なのに当時の自分は完璧主義で全部やろうとしたのです。当然できません。すると、できていないことがあるので学校に行きたくないと思うようになります。朝お腹が痛いと仮病を使って学校を休み、やるべきことを果たしてから学校に行こうとしたのです。馬鹿です。休んでいる間にそのやるべきことは増え続けます。しかも、家だとどうしてもだらけてしまうので、やるべきことを終えられませんでした。そして高校一年生の夏に入ると、とうとう学校を続けて休むようになります。なので、不登校になった理由については、嫌な先生は一人いましたけれど、友人関係に悩んでいた、成績不振で悩んでいたなどということはありませんでした。
この時期はほとんど昼夜逆転していました。医師やカウンセラーのもとへ行き、起立性調節障害や不安障害等の診断結果をもらいましたが、自分の中では「本当にそうなのかな」と思っていました。家では勉強をせず、ベッドでゴロゴロしている時間がほとんど。一日中寝ていることさえありました。実は、休んでいる間の一か月は、「家族がコロナになった」という理由で公欠扱いでした。しかし、個人的には家でダラダラする時間を引き延ばしただけで、何の助けにもならなかったと思います。休息を取る(取れていたかはわかりませんが)という点では、効果があったかもしれません。
当時の担任の先生は、少しでも進級できる可能性を広げるために、保健室・図書室登校などの温情措置を示し、残りの欠席日数についてよく話していました。私自身のことについても耳を傾けてくれましたが、それが私への直接的な助けにはならなかったし、私が留年をしたくないということはあちらも知っていたので、正直、「単位を落としたらそれまでだ。」というクールな態度がうかがえました。その代わり、というべきかはわかりませんが、母が自治体や相談機関に電話をしたり、私に寄り添ってくれました。父は「通信・定時制高校は働く人のための学校だ。働くのか。」「高校転学は履歴書に残る。就職に響く。今の学校(前籍校の女子校)になんとしてでも行け。」などと厳しめなことを言っていました。そして、生き方や人生設計の本などを渡してきました。
転学については、自分で通信制高校をネットで探しました。学費について相談しつつ、今の通信制高校に通うことに決めました。あれだけ言っていた父親も、最終的には受け入れてくれました。これで心が軽くなる。元気になると私を含め誰もが思っていました。
4.その後
その通信制高校は、通学するとなると前籍校をも上回る莫大な学費がかかるので、私はネットコースに所属しました。つまり、家でレポートをやり、年に二回スクーリングに行き、年度末に試験を受けること以外自由なのです。私はもともとインドアだったので、結局、かの暗黒時代と同じような日々が続いてしまったのです。「このままではヤバイ」と思い、行動できるようになったのは最近になってのことです。今は毎朝同じ時間に起きることを一番の目標にして、少しずつではありますが大学受験勉強を進めています。
中一から今に至る間に、私が得た反省としては、学校は安易な理由で選ばない方がいいということ、勉強するにしても絶対に無理はしないこと(特に睡眠を取ること)…色々あるかもしれませんが、自分の変化に気づけなかったことが第一だと思います。事は3年前から始まっていたのですから。さらに、転学後にしろ、暗黒時代中にしろ、一日中寝ているようなダラダラとした生活を送るのではなく、勉強をできなくてもいいから朝きちんと起きていれば、何かが変わっていたのではないかと思います。とはいっても、自分の心が不安定な時期に、自分でそんなことをするのは極めて難しいと思います。私がボランティアをしている当会の存在を、早くから知りたかったですね。
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