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「~のせいで」と「~のおかげで」

明治から昭和初めにかけて、日本という国の大きな船で、日本人大勢が片方に片寄ろうとした時、自分一人は反対側に立ち日本の転覆を防ごうとした頭山満。西郷隆盛の精神を継ぐ福岡 黒田藩士族。

“一人でも淋しくない人間になれ”
“天下一人を以て興れ”と、頭山の語録。

“一人でも淋しくない人間”とは、人にぶら下がらない、人に頼らない、人に手綱をとられない人間、

“天下一人を以て興れ”とは、世の中に一人で立ち上がり、大事(大きなハタラキ)をなせ、ということ。

その言葉の裏側にある頭山満とは、この世界の道理『有→無→有』を礎にしている。

無はここでは否・疑・逆、
否定・疑い・逆が入ることで、大きなハタラキを成す。

西郷隆盛も頭山満も、何度も死線を乗り越えた。

書を読み学び問い、疑いと逆の視点を常にもちながら、苦痛や煩悶に屈せず、自分を壊してはまた創り変えていったのだ。

否・疑・逆が入ることで、より大きなハタラキを成した。


東日本大震災の原発事故で、大変な否・疑・逆に遭われた方が、こういうことを言われていました。

“あの震災があったおかげで、と言えるように生きて行く”と。


“あのせいで”と思うのか、“あのおかげで”と思うのかで、先がまったく違ってきます。

お釈迦様が悟ったこの世界の真理、諸行無常(すべては変化して固定しているものはない)、諸法無我(すべては繋がっていて自分などどこにもない)、涅槃寂静(すべては調和している)、一切皆苦(一切すべては苦しみである)、


“~のせいで”と考えると、世界は止まり閉じていきます。
“~のおかげで”と考えると、希望ある無限の可能性が、そこに広がります。

あれほどの甚大な痛みと苦しみを、“そのおかげで”と言えるには、とても大変なことだと思いますが、

しかしそこが、人生の分かれ道、人類の進化の分かれ道です。


希望が灯り可能性が広がる
“~のおかげで”

私も、そう意識の転換を、言葉を、癖づけていこうと思います。

ここに、書き足したいことがあります。

「~のおかげで」と考えてみたり言ってみたり、は、立ち止まって考えたり、心を切り変えられたり、そうしたきっかけになればと思いますが、

でも本当は、さんざん反対側を体験し苦しみぬいた人が言えることですね。

実際、原発事故で、それまでの大方を失くしたその方が、“震災のおかげで、と言えるように生きていく”と、自分の限界と闘っている途上なのです。

否・捨・疑・逆をさんざん体験した人が本当に言えるのだと思います。

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興志塾(通称人参畑塾)趾

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