メンタルの成長
今回は予告通り小学校、中学校とお世話になった帝人サッカースクールについて書いていきたいと思います。
今ではありえないようなことが起きていたので、ぜひ最後まで読んでみてください!
スクールのカテゴリー
スクールには学年ごとのチームがあり、それぞれに分かれて練習や試合を行います。
小学校2年生以下をまとめた低学年の部、3年生から各学年、中学部に分かれています。
自分は低学年から入りプレーしていました。
飛び級での経験
低学年からの経験があったため、各学年のカテゴリーに分かれた後、身長も高く、キック力もあった自分はひとつ上の学年に飛び級してプレーしていました。
しかしその時調子に乗っていた自分はサボり気味な人たちのグループに混ざってふざけていました。
結局そのまま上手くなるわけもなく時間だけが過ぎていきました。
そして四年生になる時、自分の学年に戻ることになりました。
しかし、戻ってみるとそこには自分の居場所などなく、みんなしっかりと練習し上手くなっている子たちばかりですぐに試合に出られるような状況ではありませんでした。
小学生の部
そこから練習をする中でなんとか取り戻していこうとしました。
怒られてペットボトルの硬い方で叩かれ、、、
怒られて時計で叩かれ、、、
罰走の距離がレベチすぎるし、、、
小学校ではありえない環境の中練習をしてきました。
しかしそんなこんなで帝人サッカースクールの小学生の部は県内でも強豪で、全日本少年サッカー大会に何度も出場していました。
地獄の中学部
そんな帝人サッカースクールですが、中学部は県内を無双する強さはありませんでした。
正直なところ当時の厳しい練習をみて小学生の部の子達が他のところでプレーすることを選ぶことが多かったため、上手い子が下部組織に行ったりしていたのが現実です。
どのように厳しかったかと言うと、例えるなら軍隊です。
練習では、アップからグランド5周を2セット。
激しい練習をした後に最後スプリント系のランニング。
練習ではダイビングヘッドやスライディングの練習がありました。
帝人あるある。「冬は手袋だと破れるから軍手を使う。」
クラスの練習もニアに入る人は間に合わないボールでもスライディングしなければなりませんでした。
また、対人の練習の時でもシュート打たれる時にはスライディングをするのが当たり前でなければいけませんでした。
叩かれたり、殴られたり、走らされたり、、、
試合中にベンチ前のライン際に呼ばれて怒られて殴られることもしばしば、、、
そんな軍隊みたいな中学部の中でもランニングの練習でトップを走り続けたことで、今の化け物みたいなスタミナが身につきました。
当時は監督にイライラしかしてなかったのに、今では、
感謝…感謝。
感謝しかないです。
意外とプロを輩出している?!
こんなクラブチームからプロサッカー選手が出ているんです。
意外ですよね。
軍隊のような泥臭いチームから、僕らの一つの先輩が愛媛FC、二つ上の先輩がヴィッセル神戸(現在はザスパクサツ群馬)に高校卒業とともに行きました。
他にも過去に数人のJリーガーを輩出しました。
その後を見据えた指導
確かにスクールでずっとプレーをしてきて、当時は気づかなかったけど、振り返ってみると気付くことが多くありました。
それは、その時に開花させるためだけの指導ではないということです。
帝人サッカースクールの卒業生はたくさんの人が県内外の高校で活躍していますが、その人たちはずっとスタメンだった人たちばかりではありません。
中学時代はベンチで伸び悩んでいた選手が高校で開花してスタメンを勝ち取るケースが多く起こっています。
みんな口を揃えていうのは
「帝人でサッカーしててよかった。」
その当時、中学部に在籍していた時は卒業生がそう言っているのを聞くたびに、「この人たち頭狂ってる。」と思っていましたが、実際に卒業してみると言っていた意味がよくわかりました。
「自分も帝人でサッカーをしていてよかった」
と思っています。
また、みんな「この先これ以上キツいことはない」などと口を揃えて言い。メンタル面では他の人に負けない強さを身につけられたと思います。
※補足
ここに書いたようなスクールの様子はあくまでも当時、自分がプレーしていた時の状況です。今は全くそんなことなく、みんな楽しくプレーしていました!
次は??
次は自分の人生を大きく変えた3つ上の兄の話です!
兄がどのように自分の人生を変えたのか、何を思い変わっていったのかお楽しみに!!
また次も見てください!!!
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