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なぜひろゆき (ENTP) がバズって、ホリエモン (INTJ) は炎上するのか

なぜひろゆきが持てはやされ、ホリエモンは押され気味なのか。一言でいえば時代に求められているか否かということになるだろう。


ひろゆきの特徴

・適者生存&適材適所に基づくドライな価値観
・本人は中立派を標榜しているが、トータル的にはやや左に見える
・事業家の支援等に関わったりする。傍観者的

ホリエモンの特徴

・自己責任論に基づく競争大歓迎の強者の論理
・新自由主義の申し子 ※
・幅広く新たなビジネスを次々に立ち上げる
※ 新自由主義 → 市場原理に任せるべき、政府は干渉するなという考え

ホリエモンとひろゆきの違い

 理論と論理の違いと言ったらよいだろうか。
 ホリエモンの主張には「俺のようにストイックに取り組みさえすれば」(Ni-Te) という言外の前提が含まれている。第一にホリエモンのように努力できる人間は限られているし、努力したからと言って結果が保証されているわけでもない (Se劣等) 。徹底した合理主義者 (Te) のようでいて、意志力 (Ni) が最大の根拠となる。INTJらしいシニカルな理想主義者といえる。
 対するひろゆきは身も蓋もない思考力 (Ne-Ti) がその主張のベースにある。生活保護に関する主張がその好例だろう。低賃金の社畜として飼殺されるくらいなら、好きな時間に起きて金をもらえる生活保護の方が得ですよね?といった具合だ。しかしそのためには世間体やメンツをかなぐり捨てなければならない。誰もが今すぐに可能であるというのがひろゆきのロジックの肝となるが、その根底には大なり小なりヤクザな発想 (Ne-Ti) が潜んでいる。大抵の大人はそれに気づき距離を取りたがるが、一方、若者や弱者にとってある種の逆らい難い魅力として映る場合も多い。可能性 (Ne) を無邪気に (Ti) 追い求めるENTPのステレオタイプといえる。
 何だかんだでそれを実行する人は少ないという点で両者は共通しており、起業家やニートで溢れる世の中にはなっていないという現実がそれを裏付けている。
 異なるのはホリエモンの客が意識高い (及び意識高い系) エリートで、ひろゆきの客は若者や疲れた大人であるという点だ。無論それ以外の層もそれなりにはいるだろうがメイン層は上記の人々であり、本質的にそうならざるを得ない運命にあるともいえる。
 とはいえ、実行するか (出来るか) は別として、可能性を提示することで人々を魅了するという部分でやはり両者は共通しており、まさに直観型の華といえる。

多様性の時代とひろゆき

 近年「多様性」という言葉がよく飛び交っているが、その根っこには不況という経済的な問題があると思われる。何故なら多様性には現実逃避の言い訳として機能する側面があるからだ。
 それによって創造されるものや救われる存在もあり、一定の価値があるのは否定しない。とはいえ我々人間が何らかの枠に属さなければ生きていけない現実も確かにあって、それは法や組織であったり家族や常識であったりする。善い悪いではなく、枠の中の物差しで比較し、競い合い、優劣が生じるのは避けられない運命なのだ。宿命と言った方が適当かもしれない。
 しかし、多様性それ自体に問題があるとも思わない。多様性を求める心も人間が枠を求める心と同じように本能的なものであるからだ (Ne) 。問題は多様性が「声高に叫ばれている」ことにある。これはすなわち、みんなで率先して言い訳を述べ合って、尚且つそれを認め合いましょうという社会になったということでもある。
 ではそんな社会になってしまったのは何故か、その原因がまさしく国民の経済的困窮にある。つまり弱者が多数派となってしまったため、言い訳が大々的に認められるような世の中になったというわけだ。
 そこへ現れたのが、金持ちなのに大した贅沢もせずニートのような生活を送っているひろゆきその人である。豪遊 (Se) せずとも、無料のソシャゲで充分楽しめるぞと言ってのけるその男は、疲弊し、将来に不安しか抱けない人々に脱出口を与えた (Ne-Ti-Fe) 。さながら地獄に降りた仏のように見えた (Si) かもしれない。
 多様性が重視される社会を文明の進歩によるものだと捉える人も多くいる。しかしそれは半ば建前で、実際には経済的な問題によるものだと思えてならない。

ホリエモンが登場し始めた2000年代

 ITバブルに乗り遅れる一方、押し寄せるグローバル化の波によって日本企業は過当競争の渦中にあり、派遣法の規制緩和を筆頭にジリ貧の対策を迫られていた。行政では郵政民営化が代表的な政策として挙げられ、新自由主義経済が加速化された時代ともいえる。お察しの通り、この時代の象徴的人物がホリエモンその人というわけだ。
 このように書くと、国民が現在よりも経済的に困窮しているように感じるかもしれない。しかし、例えば企業の内部留保が2020年の4割程であること、出生数が2020年の1.32倍はあったこと等を踏まえれば、当時はまだ国民経済に余裕があったということが窺える。少なくとも今よりは。
 なまじ余裕があるからこそ過酷な競争を続けることができた (続けさせられた) 時代ともいえる。

MBTI -まとめ-

 経済面を中心にすっかりやせ細ってしまったこの国では、今やマッチョな価値観 (Te・Se) よりも、ありのまま (Fi) で多様な生き方 (Ne) こそが良しとされるようになっている。ではなぜENFPやINFPのインフルエンサーではなくENTP (Ti) のひろゆきがこれ程まで支持されているのだろうか。
  確かに Fi には疲れた人々を癒すヒーリング効果のような魅力がある。しかしながら、人の弱さを上手く許容してくれる一方、それを互いに擦り合わせる作業も同時に発生してしまうため、心底現実から逃れたいと思う人にとって、それはそれで世知辛さを感じさせてしまう要因ともなり得る。
 その点、あくまでも理論武装 (Ti) によって我が道を肯定 (Ne-Fe) してくれるENTPがまさに ”丁度いい” タイプととも言え、その先鋒がひろゆきということになる。

 一方、2000年代は先述の通り、バブル崩壊後の暗雲立ち込める90年代の空気感をさらに悪化させたような時代だった。
 とはいえ、まだ現実から離脱するフェーズ (Ne) というわけでもなく、人々は目の前の問題に対処することに追われていた (Te・Se)。進むべき方向を強気に指し示す (Ni-Te) ホリエモンが、闘志と焦燥感の狭間で揺れる時代の心理と上手くマッチしたのかもしれない。

 目先の問題に奔走 (Se) させられる時代には先の見通しや根本的な解決策 (Ni) が求められ、疲弊し行き詰った (Si) 時代は目先を変えざるを得ない (Ne) ということか。
 今まで軽んじられていた人々にとっては、思いがけず新たな価値を与えてくれるチャンス (Ne) に恵まれた時代ともいえる。

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