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「山あり谷ありのほうが、人生の景色がきれいなんよ」あっけらかんと笑った。

「とんび」という小説を読みました。
400頁以上ある物語の然るべき場所に光るこの言葉には、
すべての悲しみを浄化してしまう力がある様に感じました。

 「難しいことを乗り越えると成長する」
 「頑張ればそのうちなんとかなる」
 「明けない夜は無い」
...僕のつたない想像力から出てきてもせいぜいこの程度。

 「山あり谷ありのほうが、人生の景色がきれいなんよ」

たくさん乗り越えたからこそ、出て来た言葉なのではないでしょうか。



太平洋戦争の名残が残る昭和30年代の広島に、
色々な形の家族が何か寂しさを秘めながらも明るく暮らしています。

 物心つく前に母親を失った子ども。
 子どもがとても好きなのに、子供がいない夫婦。
 原爆で家族を失い親戚の家で肩身狭く幼少期を送った女性。
 典型的な父・母・子のカタチではない家族がありふれていた時代です。


広島の運送会社で働く、純粋でエネルギッシュな主人公は、
人生で初めて味わう温かい家庭から、思いもよらぬ事故で妻を失います。
そこから始まる幼少の息子との二人暮らし。
時は過ぎ、幼いころはいつでも自分になついてきた息子も、
思春期になると父親に反抗の態度を見せるくらいに成長します。
人一倍不器用な主人公は大人な態度で接することもできません。
そんなとき、妻がいたら息子と仲裁してくれていたのかもしれない...
二人暮らしでは、そんな日常もきっとあるのではと想像させられます。


僕はうすうす感じてきた自説を思い出しました。
父と母は別人格ですが、子どもにはそれぞれそのどちらかの性格が
やや強めに受け継がるものなのではないかと思うのです。
そうなると必然として、お互いの性格の相性には差が出てきます。
例えば親と子が性格の異なる同士だと何事もすんなりいくのに、
性格の似たもの同士では、磁石のS極とS極を近づけたときの様に、
理性や理念や期待に反して反発してしまうことが増えたり。

摩擦(ストレス)が蓄積し過ぎると爆発や冷戦に至ることもあります。

こうしたすれ違いやストレスが上手に消化されていれば良いのですが、
夫婦や親子間の必要なコミュ二ケーションが失われてくると、
子どもの成長や人格形成に必要な愛情エネルギーも不足してしまい、
子ども自身や家庭にネガティブな影響を及ぼしてしまうリスクが増します。


  例えば、口を開けば家族の愚痴ばかり。
  子どもが何をしても、否定的な言葉が出る。
  余裕がなくて、会話すらしない。
  イライラして、子どもに手を上げてしまう。
                       などなど...


《とんび》で登場する息子のアキラは、性格が穏やかで優しかった母親に似ていて、そのうえ賢い。
はちゃめちゃな父親とは似ても似つかない性格で感情的な衝突を起こすタイプではありません。
どちらかと言えば、すぐムキになって心にもない理不尽を出してしまう父親のヤスさんこそが摩擦を生みます。
そんなときに二人の間を取り持ってくれるのは、父子を取り囲む大人たちです。

ヘソを曲げ、素直になれない不器用なヤスさんをたしなめ諭す昔馴染みの飲み屋の女将さん。
いつもアキラを気に掛け、食卓に招き、部活の練習にまで付き合ってくれるヤスさんの幼馴染夫婦。
父子の人生を大らかな気持ちで見守り続けている海雲和尚。
物語の中でじんわり感じるのは、ひとり親家庭では賄いきれない二人への愛やフォローを、二人を取り巻く"愛すべき友人たち"が注いでくれていることです。


やがて息子のアキラは社会人になり、伴侶を得、家庭を持つときが来ます。
ひとつひとつの階段を登るとき、愛すべき人たちとの出会いがあり、アキラ自身も皆から愛されます。
その幸せはもしかすると、アキラの持ち前の人柄に加えて、人の愛情によって育まれてきた彼自身の成長があったからかもしれません。


こんな幸せな環境をもつひとり親家庭ばかりでは当然ないと思いますが、
少なくとも、何かの原因でひとり親家庭になったときには、子のためにも、
親子以外との関わりを育むのは大切な事なのではないかと思うのです。
ひとり親家庭を経験した僕自身の10代を振り返りつつ、そんなことを連想させられる物語でした。

とても満足して余韻を味わえる一冊です。
感情豊かな方は、あまり人前では読まないことをお勧めいたします。(笑)


そして僕はこれから、ひとり親家庭の人たちに役に立つ情報が得られ、
気持ち穏やかに集い、健全な情報交換ができる場所をつくるために、
微力ながらプロジェクトを進め、noteで発信していきたいと思っています。


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