「新しい自由」をめぐるいくつかの問題

ハイエク著・西山千明訳「隷属への道」(春秋社、1992)を読み始めた。私がもっているのは1999年の第5刷なのでおそらくは1999年か2000年あたりに買ったのだと思うのだが、ほとんど読んでなかったので、綺麗で読みやすい。

今のところ第1章「見捨てられた道」と第2章「偉大なユートピア」まで読んだところだが、とりあえず感想とか考えたこと、またそれをTwitterに書いて反応をいただき、またそれについて考えたことなどを書いておきたい。

ハイエクは設計主義的な社会主義を排撃しているわけだけど、社会学の祖とされるオーギュスト・コントを「19世紀の全体主義者」と呼んでいるのはちょっと驚いた。

それもふくめてここまで読んだ感想で言うと、要はハイエクは、古典的な個人主義的な自由主義に対し、世の中をより良くしようとする設計主義的な思想は繰り返し襲ってきていて、それがフランスのサン・シモン的な社会主義であり、ドイツのマルクス主義であり、ロシアのレーニン主義であり、そしてドイツの国家社会主義であり、そしてイギリスの労働党の政策やアメリカのニューディール政策などの修正資本主義である、というようなイメージであるように思える。

この本をここまで読んだ感じでいえば、そういう設計主義的全体主義の度重なる襲来に耐えて、個人主義的な古典的な自由を守らなければならないというイメージがある。しかしウィキペディアなどを読むとハイエクはケインズよりもフリードマンの方に懸念を表明していてこれは「行きすぎた自由主義」もまた古典的な自由主義の弊害要因になるという感じに考えればいいということなのかなと思った。

このあたりについてはフリードマンに始まる新自由主義が、特に日本の現状では政府の業務を「民間」にどんどん下請けさせて実質的に「計画主義的に」政府を肥大化させているとも考えられるという指摘をいただき、ここはなるほどと思った。確かにこれは本来の意味での「小さな政府」とははるかに遠い存在であり、「民間企業という名の設計主義的な政府機能」は実質的に温存されているというべきだろう。

そしてそれがより低賃金での不安定な労働者に投げられることによって雇用の不安定な人々を増大させるという結果になっており、また政府に寄生するコンサルタントや政商といった前近代的な要素まで持ち込まれていて、フランス革命前の「徴税請負人」等の存在を想起させる。こうしたやり方が個人の自由に資しているのか、小さな政府と大きな政府の悪いところを合体させ、さらに前近代化させる結果をもたらしているようにも見える。

ハイエクの批判の根本は「大きな政府」により所得を再分配し経済的困難から貧困者を解放することが「新しい自由」である、という現在の「リベラル」の思想に対するものだと言っていい。つまり経済力を与える=自由を与えるという思想は、「自由と権力の混同」を起こしているというわけだ。

英米の修正資本主義に比べてもより政府統制が強い社会主義の思想は、「新しい自由」が「自由の新しい形である」と言う主張で多くのリベラルエリートを取り込んでいったわけだけど、それは「自由への道」に見えるけれども本当には「隷属への道」であったとハイエクは主張するわけだ。

そして、共産主義に惹かれる人はナチズムにも惹かれるとし、そうした人々を両者は奪い合っているが、彼らの本当の敵は彼らと対極の傾向を持つ古典的な自由主義者であると主張している。

ここでハイエクはドラッカーの「経済人の終わり」に書かれている共産主義・ファシズム批判を引用しているのが興味深かった。ハイエクは1899年生まれ、ドラッカーは1909年生まれでほぼ同時代人であり、ともにオーストリア出身でハイエクはイギリスに、ドラッカーはイギリスを経てアメリカに亡命している。

ドラッカーは「ナチズムは、共産主義への幻想が消えたところから力を得る」と言っていて、このあたりの見方はハイエクと共有しているのだなと思った。

ハイエクが支持していた「自由主義」の形を最も鮮明に宣言しているのが、「未来の人間が、この近代の発展がもたらした最も重要で広範な影響とはなんであったかを総括するとしたら、おそらく、自分たちの運命を自ら決定しうる力という感覚、自らの運命を改善していく無限の可能性への信念、と言ったことを挙げるだろう。」という部分だと思う。

近代人が持つことになったこういう力強い感覚こそが、さらに広範な社会の問題を解決することが出来ると考えるに至り、それによって本来の自由げ制限される方向になりつつある、というのがハイエクが繰り返し述べている設計主義的な諸思想の襲来だということだろう。

こうした自由の力強い感覚が「より広い社会の問題」に目を向けて「しまう」のは、平等の観念、または人権の観念のためだろう。民主主義と保守の問題を考えるためには、この「人権思想」についても考えていかなければならないと思う。

またドラッカーがこうした認識の向こうにマネジメントの技術に未来を見出し、新たな経営学を切り開いたことも大変興味深いことだなと思った。


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