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四種十類でくくれない漫才の種類

「太夫才蔵伝」を読みつつ、知識補強のためにいろんな漫才(萬歳・万才)関係の書物を読み耽るという、割と残念な人に成り下がっております濱澤更紗です。

で、ね。

なんとなく、Wikipediaの「漫才」のページをチェックしたんですよ。いや、こういうところの出典に挙げられている本が知りたくてさ。そしたらですよ。戦前戦後の漫才師を並べて漫才の種類を説明していた箇所に、唐突な「すゑひろがりず」の名前を見て、吹き出した私の気持ちを考えてくれ。

※2020/5/31チェック。その後書き換わってたらごめん。

漫才って種類があるのは知ってるけど、そこじゃないだろ絶対。

大きく四種に区分される漫才の形

Wikipediaにある漫才の四種十類ってのは、前田勇・著の「上方まんざい八百年史」という本に出てくるもの。ただし、この本自体は1975年の発行なので、現在私達がよく見る漫才の形は全くといっていいほど補足されていない点に注意が必要。

漫才四種は以下の通り。

・音曲漫才
・踊り漫才
・しぐさ漫才
・しゃべくり漫才

今私達が「漫才」と思っているもの、特にM-1グランプリなどをはじめとする漫才ショーレースに於いて、漫才とされているものは「しゃべくり漫才」のみ。ただ、本来の漫才というものはもっと幅広い「色物」を保有してたんですよと。

漫才の祖は太夫・才蔵が生み出す「萬歳」という寿口上からであり、そこから長い期間に渡ってあらゆる構成を取り込んで形にしてきたんで、そんなのも漫才なの?ってなるのも仕方はないかもしれない。

1)音曲漫才

ざっくりいうと「歌や楽器がメインの漫才形式」。前田先生によると、

・民謡や小唄などがメインの「俗曲漫才」
・流行歌・歌謡曲がメインの「歌謡漫才」
・浪曲・浄瑠璃などがメインの「語りもの漫才」
・楽器演奏がメインの「曲弾き漫才」

にわかれるそうな。

俗曲漫才は…なんというか、今だと浅草の寄席くらいでしか見かけないかもしれない。内海桂子・好江師匠がわかりやすいかなあ、私達の世代だと。三味線を片手に小唄でボケて突っ込んだりする感じ。

逆に流行歌や歌謡曲をメインにすると歌謡漫才という分類になる。こっちの方は結構見かけまして、例えば横山ホットブラザーズとかのボーイズものなんかがこのカテゴリ。かしまし娘もそうだし、今だとテツandトモとか、きつねとか、シマッシュレコードとかもこのカテゴリになると思う。

語りもの漫才も、俗曲漫才と同じく、浅草寄席で見かけるくらいになってきたかも。あとはお正月くらいか。いわゆる「浪曲漫才」と呼ばれる人たちがこのカテゴリにいて、玉川カルテットとかがわかりやすいかな。

曲弾き漫才は歌ではなく楽器の演奏でボケツッコミを行うんだけど…今コレをやってる漫才師って誰だろうか?ピンだと浮かばないことはないんだけど…。ちなみに現代版曲弾き漫才として名前が上がるのは新作のハーモニカだそうな。

ザクっと分けているが(前途のWikipediaも参考にしてる)、実際のところは歌謡漫才に入れたテツandトモやシマッシュレコードは曲弾き漫才じゃね?とか、ボーイズものも曲弾き漫才や俗曲漫才だったりするなあといろいろ考えてしまうので、ある程度参考に。

2)踊り漫才

踊りをメインにし、崩すことで笑いを取る漫才。らしい。

……らしいって書いたのは、この区分ができた頃の踊り漫才と今の踊り漫才がぜんぜん違うだろうなあと思ってしまったから。大変申し訳無いんだけど、当初の踊り漫才に当たるものが全く思い浮かばない。

あえて現在の踊り漫才を定義するのならば、オリエンタルラジオの武勇伝。あとは8.6秒バスーカとかかしら。どこが漫才やねんと言われそうだけど。

この「踊り漫才」については、萬歳の頃の舞笑いなどを指すようで、例えばどじょうすくいとか音頭とか神楽とかに発展していった感がありまして、故に漫才とは一線を画した伝統芸能では今なお息づいてはいるのですが。

3)しぐさ漫才

映画や演劇のワンシーンを模写する「寸劇漫才」、別のキャラクターになりきって滑稽芸をする「身振り漫才」、仮装して漫才をする「仮装漫才」に別れてるのですが…。

これ、たぶん今の「コント」カテゴリになりますね。寸劇漫才、身振り漫才なんかは本当にコント漫才の祖になると思う。仮装漫才は漫才ではなくコントとして取り込まれた感があるものの。

ちなみにすゑひろがりずが唐突にぶっこまれていたのがこのしぐさ漫才の中の「身振り漫才」。コレについては思うことが多々あるので後ほど。

4)しゃべくり漫才

現代の若者たちが思う漫才の形。「掛け合い漫才」と「ぼやき漫才」に分かれておりますが、大半は掛け合い漫才にカテゴライズされて、ぼやき漫才をやってるのは…割と少ないかも。おぎやはぎとか宮下草薙とかかなあ。あと、最近のウーマンラッシュアワーも形としてはぼやき漫才になるんだけど、そもそも(形の上ではボヤキに当たる)村本さんがぼやくんじゃなくてマシンガントークするので全くそうは思えないという。ボヤキ漫才はツッコミがいる漫談とも称されがちだったりする。

掛け合い漫才については、実はエンタツ・アチャコが祖となるので、漫才ではなく萬歳からの歴史を考えると一番新しい形だったりする。

しぐさ漫才、でいいの?

Wikipediaの漫才の項目で、すゑひろがりずをしぐさ漫才にぶっこんだ人の気持ちはわからなくもない。古の人になりきって掛け合いを行う彼らは、しぐさ漫才とみえてもおかしくはない。

ただ、ただですね。

ここからは私の持論になりますけど。
ちゃうやろ、絶対に。

というのも、本来のしぐさ漫才って滑稽芸の扱いなのですよ。要するに、動きで笑かす漫才。すゑひろがりずの場合は、言葉で笑かす要素のほうが強いのですよ、特に漫才は。まあ、鼓の音で笑ってるだけ、ツッコミのタイミングで扇がパッと開くとか、要素としてはありますけども。

古い分類に当てはまらない漫才師が増えている中、無理やり当てはめる必要はないのですが。すゑひろがりずのネタって結構幅広いんですよね。「学園天国」なんかは割と典型的な歌謡漫才だと思うし、「演レヴォ」「ポップン」あたりは曲弾き+踊り漫才なのかなあとも思う。「トトロ」や「合コン」なんかは寸劇漫才だし、「算数の文章問題」や「昔返し」はしゃべくり漫才です。

はっきり「しぐさ漫才」と言い切れるのは獅子舞芸かしら。あと「パンティ玉すだれ」とか。もっとも、漫才とコントが曖昧としてる故、ネタのいくつかはどこにカテゴライズすべきか悩んだ結果保留としたことは否定しない。「官能小説を読む」とか、あれコントでもないし、かと言って漫才としたらどこ入れるもんなのよって思うしなあ。

漫才って奥深いのよ

あえてすゑひろがりずをお題にして書いたわけですが、実際のところ、漫才ってのは奥深いものです。そして、今ここで定義した「分類」ってものが数年後にはすでに当てはまらなくなってたりするものだったりします。

シンプルに考えると、漫才は「二人以上の立ち話」以上の何者でもないのです。そして萬歳は「漫才をも包括した二人芸能」であり「漫才が万才に変わり、そして万才を切り捨てた漫才が世の中の常識になる」的な話があったりするわけですが、それは今後改めてまとめたく候。



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