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どれだけ素直になれるのか。

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素直な感情を認めて考えてゆけると、ある程度深いところまで至れるのではないか。という思いから。
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2018年11月の記事一覧

決め打ち

時間を守れない。守ることを意識できていないともいえるけれども、何か苦手である。

時間を守るのは、時間をきちんと決めることである。決め打ちすることの一種である。
「決め打ちすること」が何か苦手である。決め打ちすることによって、「決め打ちすること」自体に意識が向いて、本来の目的を忘れがちになる。
決め打ちすることは、何かのための手段の1つのはずである。それが手段でなくて目的となってしまう。

時間の

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時間の断面

時間の断面

時間の始発点。

時間を守ることが出来ない。
特に朝、午前中である。(単純に朝が弱いものもある)
時間切り替わりが無意識に鋭い切り口だと思っているかもしれない。

時間に関する意識が薄い。時に時間なんて妨害的に感じることもあるからである。
また、別の経験として高校の教室に時計が無かったこともあるかもしれない。高校の教室に時計がない理由は一説でしかないものの「時間を気にするくらいなら、内容に集中しろ

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欄外を想像すること

「3回目のデートで告白してもフラれる理由を、150人抱いたナンパ師に台湾純愛映画で解説してもらった」という記事?ブログ?を読んだ。

「人のために何かをすること」を考えさせられるような話である。
昨日は、話のチューニングするようなことが人のことを考えるようなことなのではないかとか書いたけれど、それだけでは片手落ちなのかもしれない。

なんというか、自分が知っている(自分ができる)基準とは違う動きで

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他人にもわかる構造

昨日、人のための文章が書けないとというようなことを書いたが、ちょっと宗旨替えをした。

多分、まず目指すべきは自分が思ったことを「他人にわかるように」書くことなのだと思う。チューニングというか濃度の調整というか、前提の共有というか、そんなものをきちんと構築できることなのかもしれない。

内容はかなり自分の内面的であってよいように思うのだけれど、それがきちんと思い起こされる状況にせねばならない。

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人のためには書けていない。

自分のために書いている。

何かを書くということは得てして、人と自分との間に放り出すようなことであるはずなのに、私自身は基本的に自分のために書いている。
文章を書くこともそうだし、メモを取ることもひとくくりである。

自分のためというのは、何かを理解するためにという時もあるし、言い切れないものを発散するときこともある。
ただ、何かを変えたい。とか、誰かへの手紙のような気持ちでとかでは書いていない。

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足場がほしい。

自分の確かな足場が欲しい。

大きなものや強さへのあこがれはたぶんそんなところからきている。
なんとなく、軸になってよっかかれるような。何かあった時に考え戻れるような、迷子になった時に目安となるようなそんなものを求めている。

求める先は自分の外のことが多い。
大きな会社であったり、みんなが好きなものであったり、ある種”居場所”なのかもしれない。

ただ、足場は多分自分で暫定で決めるものであるよう

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文を書くこと

最近おそらく無意識で行っていたこと。

良い文章を読むと、良い人間になれる。

というようなことを思っている。
良い文章っていうのは、その人の思いとか迷いとかが何のてらいもなく書かれているようなものである。そんな文章を読んで、言葉にされているものを読むと、自分の状況を進展させられるのではないか。と思っている。

何が進展するかというと、そこに具体的な中身はない。ただ、そんなことを繰り返せばよいので

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